婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾

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第13話 「皇帝の隣の女」は、誰なのか

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第13話 「皇帝の隣の女」は、誰なのか

 帝国皇城の空気は、噂が伝播する速度まで速いらしい。

 それに気づいたのは、ほんの些細な違和感からだった。

「……あれ?」

 回廊を歩いていると、いつもより視線が多い。
 正確には、距離を保った視線だ。

 以前は、
 好奇心。
 探る目。
 あるいは、露骨な警戒。

 それが今は――。

(……評価、されてる?)

 値踏みとは違う。
 観察とも、少し違う。

 **“立場を測っている”**視線。

 私は、内心で小さく溜息を吐いた。

(……何か、起きてるわね)

 女官長が、私に追いついてきた。

「ビアンキーナ様」

「はい?」

「最近、城内で噂が増えております」

 やはり。

「……どんな噂ですか」

 女官長は、少し言いにくそうに目を伏せる。

「“皇帝陛下の隣に立つ女性は、
 単なる保護対象ではないのではないか”
 ……と」

(……随分、控えめね)

 私は苦笑した。

「それだけですか?」

「いえ」

 女官長は、はっきりと続ける。

「“次期の要職候補では”
 “外交上の切り札では”
 “もしかして――”」

 言葉を切る。

「“未来の皇妃ではないか”
 ……と」

 足が、止まりかけた。

(……ちょっと待って)

 それは、さすがに話が飛びすぎている。

「否定、されていませんよね?」

 女官長は、慎重に言った。

「陛下が、その手の噂を
 止める指示を出しておられない
 ……のです」

 胸の奥が、静かに鳴った。

(……なるほど)

 放置は、肯定と同義。
 少なくとも、帝国では。

 私が何かを言う前に、女官長は深く一礼した。

「お気をつけください。
 この噂は、
 “期待”と同時に“警戒”も生みます」

「……ええ」

 それは、十分すぎるほど分かっていた。

 その日の午後、私は再び会議に同席していた。

 今回は、同席ではなく、名指しだった。

「ビアンキーナ、意見は?」

 皇帝の問いに、私は一瞬だけ間を置く。

 ――慣れない。

 自分の名が、自然に会議の中で使われることに。

「……この条件では、相手国は応じません」

 私は、資料に視線を落としたまま言った。

「表向きの譲歩が、足りません」

 外交官が眉を上げる。

「では、どこまで譲る?」

「譲るのは、条件ではありません」

 私は、顔を上げた。

「顔です」

 場が、静まる。

「式典を用意してください」
「こちらが主導で」
「“敬意を払っている”という演出が必要です」

 誰かが、息を呑む音がした。

「……演出、か」

 皇帝が、低く呟く。

「はい」

 私は、はっきりと言う。

「相手が欲しいのは、実利よりも、
 “対等に扱われている”という実感です」

 沈黙。

 そして。

「採用だ」

 皇帝の一言で、決まった。

 会議が終わったあと、
 重臣の一人が、私に声をかけてきた。

「……失礼ですが」

「はい」

「あなたは、本当に王国で
 “捨てられた令嬢”だったのですか?」

 率直すぎる問いに、私は一瞬言葉を探す。

「捨てられた、というより……」

 少しだけ、考えてから答えた。

「選ばれなかった、ですね」

 その答えに、重臣は静かに笑った。

「なるほど」

 その笑みには、侮りはなかった。

 夕刻。

 私のもとに、正式な招待状が届いた。

 差出人は、帝国有力貴族の一人。

 ――茶会への招待。

(……来たわね)

 これは、社交だ。
 同時に、選別でもある。

 誰が、私に近づき、
 誰が、距離を取るのか。

 そして。

 夜、バルコニーで一人考えていると、
 背後から声がした。

「忙しそうだな」

 皇帝だった。

「……噂のせいでしょうか」

 率直に言う。

 皇帝は、隣に立ち、夜景を見下ろす。

「噂は、放っておいた」

「知っています」

「不満か?」

 私は、少し考えてから答えた。

「いいえ」

 正直だった。

「ただ……覚悟は、必要だと思いました」

 皇帝は、こちらを見る。

「覚悟?」

「はい」

 私は、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「皇帝の隣に立つ、ということは」
「守られるだけでは済まない」

 視線を逸らさずに、続ける。

「利用され、試され、
 それでも立ち続ける覚悟が要る」

 皇帝は、しばらく黙っていた。

 やがて、低く言う。

「……逃げるつもりはないか」

「ありません」

 即答だった。

 その言葉に、皇帝はわずかに笑う。

「ならば、噂も役に立つ」

 夜風が、二人の間を通り抜ける。

「お前は、
 “守られる女”から
 “立場を持つ女”に移った」

 その一言が、胸に落ちた。

(……そうね)

 私はもう、
 名前のない存在ではない。

 帝国で、
 “皇帝の隣の女”と呼ばれる存在になった。

 それが意味するものを、
 私は、まだすべて理解してはいない。

 けれど。

 理解しようとする場所に、
 ようやく立ったのだ。

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