婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾

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第14話 笑顔だけで、試される

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第14話 笑顔だけで、試される

 招待状は、上質な紙に簡潔な文面だった。

 ――アウレリア・フォン・グラント侯爵夫人主催
 ――皇城内小サロン
 ――午後三時

(……王道ね)

 帝国でも、茶会は茶会。
 ただし、ここでは「情報」と「立場」が、砂糖よりも甘く、
 同時に、刃物よりも鋭い。

「過度に着飾る必要はございません」

 女官長がそう言って用意したのは、
 淡い色合いのドレスだった。

 装飾は控えめ。
 だが、生地と仕立ては一級。

(……“分かっている人向け”ね)

 私は、鏡に映る自分を一度だけ確認し、頷いた。

 皇城内の小サロンは、思ったよりも静かだった。

 広すぎず、狭すぎず。
 集まっているのは、十数名。

 侯爵夫人、公爵家の令嬢、将軍夫人、外交官の妻。
 帝国の中枢に近い女性たちだ。

(……逃げ場はない)

 私が入室した瞬間、
 会話が、ほんの一拍だけ止まった。

 それだけで、十分だった。

(歓迎されてる……わけじゃない)

 だが、拒絶もされていない。

 侯爵夫人が、優雅に微笑む。

「ようこそ、ビアンキーナ様」

「お招きいただき、ありがとうございます」

 礼を尽くす。
 深すぎず、浅すぎず。

 着席すると、すぐに最初の“探り”が始まった。

「帝国の生活には、もう慣れました?」

 穏やかな声。
 害意はないように見える。

「ええ、おかげさまで」

「まあ、それは良かった」

 微笑み合う。

 ――ここまでは、表面。

 次に来たのは、年若い伯爵夫人だった。

「王国では、随分とご苦労なさったとか」

 さらりとした口調。
 だが、視線は鋭い。

(……来たわね)

「ええ」

 私は、曖昧にしなかった。

「ただ、今は帝国での生活に集中しております」

 “過去”を否定も肯定もしない。

 それが、正解だ。

「まあ……お強いのですね」

 別の夫人が、感心したように言う。

「普通なら、
 あのような経験をすれば、
 人前に出るのも辛いでしょうに」

 私は、少しだけ微笑んだ。

「辛いかどうかは、
 立ち止まるかどうかで決まりますから」

 一瞬、沈黙。

 そして、空気が少し変わった。

(……今の、通った)

 同情を欲しがらない。
 弱さを売りにしない。

 それだけで、
 “守られているだけの女”ではないと伝わる。

 だが、次はもう少し露骨だった。

「ところで……」

 声を潜めるでもなく、
 ある公爵夫人が言った。

「皇帝陛下とは、
 どのようなご関係なのかしら?」

 場の空気が、張り詰める。

(……核心ね)

 私は、カップを置き、落ち着いて答えた。

「庇護を受けています」

 事実。

「そして、学ばせていただいています」

 これも、事実。

 だが、
 それ以上は言わない。

「まあ……それだけ?」

 含みのある声。

 私は、少しだけ首を傾けた。

「それ以上を語る立場では、まだありません」

 控えめ。
 だが、下ではない。

 その返答に、数名が視線を交わす。

(……合格、ではないけど)

 少なくとも、
 “排除対象”からは外れた。

 茶会の終盤。

 侯爵夫人が、全体に向けて言った。

「今日のお茶会は、
 “お互いを知る”ためのものです」

 視線が、私に向く。

「帝国に新しく加わった存在を、
 どう迎えるか――」

 言葉を切り、微笑む。

「それを、私たちも考えています」

 私は、静かに一礼した。

「光栄です」

 本心だった。

 歓迎されるかどうかは、別として。
 考慮の対象にはなった。

 それだけで、十分だ。

 茶会が終わり、
 回廊を歩いていると、女官長が小声で言った。

「……お疲れさまでございました」

「ええ」

「いかがでしたか」

 私は、少し考えてから答えた。

「敵意は、ありませんでした」

「……はい」

「ただし」

 一歩、歩きながら続ける。

「油断すれば、
 すぐに“飾り”にされますね」

 女官長は、静かに頷いた。

「帝国の貴族社会は、
 “役割を持たぬ者”に厳しいのです」

「分かっています」

 だからこそ。

(……立場を、作る)

 夜。

 部屋に戻ると、
 皇帝から短い伝言が届いていた。

『茶会はどうだった』

 私は、少し考えてから返事を書く。

『無事に終わりました』
『歓迎ではありませんが、排除もされませんでした』

 少し間を置いて、返書が届く。

『上出来だ』

 それだけ。

 だが、その一言で十分だった。

(……私は、試された)

 そして、
 立っていられた。

 帝国の女社会は、
 剣も血も使わない。

 代わりに、
 笑顔と沈黙で、人を切る。

 私は、その中に一歩、足を踏み入れた。

 もう、戻るつもりはない。

 ここで――
 立つ。

 それが、私の選択だ。


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