『婚約破棄されたので、元婚約者の「理想の聖女」を育ててみた結果』

鷹 綾

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「第27話 踏み出さない一歩が、守ったもの

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「第27話 踏み出さない一歩が、守ったもの

 盛夏の陽射しが、離宮の回廊を白く照らしていた。
 石床の照り返しに、蝉の声が重なる。
 季節は容赦なく進むが、心は必ずしも同じ速度では動かない。

 ミリエラは、朝の涼しいうちに届いた一通の報告書を、何度も読み返していた。

 ――北部の村。
 不安は沈静化。
 神官たちによる対応、継続中。

 そこに奇跡の文字はない。
 だが、混乱もない。

「……十分、ですね」

 彼女は静かに紙を畳み、封筒に戻した。

    ◇

 昼前、私は離宮を訪れた。
 中庭では、日除けの布が張られ、侍女たちが水を撒いている。

「……今日は、行かないんですね」

 私の問いに、ミリエラは頷いた。

「はい。
 行かないと決めました」

 言い切る声は、揺れていない。

「手紙は出しました。
 必要な連絡も、整っています」

「不安は?」

 少し考え、彼女は正直に答えた。

「……あります。
 でも、前みたいに、胸を締めつけられる感じじゃありません」

 それは、恐怖ではなく、責任の感触だった。

    ◇

 午後、王宮では簡潔な会合が開かれていた。
 宗教行政の現況報告。
 議題は短く、結論も早い。

「聖女の直接介入は、不要と判断」

 淡々とした一文に、異論は出なかった。

 エドワルド殿下は、その様子を静かに見ていた。
 以前なら、口を挟んでいた場面だ。

「……任せる、か」

 彼は小さく息を吐く。

 決断の重さを、
 自分だけが背負わなくていいと知るまで、
 人はずいぶん遠回りをする。

    ◇

 夕方、離宮の小さな応接間。
 ミリエラは、侍女と向かい合って座っていた。

「……聖女さま、ではなく」

「“ミリエラ”で」

 そう言って、彼女は微笑む。

「今日は、何も起きませんでした」

 侍女が、少し照れたように言う。

「それが、いいんです」

 奇跡が起きない日。
 騒ぎがない夕暮れ。

 それは、
 誰かが無理をしなかった証だった。

    ◇

 夜、私は屋敷に戻り、窓を開けた。
 遠くで雷鳴が低く響く。
 雨は、まだ来ない。

 ――踏み出さない一歩。

 それは、怠慢ではない。
 逃避でもない。

 状況を整え、
 役割を分け、
 必要な距離を守った結果だ。

    ◇

 同じ夜、ミリエラは日誌に短く記した。

『今日は、行かなかった。
 それで、誰も困らなかった』

 その一文に、
 彼女はしばらく視線を落とし、
 やがて、静かに灯りを消した。

    ◇

 人は、踏み出した一歩だけを称えがちだ。
 だが、踏み出さなかった一歩が、
 壊さずに済ませたものは、数え切れない。

 この物語が描いているのは、
 派手な選択ではない。

 必要な時に、立ち止まれる強さ。
 任せることで、続く日常。
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