婚約破棄をお望みでしたので。――本物の公爵令嬢は、奪った全員を生き地獄へ落とす

鷹 綾

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第二十二話 王の失望

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第二十二話 王の失望

国王がエドガーを呼びつけたのは、昼を少し過ぎた頃だった。

場所は私的な居間ではない。王族だけが用いる小広間でもない。政務の報告や判断が行われる、重く静かな執務室だった。

それだけで十分に意味があった。

エドガーは案内されながら、胸の奥にわずかな苛立ちを抱えていた。ここ数日、何もかもが自分に不利な方へ傾いている気がしてならない。王宮では遅延や保留が続き、ヴァルモン公爵家からは請求や停止の文書が次々と届く。周囲は妙に慎重で、誰もはっきり味方をしない。

だがそれでも、父王だけは違うと思っていた。

多少叱られたとしても、最終的には王家の立場を守るはずだと。

自分は王太子なのだから。

扉の前で侍従が一礼する。

「陛下、お連れいたしました」

中から低い声が返る。

「入れ」

エドガーは足を踏み入れた。

広すぎない執務室には、国王と数名の政務官、そして宰相がいた。誰も余計な表情を浮かべていない。机の上には書類が整然と積まれ、その一番上にはヴァルモン公爵家からの文書が見えた。

国王は息子を見た。

その眼差しに、父親らしい情はほとんどなかった。

「座れ」

短い命令に、エドガーは不本意そうに椅子へ腰を下ろす。

沈黙が落ちた。

先に口を開いたのは国王だった。

「お前が舞踏会で何をしたかは、すでに聞いている」

「父上、あれは――」

「黙って最後まで聞け」

ぴしゃりと遮られ、エドガーは口をつぐむ。

国王は机上の書類へ視線を落とした。

「婚約破棄そのものについて言っているのではない。王族の婚約が破談になることは、まれではあれ起こりうる。問題は、そのやり方だ」

声は静かだった。

だが静かだからこそ重い。

「お前は公衆の面前で、証拠も整えず、一方的にヴァルモン嬢を断罪した」

「証拠なら、セラフィナが――」

「涙は証拠ではない」

その一言が、鋭く落ちた。

室内がさらに冷える。

エドガーは顔をしかめた。

「ですが父上、あの女は冷酷で、セラフィナを長く虐げ――」

「その裏付けはどこにある」

国王の問いに、エドガーは言葉を詰まらせた。

裏付け。

そんなものを、まともに集めたことはなかった。セラフィナが泣き、継母が困ったように語り、自分がそれを信じた。それで十分だと思っていたのだ。

「……周囲の証言も」

「誰のだ」

「それは……」

「曖昧な噂と、義妹の訴えだけで公爵家嫡女を断罪したのか」

国王は椅子の背にもたれた。

「愚かにもほどがある」

その言葉に、エドガーの顔が赤くなる。

「父上は、私が間違っているとおっしゃるのですか」

「間違っている」

即答だった。

「しかも、取り返しのつかぬ形でな」

エドガーは思わず立ち上がりかけた。

「ですが、ヴァルモン家の方がやりすぎです! 便宜供与を止め、王宮を混乱させ、請求まで寄越している! あれこそ報復ではありませんか!」

国王はその訴えを、冷えた目で見た。

「報復だろうな」

「なら!」

「だが、その報復を招いたのはお前だ」

エドガーは息を呑んだ。

「自分で婚約を破棄し、公爵家の名誉を傷つけ、そのうえ支えてもらっていたものを当然と思い込み、切られたあとになって騒いでいる。どこに弁護の余地がある」

言葉を重ねるたび、国王の声から温度が消えていく。

政務官たちは黙っていた。宰相も何も言わない。ただ、それがかえってこの場の答えだった。

誰も王太子を庇えない。

いや、庇う気がない。

エドガーは歯を食いしばった。

「ヴァルモン家は臣下でしょう!」

その瞬間、宰相の眉がわずかに動いた。

国王は静かに答える。

「臣下だ。だが、お前の召使いではない」

その一言が、致命的だった。

「ヴァルモン公爵家は王家に仕えてきた。だからこそお前もその恩恵を受けていた。だがそれは、信頼があってこそだ。お前はその信頼を自ら踏みにじった」

国王は机上の文書を指先で叩いた。

「しかも問題は婚約破棄だけではない。今、王宮で起きている混乱も、お前の軽率さが招いた」

「それは……公爵家が意地になっているだけで」

「まだ分からぬか」

初めて、国王の声がわずかに強まった。

エドガーは肩を震わせる。

「お前は、王太子という立場が一人で立っていると思っていたのだろう。違う。王家の威光も、王宮の機能も、多くの家の支えの上に成り立っている。その現実を知らぬまま剣を振り回す者に、王冠は支えられん」

その言葉は、もはや叱責を超えていた。

王としての評価だった。

お前に王の器はない、と、そう告げているのに等しい。

エドガーの喉が鳴る。

「……父上は、まさか」

そこまで言って、先を飲み込む。

国王はしばらく息子を見ていた。

その視線には、怒りよりも深い疲れがあった。失望と言った方が近い。

「まずは事態の収拾だ」

低く言う。

「ヴァルモン家への対応は、今後お前一人に任せぬ。文書のやり取りも、王家として正式に整える」

それは権限の取り上げだった。

少なくとも、この件に関してエドガーはもう主導権を持てない。

「そしてお前は、しばらく余計な動きをするな」

「ですが――」

「黙れ」

再びの一喝に、エドガーは完全に口を閉ざした。

国王は立ち上がる。

「お前が今すべきことは、喚くことでも命じることでもない。自分がどれほど愚かな真似をしたか、ようやく理解することだ」

その言葉には、父としての情けがまるでなかった。

ただ、王として、そして一人の男として、目の前の息子に見切りをつけ始めた者の冷たさだけがある。

「下がれ」

最後通告のような一言だった。

エドガーは立ち上がったものの、すぐには動けなかった。

言い返したかった。自分は悪くないと叫びたかった。全部エルシェナが意地を張るからだと、セラフィナが可哀想だったからだと、そう言いたかった。

だが、この部屋ではそのどれも通じない。

それを、ようやく思い知らされた。

彼はぎこちなく礼をし、扉へ向かう。

背中に、誰の声もかからなかった。

扉が閉まる。

執務室に残った沈黙の中で、国王は長く息を吐いた。

そして、誰に向けるでもなく低く言う。

「……あれが王になるのか」

その言葉に、誰も答えられなかった。
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