婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾

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第12話 守られているだけだと思われるのは、我慢ならない

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第12話 守られているだけだと思われるのは、我慢ならない

 帝国皇城での生活が、少しずつ「日常」と呼べる形を取り始めていた。

 もっとも、私にとっての日常は、王国で過ごしていた頃のそれとは、まったく違う。

 朝は、皇帝の執務開始より早く起こされる。
 理由は単純だ。

「陛下の隣に立つ以上、最低限の理解は必要ですから」

 そう言って、私の前に分厚い資料を置いたのは、宰相補佐官のグレイヴだった。

 鋭い目つき。
 無駄のない動き。
 そして、感情をほとんど表に出さない。

(……いかにも、できる人)

 同時に、
 私を歓迎していない人でもあった。

「帝国の統治区分、税制、軍制、外交慣例」
「最低限、これだけは頭に入れてください」

「……最低限、ですか?」

「はい」

 即答。

「皇帝陛下の“隣”に立つ以上、
 何も分からないでは済まされません」

 言葉は丁寧だが、容赦はない。

 私は、小さく息を吐いた。

「分かりました」

 そう答えた自分に、少しだけ驚く。

 逃げたいと思わなかった。
 投げ出したいとも思わなかった。

(……不思議)

 王国にいた頃は、
 “令嬢らしくしていればいい”
 それで済まされていた。

 でも、ここでは違う。

 分からないなら、学べ。
 それだけだ。

 午前中は、ひたすら説明と質疑。
 昼を過ぎても、終わらない。

「……少し、休憩を入れましょうか」

 さすがにそう言ったのは、同席していた女官長だった。

 グレイヴは、わずかに眉を動かす。

「……陛下の予定次第です」

 女官長が、私の方を見る。

「ビアンキーナ様、大丈夫ですか?」

「ええ」

 即答した。

「続けてください」

 その言葉に、グレイヴの視線が一瞬だけ鋭くなる。

(……今、見られたわね)

 試されている。
 はっきりと、そう感じた。

 午後。

 皇帝の執務室に呼ばれたのは、私だけではなかった。

 将軍、外交官、財務官。
 帝国の中枢にいる人間が、揃っている。

(……場違いじゃない?)

 一瞬、そう思った。
 だが、足は止めなかった。

 皇帝は、私を見ると一度だけ頷く。

「座れ」

 指示は、それだけ。

 会議は、すぐに始まった。

 辺境地域での関税問題。
 隣国との小規模な衝突。
 それぞれの報告が、淡々と続く。

 私は、黙って聞いていた。

 ――最初は。

「……ビアンキーナ」

 突然、名を呼ばれる。

 心臓が、少しだけ跳ねた。

「はい」

「今の話を聞いて、どう思う」

 一斉に、視線が集まる。

(……これ、答えなきゃいけないのよね)

 頭の中で、午前中に詰め込まれた情報が回る。

「……短期的には、
 帝国側が譲歩したように見える案ですが」

 言葉を選ぶ。

「長期的には、
 交易路を握るのは、こちらです」

 沈黙。

「関税を一時的に下げることで、
 相手に“主導権を持っている”と錯覚させる」

 財務官が、眉をひそめた。

「……その先は?」

「その後、条件を変えます」

 私は、はっきりと言った。

「主導権がこちらにあると、
 相手が気づいた時には、
 もう抜けられない形で」

 一瞬、空気が凍る。

 だが、次の瞬間。

「……面白い」

 皇帝が、低く笑った。

「聞いたか」

 重臣たちに向けて言う。

「“守られているだけの女”なら、
 こんな発想は出てこない」

 その一言で、
 私を見る目が変わった。

 会議後。

 廊下で、グレイヴに呼び止められる。

「……失礼ですが」

「はい」

「あなたは、本当に“ただの令嬢”ですか?」

 その問いに、私は少し考えてから答えた。

「ただの令嬢でした」

 過去形。

「でも――」

 一歩、彼の方を見る。

「もう、そう扱われるつもりはありません」

 グレイヴは、しばらく私を見つめていた。

 やがて、深く一礼する。

「……失礼しました」

 その態度は、最初とは明らかに違っていた。

 夜。

 部屋に戻ると、どっと疲れが押し寄せる。

(……でも)

 不思議と、嫌ではなかった。

 私は、椅子に腰を下ろし、静かに考える。

(守られているだけだと思われるのは、
 我慢ならない)

 私は、
 誰かの失敗の被害者でも、
 誰かの所有物でもない。

 帝国に来たのは、
 “救われるため”じゃない。

 立つためだ。

 その夜、皇帝から短い伝言が届いた。

『今日の発言、悪くなかった』

 たったそれだけ。

 けれど――。

(……十分だわ)

 私は、ゆっくりと笑った。

 この城で、
 私は“守られているだけの存在”ではない。

 そう証明する一日だった。
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