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第1章 セクション3 『深夜の謁見と、王の記憶』
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第1章 セクション3 『深夜の謁見と、王の記憶』
王城リュシアンが静寂に包まれる深夜。
昼間の喧騒が嘘のように消え、回廊には松明の淡い灯りだけが揺れていた。
本来、この時間に王城を訪れる者などいない。
ましてや、正式な通達もなく、正門を通ることもなく——
それでも、ひとりの少女は、何の咎めもなく王城の奥へと足を踏み入れていた。
「……相変わらず、無駄に広いわね。掃除が大変そう」
小さく呟きながら歩くのは、キクコ・イソファガス。
昼間、婚約破棄という大茶番の渦中にいた少女は、今も変わらぬ十七歳の姿のまま、深夜の王城を我が物顔で進んでいた。
衛兵たちは彼女に気づくと、はっと息を呑み、慌てて頭を下げる。
名を名乗らずとも通される——それは、この城の一部の者たちが、彼女の「正体」を知っている証でもあった。
やがて辿り着いたのは、国王ロワイヤルの私室にほど近い、小さな謁見室。
扉を叩くことなく、キクコは軽くノックし、そして告げた。
「起きてるでしょ、ロワイヤル。ちょっと顔を貸してちょうだい」
一拍の沈黙。
次の瞬間、慌てた足音と共に扉が開かれた。
「——キ、キクコ様!?」
そこに立っていたのは、現国王ロワイヤル。
威厳ある王冠も、昼の正装もない。寝間着の上に急ごしらえで羽織を纏った姿で、目を見開いていた。
「こんな時間に、突然……一体、何事ですか!?」
「なにって。昼間の“後始末”よ」
キクコはこともなげにそう言い、室内へと入る。
「それとも、私が来る心当たり、まったくない?」
ロワイヤルは一瞬言葉を失い、そして——深く、深く、頭を下げた。
「……申し訳ありません」
それは、国王としてではなく。
一人の人間としての、心からの謝罪だった。
「本当に……本当に、申し訳ありません。あの愚かな息子が、取り返しのつかない無礼を……」
キクコは椅子に腰掛けると、軽く手を振った。
「いいのよ。あなたが直接やったわけじゃないもの」
そう言いながらも、その瑠璃色の瞳は鋭く、静かな怒りを湛えている。
「でもね、さすがに“あれ”は看過できないわ」
ロワイヤルは歯を食いしばった。
「ええ……私も、報告を受けた瞬間、血が逆流する思いでした。
あの子は……いや、王太子ジルベールは、イソファガス家の重みも、あなたの存在も、何一つ理解していなかった」
そう言ってから、ふっと目を伏せる。
「……キクコ様。覚えておいででしょうか」
「なにを?」
「三十年前……いえ、あなたにとっては、ほんの一瞬でしょうが」
ロワイヤルの声が、少しだけ震えた。
「王城の西棟で、大きな火災があった夜のことを」
キクコは、ほんのわずかに目を細めた。
「ああ……あの時の、泣き虫の坊やね」
「……はい」
国王は、苦笑とも自嘲ともつかぬ表情を浮かべる。
「幼い私は、逃げ遅れ、炎と煙に囲まれて……何もできず、泣き叫ぶだけでした」
その記憶は、今も鮮明だ。
熱、煙、崩れ落ちる天井——そして。
「……あなたが、現れた」
ロワイヤルは、はっきりとキクコを見た。
「迷いもなく炎の中に踏み込み、私を抱き上げて、外へ連れ出してくれた。
あの時の光景は……今も、夢に見るほどです」
キクコは肩をすくめた。
「そんな大層な話じゃないわ。ただ、近くにいたから助けただけ」
「それでも——」
ロワイヤルは、深く頭を下げたまま続ける。
「私は、その時から……あなたには、頭が上がらないのです。
王である前に、一人の命を救われた者として」
室内に、静かな沈黙が落ちた。
やがて、キクコが口を開く。
「……で?」
あまりにも軽い一言に、ロワイヤルは顔を上げた。
「私がこんな時間に来た理由、分かってるでしょ?」
「……はい」
「ジルベールに、“お灸”を据えてほしいの」
きっぱりと、しかし淡々と告げる。
「王太子として、じゃないわ。
一人の人間として、あれがどれだけ愚かで、危険で、恥ずかしい行為だったか——骨の髄まで叩き込んでちょうだい」
ロワイヤルの瞳に、怒りが燃え上がった。
「当然です。
いえ……私が、必ずそうします」
拳を握り締め、低く言い切る。
「王家の名を盾にして、他者を踏みにじるなど、決して許されることではない。
あれは、王の器ではありません」
キクコは、満足そうに微笑んだ。
「そう。それでいいわ」
立ち上がり、扇子を軽く閉じる。
「重くしすぎなくていいの。
ただ、二度と同じ過ちを犯さない程度に……ね」
「心得ております」
ロワイヤルは、深く、深く頭を下げた。
「キクコ様。改めて——本当に、申し訳ありませんでした」
「いいのよ」
キクコは背を向け、扉へと向かう。
「どうせ、退屈しのぎにはなったし」
そして、振り返りもせず、静かに言った。
「……次に会う時、あの子が少しは“王子”らしくなっていることを期待してるわ」
扉が閉じる。
深夜の王城に残されたロワイヤルは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
——そして、静かに呟く。
「……雷を落とすには、十分すぎる理由だな」
王太子ジルベールにとって、本当の試練は、これから始まるのだった。
王城リュシアンが静寂に包まれる深夜。
昼間の喧騒が嘘のように消え、回廊には松明の淡い灯りだけが揺れていた。
本来、この時間に王城を訪れる者などいない。
ましてや、正式な通達もなく、正門を通ることもなく——
それでも、ひとりの少女は、何の咎めもなく王城の奥へと足を踏み入れていた。
「……相変わらず、無駄に広いわね。掃除が大変そう」
小さく呟きながら歩くのは、キクコ・イソファガス。
昼間、婚約破棄という大茶番の渦中にいた少女は、今も変わらぬ十七歳の姿のまま、深夜の王城を我が物顔で進んでいた。
衛兵たちは彼女に気づくと、はっと息を呑み、慌てて頭を下げる。
名を名乗らずとも通される——それは、この城の一部の者たちが、彼女の「正体」を知っている証でもあった。
やがて辿り着いたのは、国王ロワイヤルの私室にほど近い、小さな謁見室。
扉を叩くことなく、キクコは軽くノックし、そして告げた。
「起きてるでしょ、ロワイヤル。ちょっと顔を貸してちょうだい」
一拍の沈黙。
次の瞬間、慌てた足音と共に扉が開かれた。
「——キ、キクコ様!?」
そこに立っていたのは、現国王ロワイヤル。
威厳ある王冠も、昼の正装もない。寝間着の上に急ごしらえで羽織を纏った姿で、目を見開いていた。
「こんな時間に、突然……一体、何事ですか!?」
「なにって。昼間の“後始末”よ」
キクコはこともなげにそう言い、室内へと入る。
「それとも、私が来る心当たり、まったくない?」
ロワイヤルは一瞬言葉を失い、そして——深く、深く、頭を下げた。
「……申し訳ありません」
それは、国王としてではなく。
一人の人間としての、心からの謝罪だった。
「本当に……本当に、申し訳ありません。あの愚かな息子が、取り返しのつかない無礼を……」
キクコは椅子に腰掛けると、軽く手を振った。
「いいのよ。あなたが直接やったわけじゃないもの」
そう言いながらも、その瑠璃色の瞳は鋭く、静かな怒りを湛えている。
「でもね、さすがに“あれ”は看過できないわ」
ロワイヤルは歯を食いしばった。
「ええ……私も、報告を受けた瞬間、血が逆流する思いでした。
あの子は……いや、王太子ジルベールは、イソファガス家の重みも、あなたの存在も、何一つ理解していなかった」
そう言ってから、ふっと目を伏せる。
「……キクコ様。覚えておいででしょうか」
「なにを?」
「三十年前……いえ、あなたにとっては、ほんの一瞬でしょうが」
ロワイヤルの声が、少しだけ震えた。
「王城の西棟で、大きな火災があった夜のことを」
キクコは、ほんのわずかに目を細めた。
「ああ……あの時の、泣き虫の坊やね」
「……はい」
国王は、苦笑とも自嘲ともつかぬ表情を浮かべる。
「幼い私は、逃げ遅れ、炎と煙に囲まれて……何もできず、泣き叫ぶだけでした」
その記憶は、今も鮮明だ。
熱、煙、崩れ落ちる天井——そして。
「……あなたが、現れた」
ロワイヤルは、はっきりとキクコを見た。
「迷いもなく炎の中に踏み込み、私を抱き上げて、外へ連れ出してくれた。
あの時の光景は……今も、夢に見るほどです」
キクコは肩をすくめた。
「そんな大層な話じゃないわ。ただ、近くにいたから助けただけ」
「それでも——」
ロワイヤルは、深く頭を下げたまま続ける。
「私は、その時から……あなたには、頭が上がらないのです。
王である前に、一人の命を救われた者として」
室内に、静かな沈黙が落ちた。
やがて、キクコが口を開く。
「……で?」
あまりにも軽い一言に、ロワイヤルは顔を上げた。
「私がこんな時間に来た理由、分かってるでしょ?」
「……はい」
「ジルベールに、“お灸”を据えてほしいの」
きっぱりと、しかし淡々と告げる。
「王太子として、じゃないわ。
一人の人間として、あれがどれだけ愚かで、危険で、恥ずかしい行為だったか——骨の髄まで叩き込んでちょうだい」
ロワイヤルの瞳に、怒りが燃え上がった。
「当然です。
いえ……私が、必ずそうします」
拳を握り締め、低く言い切る。
「王家の名を盾にして、他者を踏みにじるなど、決して許されることではない。
あれは、王の器ではありません」
キクコは、満足そうに微笑んだ。
「そう。それでいいわ」
立ち上がり、扇子を軽く閉じる。
「重くしすぎなくていいの。
ただ、二度と同じ過ちを犯さない程度に……ね」
「心得ております」
ロワイヤルは、深く、深く頭を下げた。
「キクコ様。改めて——本当に、申し訳ありませんでした」
「いいのよ」
キクコは背を向け、扉へと向かう。
「どうせ、退屈しのぎにはなったし」
そして、振り返りもせず、静かに言った。
「……次に会う時、あの子が少しは“王子”らしくなっていることを期待してるわ」
扉が閉じる。
深夜の王城に残されたロワイヤルは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
——そして、静かに呟く。
「……雷を落とすには、十分すぎる理由だな」
王太子ジルベールにとって、本当の試練は、これから始まるのだった。
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