婚約破棄された令嬢ですが、判断を急がない領地改革を始めました

鷹 綾

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第8話 試される裁量

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第8話 試される裁量

 与えられた権限は、決して大きなものではなかった。
 物流と税の一部――それも、試験的に三か月。

 だが私にとって、それは十分すぎるほどだった。

 シュヴァルツリッター公爵領の朝は早い。
 私は夜明け前に起き、簡単な身支度を整えると、執務室へ向かった。机の上には、前日に集めさせた資料が整然と並んでいる。

「……まずは、現場を見ること」

 数字だけでは足りない。
 数字が生まれる場所を、知らなければ。

 最初に向かったのは、交易拠点の倉庫だった。
 石造りの建物がいくつも並び、荷車や人夫たちが忙しなく行き交っている。

「公爵様の補佐……?」

 現場責任者の男は、私を見るなり困惑した表情を浮かべた。

「はい。本日はこちらの視察に参りました」

 私は名乗り、事前に用意していた通行証を示す。

「……失礼ですが、なぜ突然?」

「突然ではありません。これまで“当然”とされていたことを、確認しに来ただけです」

 男は戸惑いながらも、案内を始めた。

 倉庫内は整っているように見えた。
 だが、よく見れば――

「この荷は、なぜこちらに?」

「ああ、それは……昔から、そう決まっているので」

 また、その言葉。

 昔から。
 慣習だから。

「運び直しに、どれほど時間がかかりますか?」

「半日ほど……」

「では、その半日で、人件費はいくら発生しますか?」

 男は言葉に詰まった。

「……計算したことが、ありません」

「では、今ここで計算しましょう」

 私は、手帳を開き、簡単な数字を書き出す。

「この倉庫だけで、月に三回。
 それを一年続ければ――」

 男の顔色が変わる。

「……こんなに、無駄が?」

「無駄、というより、見直されていないだけです」

 私は、穏やかに言った。

「誰も悪くありません。
 ただ、“考える役割”がいなかっただけ」

 倉庫を出る頃には、現場の空気が明らかに変わっていた。
 警戒は薄れ、代わりに、真剣な眼差しが向けられる。

 次に向かったのは、税の徴収を担当する部署だった。

「……新しい裁量を与えられた補佐、ですか」

 担当官は、露骨に慎重な態度を見せた。

「税は、民の生活に直結します。軽々しく変えられるものではありません」

「ええ。だからこそ、数字で確認します」

 私は、徴収記録を一つずつ確認していく。

「こちらの地域は、近年、生産量が落ちていますね」

「干ばつの影響です」

「それでも、税率は変わっていない」

「……規定ですから」

「規定は、人のためにあります。人が規定のためにあるのではありません」

 静かな言葉だった。
 だが、部屋の空気が張り詰める。

「一時的な減税措置を提案します」

「なっ……!」

 担当官が声を上げる。

「短期的には収入が減ります。ですが、離農を防ぎ、生産が戻れば、結果的に増収になります」

 私は、視線を逸らさずに続けた。

「これは、賭けではありません。計算です」

 担当官は、しばらく黙り込み、やがて、低く息を吐いた。

「……公爵様は、この提案を?」

「すでに、概要は共有済みです」

 それは事実だった。
 ノアール公爵は、詳細に口出しをせず、私の判断に任せると言った。

 夕刻、城へ戻ると、ノアール公爵が執務室にいた。

「一日で、ずいぶん動いたな」

「はい。現場を見なければ、判断できませんので」

 私は、簡潔に報告をまとめる。

 物流の見直し。
 税率調整の試案。
 人材再配置の候補。

 彼は、黙って聞いていた。

「……反発は?」

「ありました。ですが、理解もされ始めています」

「そうか」

 それだけだった。
 だが、その沈黙は、否定ではない。

「一つだけ、覚えておけ」

 ノアール公爵は、私を見た。

「裁量とは、責任だ。
 失敗すれば、君の名で非難される」

「承知しています」

「それでも?」

「それでも、やります」

 迷いはなかった。

 彼は、短く頷いた。

「なら、続けろ」

 その一言で、十分だった。

 夜、部屋に戻り、私は一人、椅子に腰を下ろした。

 今日一日で、理解したことがある。

 この領地は、変われる。
 そして――

 私自身もまた、
 “試される立場”から、“試す立場”へ移りつつある。

「……面白いわね」

 思わず、そう呟いていた。

 王宮では、決して味わえなかった感覚。
 責任と裁量が、同時に与えられる場所。

 シュヴァルツリッター公爵領は、冷たい。
 けれど、その冷たさは――

 私を、確実に前へ進ませていた。
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