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第三十九話 王権の裁き
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第三十九話 王権の裁き
その件は、もはや裁定所の手を離れていた。
一介の男爵令嬢による不正、あるいは宮廷内の虚言として処理できる段階は、すでに過ぎている。王太子の判断、国家条約である婚約の破綻寸前、公爵同盟の武装準備、そして教会の介入。それらすべてが連鎖した以上、裁かれるべきは個人ではなく、王権そのものの責任だった。
王城大広間。
久しく閉ざされていた玉座の前に、一人の男が立っている。
前国王である。
すでに政務の多くは新王へと移されていたが、この場において、王権の最終責任者はまだ彼だった。この裁定は、退位前に果たすべき最後の義務であり、同時に、王家が生き残るための清算でもあった。
「始める」
短いその一言で、場の空気が変わる。
引き出されてきたのは、ルクレツィア・ボルジア元男爵令嬢だった。鎖は最低限のものだが、それは慈悲ではない。すでに結論が出ている者への、形式的な扱いに過ぎなかった。
前国王は、淡々と名を呼ぶ。
「ルクレツィア・ボルジア。そなたの行為は、恋愛でも宮廷内の諍いでもない。王太子を誤導し、国家条約を破壊しかけ、その結果、この国を戦争寸前まで追い込んだ」
感情はなかった。列挙されるのは、動かしようのない事実だけである。
ルクレツィアは俯いたまま、震える声を作った。
「……わたくしは、ただ殿下を想って……」
「聞かぬ」
即座に遮られる。
「王太子は、我が王権の延長だ。その判断を歪めた責任は、まず私が負う」
逃げではない。王としての責任の引き受けだった。その言葉に、公爵同盟の使節も、教会の大司教も異を唱えない。
「だが、責任を引き受けることと、罪を見逃すことは違う」
前国王は続け、机上に並べられた書簡へ視線を落とした。助言、誘導、慈善を装った寄進、思想の流布。いずれも偶然ではなく、王太子の判断を一定方向へ導くためのものだった。
「そなたは言ったな。“真実の愛こそ、王の資質である”と」
その言葉が大広間に反響する。
「それは、王権を私欲で操る言葉だ。王は、愛で国を動かす存在ではない。契約と責任で、国を保つ者だ」
前国王は大司教へ視線を移す。
「教会の見解を」
大司教は一歩前に出て告げた。
「ルクレツィア・ボルジアは、神の名を語り、信仰と慈善を盾に権力へ介入した。魔女ではない。しかし、偽善者である。神を利用し、神に背いた者だ」
それは教会が下せる、最大限の断罪だった。
前国王は頷き、最後の裁定を下す。
「ルクレツィア・ボルジア。国家反逆に準ずる罪により、処刑とする。男爵家は断絶、財産はすべて没収」
その瞬間、ルクレツィアの表情から完全に仮面が剥がれた。
「……違う……! わたくしは、選ばれるはずだった……!」
叫びは虚しく、大広間の誰にも届かない。
数日後、王都郊外。
公開の場で、彼女は裁かれた。
慈善、信仰、清楚な微笑。
それらは一つずつ否定され、剥がされ、民衆の前に晒された。彼女は最後まで「良い子」を演じたまま、処刑された。
それが、この国の選んだ結末だった。
報告を受けたイザベル・ド・エノーは、静かに頷く。
「……王権は、まだ機能していますわね」
そこに感情はなく、冷静な評価だけがあった。
前国王は、この裁定を最後に王権を完全に手放す。
残るのは、新しい王と、新しい契約だけである。
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その件は、もはや裁定所の手を離れていた。
一介の男爵令嬢による不正、あるいは宮廷内の虚言として処理できる段階は、すでに過ぎている。王太子の判断、国家条約である婚約の破綻寸前、公爵同盟の武装準備、そして教会の介入。それらすべてが連鎖した以上、裁かれるべきは個人ではなく、王権そのものの責任だった。
王城大広間。
久しく閉ざされていた玉座の前に、一人の男が立っている。
前国王である。
すでに政務の多くは新王へと移されていたが、この場において、王権の最終責任者はまだ彼だった。この裁定は、退位前に果たすべき最後の義務であり、同時に、王家が生き残るための清算でもあった。
「始める」
短いその一言で、場の空気が変わる。
引き出されてきたのは、ルクレツィア・ボルジア元男爵令嬢だった。鎖は最低限のものだが、それは慈悲ではない。すでに結論が出ている者への、形式的な扱いに過ぎなかった。
前国王は、淡々と名を呼ぶ。
「ルクレツィア・ボルジア。そなたの行為は、恋愛でも宮廷内の諍いでもない。王太子を誤導し、国家条約を破壊しかけ、その結果、この国を戦争寸前まで追い込んだ」
感情はなかった。列挙されるのは、動かしようのない事実だけである。
ルクレツィアは俯いたまま、震える声を作った。
「……わたくしは、ただ殿下を想って……」
「聞かぬ」
即座に遮られる。
「王太子は、我が王権の延長だ。その判断を歪めた責任は、まず私が負う」
逃げではない。王としての責任の引き受けだった。その言葉に、公爵同盟の使節も、教会の大司教も異を唱えない。
「だが、責任を引き受けることと、罪を見逃すことは違う」
前国王は続け、机上に並べられた書簡へ視線を落とした。助言、誘導、慈善を装った寄進、思想の流布。いずれも偶然ではなく、王太子の判断を一定方向へ導くためのものだった。
「そなたは言ったな。“真実の愛こそ、王の資質である”と」
その言葉が大広間に反響する。
「それは、王権を私欲で操る言葉だ。王は、愛で国を動かす存在ではない。契約と責任で、国を保つ者だ」
前国王は大司教へ視線を移す。
「教会の見解を」
大司教は一歩前に出て告げた。
「ルクレツィア・ボルジアは、神の名を語り、信仰と慈善を盾に権力へ介入した。魔女ではない。しかし、偽善者である。神を利用し、神に背いた者だ」
それは教会が下せる、最大限の断罪だった。
前国王は頷き、最後の裁定を下す。
「ルクレツィア・ボルジア。国家反逆に準ずる罪により、処刑とする。男爵家は断絶、財産はすべて没収」
その瞬間、ルクレツィアの表情から完全に仮面が剥がれた。
「……違う……! わたくしは、選ばれるはずだった……!」
叫びは虚しく、大広間の誰にも届かない。
数日後、王都郊外。
公開の場で、彼女は裁かれた。
慈善、信仰、清楚な微笑。
それらは一つずつ否定され、剥がされ、民衆の前に晒された。彼女は最後まで「良い子」を演じたまま、処刑された。
それが、この国の選んだ結末だった。
報告を受けたイザベル・ド・エノーは、静かに頷く。
「……王権は、まだ機能していますわね」
そこに感情はなく、冷静な評価だけがあった。
前国王は、この裁定を最後に王権を完全に手放す。
残るのは、新しい王と、新しい契約だけである。
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