婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾

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第21話 小さな妨害は、よく切れる刃になる

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第21話 小さな妨害は、よく切れる刃になる

 それは、露骨な妨害ではなかった。

 だからこそ、質が悪い。

 朝の執務が始まる前、私は財務府から届いた書類に目を通していた。
 北方鉱山領の税制再編――第二区画の試算結果。

(……数字が、合わない)

 一見すると、誤差の範囲。
 だが、意図的にずらされている。

 ほんのわずか。
 “気づかれにくい程度”に。

(……これは)

 女官長に、声をかける。

「この資料、
 どこを経由しましたか」

「財務府第三係です」

(……やっぱり)

 第三係は、
 以前の評議で強く反対していた派閥の管轄。

 だが、私は表情を変えなかった。

「差し戻しは?」

「いいえ。
 形式上は、問題ありません」

 そう。
 形式上は。

 だから、この妨害は巧妙だ。

(……普通なら、
 “気づかなかった側”が責められる)

 だが。

(私は、
 “気づく側”にいる)

 私は、静かに言った。

「このまま、
 評議に出しましょう」

 女官長が、わずかに驚く。

「……よろしいのですか」

「ええ」

 そして、続けた。

「ただし、
 別の資料も用意します」

 評議当日。

 会議室には、
 例の第三係を束ねる貴族――
 ローデン伯爵の姿があった。

 彼は、余裕のある表情で私を見る。

(……仕掛けた側の顔ね)

 議題が進み、
 例の試算資料が提示される。

「これが、
 北方鉱山領再編の最新試算です」

 ローデン伯爵が、
 わざとらしく言った。

「数字をご覧になれば分かる通り、
 再編による効果は限定的ですな」

 何人かが、頷く。

「初期投資に見合わない、
 という判断も――」

「少々、よろしいでしょうか」

 私は、静かに口を開いた。

 ローデン伯爵が、ちらりとこちらを見る。

「どうぞ」

 余裕の声。

 私は、
 別に用意していた資料を机に置いた。

「今、提示された試算は、
 “第三係版”ですね」

 その言葉で、
 空気が、わずかに動く。

「同じ条件で、
 別経路で算出した試算があります」

 重臣たちの視線が、集まる。

「……何が違うのですか」

 財務次官ヴァルデンが、低く問う。

「計算式は、同じです」

 私は、淡々と答える。

「違うのは、
 “前提の置き方”です」

 資料を指で示す。

「こちらでは、
 技師流出率を
 過去平均ではなく、直近二年で算出しています」

 ざわり。

「第三係版では、
 五年前の安定期を含めています」

 ローデン伯爵の表情が、
 一瞬だけ硬くなる。

「……それが、何か?」

「結果が、
 逆転します」

 私は、はっきりと言った。

「再編しない場合、
 三年以内に税収が急落します」

「再編した場合、
 初年度は横ばい、
 二年目から回復します」

 沈黙。

 私は、言葉を重ねる。

「第三係版は、
 “今は困らない”数字です」

「ですが、
 将来を切り捨てた数字でもあります」

 視線が、ローデン伯爵に集まる。

 彼は、口を開こうとして――
 止まった。

(……言い訳できない)

 ヴァルデンが、静かに言う。

「なぜ、
 前提条件を変えた」

 ローデン伯爵は、
 一瞬、言葉を探した。

「……より安定した数値を
 用いたまでです」

 私は、被せる。

「安定した“過去”ですね」

 淡々と。

「ですが、
 我々が扱うのは、
 未来の政策です」

 その一言で、
 勝負は決まった。

 評議は、私の試算を基準に進められることになった。

 休憩時間。

 ローデン伯爵が、私に近づいてくる。

「……君は、
 ずいぶん用心深い」

「仕事ですから」

 笑顔は見せない。

「今回の件は、
 偶然だと思っておこう」

「お好きに」

 私は、はっきり言った。

「ただし、
 次は偶然では済みません」

 彼は、苦々しく去っていった。

 夜。

 皇帝の執務室。

「妨害があったな」

「はい」

「どうした」

「使いました」

 皇帝が、わずかに目を細める。

「詳しく言え」

「彼らの数字を、
 公式の比較対象にしました」

 皇帝は、短く笑った。

「……上等だ」

「小細工は、
 大抵、自分の首を絞める」

 私は、頷いた。

「敵がいるなら、
 形を見せた方が楽です」

「隠れて動かれるより、
 よほど」

 皇帝は、満足そうに言った。

「もう、
 お前を軽く見る者はいない」

「……敵も含めて、ですね」

「そうだ」

 夜風が、回廊を抜ける。

(……小さな妨害)

 だが、それは
 こちらの立場を強くする材料になった。

 敵は、
 こちらが見ていることを知った。

 味方は、
 こちらが“守れる”ことを知った。

 私は、歩きながら思う。

(……これでいい)

 正面からの対立ではない。
 怒鳴り合いでもない。

 だが、
 確実に、立場を積み上げている。

 小さな刃は、
 扱い次第で、
 一番よく切れる。

 私は、次の資料に手を伸ばした。

 敵は、
 もう一手打ってくるだろう。

 ――それなら、
 二手先を用意するだけだ。


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