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第33話 沈黙が示すもの
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第33話 沈黙が示すもの
朝の執務室は、静かすぎるほど静かだった。
書類の山はなく、報告は定刻に揃い、急を要する案件も見当たらない。
窓から差し込む光が、床に淡く広がっている。
(……順調すぎる)
その感覚が、胸の奥に小さく引っかかった。
改革が進み、責任の輪郭が明確になり、判断は分散された。
組織としては、理想的な状態に近づいている。
だが――
あまりにも、波が立たなさすぎる。
午前の定例報告でも、同じだった。
「特記事項はありません」
「問題なし」
「計画通りです」
それぞれが、落ち着いた声でそう告げる。
嘘ではない。
だが、言葉の端に“余白”がない。
「……質問は?」
私がそう促しても、誰も口を開かなかった。
会議が終わり、職員たちが退室した後、私は一人で椅子に深く腰掛けた。
(沈黙が、続いている)
沈黙は、安定の証にも見える。
だが同時に、違和感を覆い隠す膜にもなる。
昼前、私は監査担当を呼び出した。
「最近、報告が揃いすぎている気がします」
彼は、一瞬だけ目を伏せた。
「……お気づきでしたか」
「何かありますね」
「数字や期限に問題はありません。
ただ――」
彼は、慎重に言葉を選ぶ。
「“相談されない問題”が、増えています」
私は、ゆっくりと息を吸った。
「つまり?」
「判断は現場で完結しています。
ですが、迷いの痕跡が、報告に出てこない」
(迷いは、消えない)
(消えたように見える時こそ、危ない)
「原因の心当たりは?」
「……皆、“ちゃんとできている”と思われたいのだと」
その言葉に、胸がわずかに痛んだ。
責任の輪郭を明確にした。
任せると宣言した。
失敗も許した。
それでもなお――
評価される存在の前では、人は沈黙を選ぶことがある。
「午後、現場を回ります」
私は、そう告げた。
午後の視察は、事前連絡なし。
いつものように、倉庫、工房、市場を巡る。
「最近、何か気になることはありませんか」
私は、同じ質問を、何人にも投げかけた。
「特にありません」
「順調です」
「問題は出ていません」
答えは、ほぼ同じだった。
だが、ある工房で、私は小さな変化を見逃さなかった。
若い職人が、作業の合間に視線を合わせ、何か言いかけて、口を閉じた。
「……何か、言いかけましたね」
私がそう言うと、周囲の空気が一瞬、固まる。
「いえ、そんな……」
彼は、慌てて首を振った。
「大したことではありません」
「大したことかどうかは、私が決めます」
穏やかな声で、そう告げる。
「話してください」
沈黙が落ちる。
長い、長い沈黙。
やがて、彼は小さく息を吐いた。
「……本当に、小さな違和感なんです」
「それで構いません」
「新しい工程、今は問題なく動いています。
ですが……」
言葉が、途切れる。
「ですが?」
「……このまま規模を広げるのは、少し怖い気がして」
周囲が、ざわつく。
「データ上は、問題ありません」
彼は、急いで付け足す。
「ただ、感覚として……」
私は、頷いた。
「ありがとうございます」
その一言で、空気が変わった。
「感覚は、重要です。
数字になる前の兆候だから」
別の職人が、恐る恐る口を開く。
「……実は、私も似た感覚があります」
「どんな?」
「負荷が、じわじわ増えている気がするんです」
言葉が、連鎖し始める。
「調整の余地が、減ってきたような」
「余裕が、数字に出ていないだけかもしれませんが」
私は、彼らの言葉を遮らず、すべて聞いた。
城へ戻る道すがら、私は考える。
(沈黙は、解決ではない)
(声が出ない状態こそ、手を入れるべきだ)
夜、部門長たちを集め、短い会合を開いた。
「最近、報告がきれいすぎます」
率直に、そう切り出す。
「それは、悪いことではありません。
ですが、“違和感”が、共有されていません」
部門長の一人が、困ったように言った。
「……確かに、迷いを出すのは、少し躊躇します」
「なぜ?」
「任せてもらっている以上、
弱さを見せてはいけない気がして」
私は、首を振った。
「逆です」
視線を合わせる。
「違和感を出せることこそ、
任されている証です」
沈黙が、今度は肯定的なものに変わる。
「明日から、“違和感報告”を正式に設けます」
場が、ざわめく。
「結論はいりません。
根拠も、仮説で構いません」
「ただし――」
私は、言葉を切る。
「沈黙だけは、評価しません」
その夜、執務室で一人、私は日誌を開いた。
今日、最も重要だったのは、
問題を解決したことではない。
沈黙に、名前をつけたことだ。
言葉にならない違和感。
数字にならない不安。
それらを置き去りにしないことが、
組織を守る。
窓の外では、城下の灯りが変わらず続いている。
静かだ。
だが、もう“沈黙”ではない。
私は、ペンを置いた。
沈黙が示すものを、
見逃さないために。
朝の執務室は、静かすぎるほど静かだった。
書類の山はなく、報告は定刻に揃い、急を要する案件も見当たらない。
窓から差し込む光が、床に淡く広がっている。
(……順調すぎる)
その感覚が、胸の奥に小さく引っかかった。
改革が進み、責任の輪郭が明確になり、判断は分散された。
組織としては、理想的な状態に近づいている。
だが――
あまりにも、波が立たなさすぎる。
午前の定例報告でも、同じだった。
「特記事項はありません」
「問題なし」
「計画通りです」
それぞれが、落ち着いた声でそう告げる。
嘘ではない。
だが、言葉の端に“余白”がない。
「……質問は?」
私がそう促しても、誰も口を開かなかった。
会議が終わり、職員たちが退室した後、私は一人で椅子に深く腰掛けた。
(沈黙が、続いている)
沈黙は、安定の証にも見える。
だが同時に、違和感を覆い隠す膜にもなる。
昼前、私は監査担当を呼び出した。
「最近、報告が揃いすぎている気がします」
彼は、一瞬だけ目を伏せた。
「……お気づきでしたか」
「何かありますね」
「数字や期限に問題はありません。
ただ――」
彼は、慎重に言葉を選ぶ。
「“相談されない問題”が、増えています」
私は、ゆっくりと息を吸った。
「つまり?」
「判断は現場で完結しています。
ですが、迷いの痕跡が、報告に出てこない」
(迷いは、消えない)
(消えたように見える時こそ、危ない)
「原因の心当たりは?」
「……皆、“ちゃんとできている”と思われたいのだと」
その言葉に、胸がわずかに痛んだ。
責任の輪郭を明確にした。
任せると宣言した。
失敗も許した。
それでもなお――
評価される存在の前では、人は沈黙を選ぶことがある。
「午後、現場を回ります」
私は、そう告げた。
午後の視察は、事前連絡なし。
いつものように、倉庫、工房、市場を巡る。
「最近、何か気になることはありませんか」
私は、同じ質問を、何人にも投げかけた。
「特にありません」
「順調です」
「問題は出ていません」
答えは、ほぼ同じだった。
だが、ある工房で、私は小さな変化を見逃さなかった。
若い職人が、作業の合間に視線を合わせ、何か言いかけて、口を閉じた。
「……何か、言いかけましたね」
私がそう言うと、周囲の空気が一瞬、固まる。
「いえ、そんな……」
彼は、慌てて首を振った。
「大したことではありません」
「大したことかどうかは、私が決めます」
穏やかな声で、そう告げる。
「話してください」
沈黙が落ちる。
長い、長い沈黙。
やがて、彼は小さく息を吐いた。
「……本当に、小さな違和感なんです」
「それで構いません」
「新しい工程、今は問題なく動いています。
ですが……」
言葉が、途切れる。
「ですが?」
「……このまま規模を広げるのは、少し怖い気がして」
周囲が、ざわつく。
「データ上は、問題ありません」
彼は、急いで付け足す。
「ただ、感覚として……」
私は、頷いた。
「ありがとうございます」
その一言で、空気が変わった。
「感覚は、重要です。
数字になる前の兆候だから」
別の職人が、恐る恐る口を開く。
「……実は、私も似た感覚があります」
「どんな?」
「負荷が、じわじわ増えている気がするんです」
言葉が、連鎖し始める。
「調整の余地が、減ってきたような」
「余裕が、数字に出ていないだけかもしれませんが」
私は、彼らの言葉を遮らず、すべて聞いた。
城へ戻る道すがら、私は考える。
(沈黙は、解決ではない)
(声が出ない状態こそ、手を入れるべきだ)
夜、部門長たちを集め、短い会合を開いた。
「最近、報告がきれいすぎます」
率直に、そう切り出す。
「それは、悪いことではありません。
ですが、“違和感”が、共有されていません」
部門長の一人が、困ったように言った。
「……確かに、迷いを出すのは、少し躊躇します」
「なぜ?」
「任せてもらっている以上、
弱さを見せてはいけない気がして」
私は、首を振った。
「逆です」
視線を合わせる。
「違和感を出せることこそ、
任されている証です」
沈黙が、今度は肯定的なものに変わる。
「明日から、“違和感報告”を正式に設けます」
場が、ざわめく。
「結論はいりません。
根拠も、仮説で構いません」
「ただし――」
私は、言葉を切る。
「沈黙だけは、評価しません」
その夜、執務室で一人、私は日誌を開いた。
今日、最も重要だったのは、
問題を解決したことではない。
沈黙に、名前をつけたことだ。
言葉にならない違和感。
数字にならない不安。
それらを置き去りにしないことが、
組織を守る。
窓の外では、城下の灯りが変わらず続いている。
静かだ。
だが、もう“沈黙”ではない。
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