婚約破棄された令嬢ですが、判断を急がない領地改革を始めました

鷹 綾

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第31話 任せるという決断

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第31話 任せるという決断

 朝の執務室は、久しぶりに静かだった。

 机の上に積まれるはずの書類は少なく、窓から差し込む光が、紙の白さを際立たせている。
 それは、仕事が減ったからではない。

(……流れが、変わった)

 私は、そう感じていた。

 各部門から上がってくる報告は、以前よりも短く、しかし中身が濃い。
 判断の理由、想定されるリスク、代替案――それらが簡潔に整理されている。

 そして何より、
 「ご判断を仰ぎます」
 という一文が、ほとんど見られなくなった。

 午前の会議でも、それは顕著だった。

「この件は、部門内で検討し、こちらの方針で進めます」

 部門長が、迷いなく言い切る。

「懸念点は二つありますが、対処案は――」

 私は、最後まで聞いてから一言だけ添えた。

「記録を残してください。
 判断の経緯が分かる形で」

「承知しました」

 それだけで、会議は次に進む。

 かつてなら、私自身が細部まで確認し、
 修正点を指摘し、結論を出していた。

 だが今は違う。

(私は、決めていない)

(決める人を、決めている)

 昼前、ノアール公爵が執務室を訪れた。

「静かだな」

「ええ」

 私は、頷く。

「少し、心配になりますか?」

「いや」

 公爵は、短く笑った。

「ようやく、回り始めたように見える」

 その言葉に、胸の奥がわずかに緩む。

「ただし――」

 公爵は、窓の外に目を向けた。

「任せれば、必ず失敗もするぞ」

「承知しています」

 私は、即答した。

「ですが、失敗を避けるために任せない方が、
 もっと大きな失敗になります」

 公爵は、何も言わずに頷いた。

 午後、私は久しぶりに城下をゆっくりと歩いた。

 市場では、商人たちが活気ある声を上げている。
 価格交渉も、物流の調整も、以前よりスムーズだ。

「最近、補佐官様をあまり見かけませんね」

 馴染みの商人が、冗談めかして言う。

「不安ですか?」

「いえ、逆です」

 彼は、にやりと笑った。

「誰に話を通せばいいか、分かるようになりました」

 その言葉は、評価であり、同時に警鐘でもある。

(私が前に出すぎると、また戻ってしまう)

 城へ戻る途中、若い官吏が追いかけてきた。

「補佐官様!」

「どうしました」

「……確認、ではなく相談なのですが」

 彼は、少し緊張した面持ちで言う。

「判断自体は、部門で固めました。
 ただ、私自身が、その判断を引き受けきれているか不安で」

 私は、足を止めた。

「不安なのは、なぜですか」

「もし失敗したら、と考えてしまって」

 正直な言葉だ。

 私は、少し考えてから答えた。

「失敗したとき、あなたは何をしますか」

「……原因を整理し、報告し、次に活かします」

「それができるなら、十分です」

 彼は、目を見開いた。

「結果ではありません。
 引き受ける覚悟があるかどうかです」

 彼は、深く息を吸い、頷いた。

「……分かりました。進めます」

 その背中を見送りながら、私は思う。

 任せるとは、
 仕事を投げることではない。

 引き受ける覚悟を、信じることだ。

 夜、執務室で一日の終わりを迎える。

 日誌を開き、今日の出来事を振り返る。

 私は、以前よりも楽になっている。
 だが、それは責任を放棄したからではない。

(責任の形が、変わった)

 全てを自分で背負う責任から、
 背負う人を支える責任へ。

 それは、見えにくく、評価されにくい。
 だが、最も重要な役割だ。

 窓の外では、城下の灯りが変わらず続いている。

 この光は、私一人のものではない。
 多くの判断と、多くの覚悟が積み重なって生まれている。

 私は、静かに灯りを落とした。

 任せるという決断は、
 弱さではない。

 強さの、次の形なのだから。
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