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第二十九話 セラフィナの公開失墜
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第二十九話 セラフィナの公開失墜
セラフィナが再び人前へ出ると決まった時、王都の空気はすでに冷えきっていた。
かつてなら、王太子に庇われた可哀想な妹として同情を集められた。少し伏し目がちに微笑み、涙をにじませれば、それだけで周囲は勝手に物語を作ってくれた。
けれど今は違う。
もう誰も、彼女を“か弱い被害者”のままでは見ていない。
王太子エドガーの失態。
ヴァルモン公爵家との対立。
王宮の混乱。
継母イザベルの不正露見。
そして、少しずつ漏れ始めた舞踏会前後の不自然な動き。
すべてが積み重なり、セラフィナの立場は以前とはまるで別物になっていた。
にもかかわらず、彼女はまだ完全には現実を飲み込めていなかった。
この夜会で少しうまく立ち回れれば。
もう一度うまく泣ければ。
少しでも王太子の隣に立つ姿を見せられれば。
そうすれば、まだ巻き返せるのではないか。
そんな甘い期待を、最後まで捨てきれずにいたのだ。
その夜会は、王都でも古い名門伯爵家の主催だった。
規模は大きすぎず、けれど集まる顔ぶれは重い。
王族の近縁、上位貴族の婦人たち、将来を見据えられた若い令嬢たち。
つまり、ここで転べば噂は一晩で王都を巡る。
セラフィナは鏡の前で何度も微笑みを作った。
可憐に。
傷ついたけれど健気に。
少し儚く。
でも王太子の隣にいてもおかしくないように。
けれど、そのどれもが不自然だった。
以前ならそれでよかった。
だが今の彼女に必要なのは、泣き顔の美しさではない。
周囲からの探るような視線に耐え、どんな会話にも揺らがず返し、立場に見合う格を示すことだった。
それを本人だけが分かっていない。
会場へ入った瞬間から、視線が集まる。
けれどそれは、好意でも羨望でもない。
値踏みだ。
本当にこの女なのか。
王太子が選んだのは。
エルシェナを切ってまで隣へ置いたのは。
その答えを、それぞれが自分の目で確かめようとしていた。
セラフィナは喉の奥がひりつくのを感じながら、それでも柔らかく礼を取った。
「ごきげんよう」
返ってくる声は丁寧だ。
だが、丁寧なだけだった。
そこに温度はない。
持ち上げも、同情も、媚びもない。
若い侯爵令嬢がにこやかに言う。
「お久しゅうございます、セラフィナ様」
「え、ええ。お久しゅう……」
「先日の舞踏会では、たいへんお気の毒でしたわね」
その言い方が、もうすでに罠だった。
以前なら、その言葉に少し目を潤ませれば済んだ。
だが今ここでそれをやれば、“またそれか”と思われるだけだ。
セラフィナは曖昧に微笑む。
「ありがとうございます……」
「でも」
侯爵令嬢は、あくまで優しく続けた。
「今はもう、お元気そうで何よりですわ」
その一言で空気が揺れる。
慰めではない。
もう“被害者”ではいられませんよ、とやんわり線を引かれているのだ。
セラフィナは言葉を失いかけた。
だが無言になるわけにもいかず、結局「ええ……」としか返せない。
その場にいた婦人たちの目が、静かに冷えた。
会話が続かない。
返しが薄い。
しかも、相手が何を含ませているか読めていない。
これだけで十分だった。
王太子妃候補どころか、上位貴族の夜会で会話を回せる女ですらない。
そう判断するには。
しばらくして、今度は年配の伯爵夫人が近づいてきた。
この夫人は、以前セラフィナへかなり同情的な言葉をかけてきた女だった。
だからセラフィナは少しだけ安心した。
味方がいる。
そう思ったのだ。
だが、その期待は次の一言で砕けた。
「セラフィナ様」
「はい、伯爵夫人」
「お辛かったでしょうけれど、やはり物事には順序がございますわね」
意味が分からず、セラフィナは瞬きをする。
「順序……ですか?」
「ええ。家と家のこと、婚約のこと、公の場での振る舞い……若い方には難しいことも多うございますもの」
その言い方は穏やかだった。
けれど中身は、あまりにもはっきりしている。
あなたは分かっていなかったのでしょう。
家の重みも、公の場の怖さも、婚約というものの意味も。
そして、今そのツケを払っているのですよ、と。
セラフィナの頬が熱くなる。
馬鹿にされている。
だが、怒れば負けだ。
だから彼女は唇を震わせながらも、何とか笑おうとした。
「わたくし……まだ至らぬことばかりで」
「そうでしょうね」
伯爵夫人は即座に言った。
その即座さが、凄まじく堪えた。
慰める気など、最初からないのだ。
周囲で聞いていた者たちも、もう隠そうともしない。
表情にこそ出さないが、皆が同じ結論へ達していた。
足りない。
薄い。
軽い。
エルシェナの代わりには、到底なれない。
さらに悪いことに、夜会の半ばで別の話題が持ち上がった。
それは、卒業舞踏会の前後にセラフィナ付きの侍女たちが妙に動いていたという噂だった。
誰かが露骨に口にしたわけではない。
ただ、一人の夫人が笑顔のままこう言っただけだ。
「そういえば、舞踏会の前から少し騒がしかったそうですわね」
別の婦人が応じる。
「ええ、何でも“見ものになる”と聞かされた方もいたとか」
「まあ、では本当に突然ではなかったのかしら」
「まさか。そんなこと、セラフィナ様がご存じのはずありませんわ」
最後の言葉だけが、ひどくやさしく響いた。
けれどそのやさしさが、逆に残酷だった。
“ご存じのはずありませんわ”
つまり、知っていたのだろう、と全員が分かったうえで、わざと逃げ道を一枚かぶせているのだ。
セラフィナは頭の中が真っ白になった。
侍女の動き。
舞踏会の前の根回し。
泣く準備。
全部、いまこの場で薄く、だが確実に暴かれている。
「そ、そんな……」
ようやく漏れた声はひどく弱かった。
婦人たちの視線が集まる。
その瞬間、セラフィナは反射的に首を振った。
「ち、違います……わたくし、そんな……」
言いながら、自分でも失敗したと分かった。
否定が早すぎた。
しかも、中身がない。
落ち着いて聞き返すでもなく、困惑を装うでもなく、いきなり“違う”と口にしたことで、かえって痛いところを突かれたのだと示してしまった。
若い令嬢の一人が、少し驚いたような顔をしてみせる。
「まあ、誰も責めてはおりませんのに」
その一言で、場の空気が完全に決まった。
追い詰められている。
図星なのだ。
だから取り乱した。
誰の目にもそう見えた。
セラフィナは、そこでようやく本当に足元が崩れるのを感じた。
可哀想な妹ではない。
選ばれた姉代わりでもない。
ただ、涙と根回しで舞台を作り、姉の立場を奪おうとした女。
その正体が、今この場で皆の前に形になってしまったのだ。
「わたくしは……!」
何か言わなければと思った。
けれど、その先が続かない。
何を言っても、もう遅い。
泣けばますます惨めだ。
怒れば下品だ。
黙れば認めたことになる。
逃げ道がない。
その時、遠巻きに見ていたエドガーがようやく近づいてきた。
助けてくれる。
一瞬だけ、そう思った。
けれど彼の顔を見た瞬間、その期待は消えた。
エドガーは苛立っていた。
完全に。
“自分の女が恥をかかされた”と怒っているのではない。
“自分の隣にいる女が、また役に立たず恥を広げた”と、そういう苛立ちだった。
「何をしている」
低い声が落ちる。
セラフィナは縋るように振り返った。
「殿下……」
「もういい、下がれ」
その一言が、何より残酷だった。
庇いもしない。
否定もしない。
ただ、人前で役に立たないからどけと言われたのだ。
婦人たちの目がさらに冷たくなる。
ああ、と皆が理解する。
王太子自身も、もうこの女を守る気がないのだと。
セラフィナは唇を震わせた。
涙が込み上げる。
けれど、ここで泣けば本当に終わる。
終わると分かっていても、もうどうにもならなかった。
「……っ」
声にならない息を漏らし、彼女はほとんど逃げるように広間を出た。
背中に視線が刺さる。
誰も追わない。
誰も慰めない。
誰も“お可哀想に”とは言わない。
廊下へ出た瞬間、セラフィナは壁へ手をついた。
息が苦しい。
胸が痛い。
耳の奥で、さっきの言葉が何度も繰り返される。
――誰も責めてはおりませんのに。
――もういい、下がれ。
それだけで十分だった。
今日ここで、セラフィナは社交界において完全に落ちたのだ。
可哀想な妹としての価値も。
王太子妃候補としての幻想も。
全部。
ただの薄っぺらい女として、皆の記憶に刻まれた。
夜会が終わったあとも、その話はあっという間に広がった。
セラフィナが取り乱したこと。
舞踏会前から根回しがあったらしいこと。
王太子ですら彼女を庇わなかったこと。
王都は、その手の話を忘れない。
むしろ、ようやく整った筋書きとして歓迎する。
――ああ、やはりそういうことだったのだ。
そう納得できる形になったからだ。
ヴァルモン公爵邸では、グラハムが夜更けにその報告を持ってきた。
エルシェナは灯りの下で静かに聞き終え、ただ一言だけ口にした。
「そう」
それだけだった。
驚きも、喜びも、憐れみもない。
「セラフィナ様は、完全に見切られたかと」
「でしょうね」
エルシェナは本を閉じた。
「涙だけで押し通せるほど、社交界は甘くないもの」
グラハムが深くうなずく。
「これで、可哀想な妹という看板も使えなくなります」
「ええ」
もう何も残らない。
残るのは、姉のものを欲しがり、舞台を整え、泣いて奪おうとした女という記憶だけだ。
エルシェナは窓の外の闇を見た。
遠く王都の灯がちらついている。
あのどこかで今、セラフィナは泣いているだろう。
けれどもう、その涙に値段はつかない。
それが彼女の公開失墜だった。
セラフィナが再び人前へ出ると決まった時、王都の空気はすでに冷えきっていた。
かつてなら、王太子に庇われた可哀想な妹として同情を集められた。少し伏し目がちに微笑み、涙をにじませれば、それだけで周囲は勝手に物語を作ってくれた。
けれど今は違う。
もう誰も、彼女を“か弱い被害者”のままでは見ていない。
王太子エドガーの失態。
ヴァルモン公爵家との対立。
王宮の混乱。
継母イザベルの不正露見。
そして、少しずつ漏れ始めた舞踏会前後の不自然な動き。
すべてが積み重なり、セラフィナの立場は以前とはまるで別物になっていた。
にもかかわらず、彼女はまだ完全には現実を飲み込めていなかった。
この夜会で少しうまく立ち回れれば。
もう一度うまく泣ければ。
少しでも王太子の隣に立つ姿を見せられれば。
そうすれば、まだ巻き返せるのではないか。
そんな甘い期待を、最後まで捨てきれずにいたのだ。
その夜会は、王都でも古い名門伯爵家の主催だった。
規模は大きすぎず、けれど集まる顔ぶれは重い。
王族の近縁、上位貴族の婦人たち、将来を見据えられた若い令嬢たち。
つまり、ここで転べば噂は一晩で王都を巡る。
セラフィナは鏡の前で何度も微笑みを作った。
可憐に。
傷ついたけれど健気に。
少し儚く。
でも王太子の隣にいてもおかしくないように。
けれど、そのどれもが不自然だった。
以前ならそれでよかった。
だが今の彼女に必要なのは、泣き顔の美しさではない。
周囲からの探るような視線に耐え、どんな会話にも揺らがず返し、立場に見合う格を示すことだった。
それを本人だけが分かっていない。
会場へ入った瞬間から、視線が集まる。
けれどそれは、好意でも羨望でもない。
値踏みだ。
本当にこの女なのか。
王太子が選んだのは。
エルシェナを切ってまで隣へ置いたのは。
その答えを、それぞれが自分の目で確かめようとしていた。
セラフィナは喉の奥がひりつくのを感じながら、それでも柔らかく礼を取った。
「ごきげんよう」
返ってくる声は丁寧だ。
だが、丁寧なだけだった。
そこに温度はない。
持ち上げも、同情も、媚びもない。
若い侯爵令嬢がにこやかに言う。
「お久しゅうございます、セラフィナ様」
「え、ええ。お久しゅう……」
「先日の舞踏会では、たいへんお気の毒でしたわね」
その言い方が、もうすでに罠だった。
以前なら、その言葉に少し目を潤ませれば済んだ。
だが今ここでそれをやれば、“またそれか”と思われるだけだ。
セラフィナは曖昧に微笑む。
「ありがとうございます……」
「でも」
侯爵令嬢は、あくまで優しく続けた。
「今はもう、お元気そうで何よりですわ」
その一言で空気が揺れる。
慰めではない。
もう“被害者”ではいられませんよ、とやんわり線を引かれているのだ。
セラフィナは言葉を失いかけた。
だが無言になるわけにもいかず、結局「ええ……」としか返せない。
その場にいた婦人たちの目が、静かに冷えた。
会話が続かない。
返しが薄い。
しかも、相手が何を含ませているか読めていない。
これだけで十分だった。
王太子妃候補どころか、上位貴族の夜会で会話を回せる女ですらない。
そう判断するには。
しばらくして、今度は年配の伯爵夫人が近づいてきた。
この夫人は、以前セラフィナへかなり同情的な言葉をかけてきた女だった。
だからセラフィナは少しだけ安心した。
味方がいる。
そう思ったのだ。
だが、その期待は次の一言で砕けた。
「セラフィナ様」
「はい、伯爵夫人」
「お辛かったでしょうけれど、やはり物事には順序がございますわね」
意味が分からず、セラフィナは瞬きをする。
「順序……ですか?」
「ええ。家と家のこと、婚約のこと、公の場での振る舞い……若い方には難しいことも多うございますもの」
その言い方は穏やかだった。
けれど中身は、あまりにもはっきりしている。
あなたは分かっていなかったのでしょう。
家の重みも、公の場の怖さも、婚約というものの意味も。
そして、今そのツケを払っているのですよ、と。
セラフィナの頬が熱くなる。
馬鹿にされている。
だが、怒れば負けだ。
だから彼女は唇を震わせながらも、何とか笑おうとした。
「わたくし……まだ至らぬことばかりで」
「そうでしょうね」
伯爵夫人は即座に言った。
その即座さが、凄まじく堪えた。
慰める気など、最初からないのだ。
周囲で聞いていた者たちも、もう隠そうともしない。
表情にこそ出さないが、皆が同じ結論へ達していた。
足りない。
薄い。
軽い。
エルシェナの代わりには、到底なれない。
さらに悪いことに、夜会の半ばで別の話題が持ち上がった。
それは、卒業舞踏会の前後にセラフィナ付きの侍女たちが妙に動いていたという噂だった。
誰かが露骨に口にしたわけではない。
ただ、一人の夫人が笑顔のままこう言っただけだ。
「そういえば、舞踏会の前から少し騒がしかったそうですわね」
別の婦人が応じる。
「ええ、何でも“見ものになる”と聞かされた方もいたとか」
「まあ、では本当に突然ではなかったのかしら」
「まさか。そんなこと、セラフィナ様がご存じのはずありませんわ」
最後の言葉だけが、ひどくやさしく響いた。
けれどそのやさしさが、逆に残酷だった。
“ご存じのはずありませんわ”
つまり、知っていたのだろう、と全員が分かったうえで、わざと逃げ道を一枚かぶせているのだ。
セラフィナは頭の中が真っ白になった。
侍女の動き。
舞踏会の前の根回し。
泣く準備。
全部、いまこの場で薄く、だが確実に暴かれている。
「そ、そんな……」
ようやく漏れた声はひどく弱かった。
婦人たちの視線が集まる。
その瞬間、セラフィナは反射的に首を振った。
「ち、違います……わたくし、そんな……」
言いながら、自分でも失敗したと分かった。
否定が早すぎた。
しかも、中身がない。
落ち着いて聞き返すでもなく、困惑を装うでもなく、いきなり“違う”と口にしたことで、かえって痛いところを突かれたのだと示してしまった。
若い令嬢の一人が、少し驚いたような顔をしてみせる。
「まあ、誰も責めてはおりませんのに」
その一言で、場の空気が完全に決まった。
追い詰められている。
図星なのだ。
だから取り乱した。
誰の目にもそう見えた。
セラフィナは、そこでようやく本当に足元が崩れるのを感じた。
可哀想な妹ではない。
選ばれた姉代わりでもない。
ただ、涙と根回しで舞台を作り、姉の立場を奪おうとした女。
その正体が、今この場で皆の前に形になってしまったのだ。
「わたくしは……!」
何か言わなければと思った。
けれど、その先が続かない。
何を言っても、もう遅い。
泣けばますます惨めだ。
怒れば下品だ。
黙れば認めたことになる。
逃げ道がない。
その時、遠巻きに見ていたエドガーがようやく近づいてきた。
助けてくれる。
一瞬だけ、そう思った。
けれど彼の顔を見た瞬間、その期待は消えた。
エドガーは苛立っていた。
完全に。
“自分の女が恥をかかされた”と怒っているのではない。
“自分の隣にいる女が、また役に立たず恥を広げた”と、そういう苛立ちだった。
「何をしている」
低い声が落ちる。
セラフィナは縋るように振り返った。
「殿下……」
「もういい、下がれ」
その一言が、何より残酷だった。
庇いもしない。
否定もしない。
ただ、人前で役に立たないからどけと言われたのだ。
婦人たちの目がさらに冷たくなる。
ああ、と皆が理解する。
王太子自身も、もうこの女を守る気がないのだと。
セラフィナは唇を震わせた。
涙が込み上げる。
けれど、ここで泣けば本当に終わる。
終わると分かっていても、もうどうにもならなかった。
「……っ」
声にならない息を漏らし、彼女はほとんど逃げるように広間を出た。
背中に視線が刺さる。
誰も追わない。
誰も慰めない。
誰も“お可哀想に”とは言わない。
廊下へ出た瞬間、セラフィナは壁へ手をついた。
息が苦しい。
胸が痛い。
耳の奥で、さっきの言葉が何度も繰り返される。
――誰も責めてはおりませんのに。
――もういい、下がれ。
それだけで十分だった。
今日ここで、セラフィナは社交界において完全に落ちたのだ。
可哀想な妹としての価値も。
王太子妃候補としての幻想も。
全部。
ただの薄っぺらい女として、皆の記憶に刻まれた。
夜会が終わったあとも、その話はあっという間に広がった。
セラフィナが取り乱したこと。
舞踏会前から根回しがあったらしいこと。
王太子ですら彼女を庇わなかったこと。
王都は、その手の話を忘れない。
むしろ、ようやく整った筋書きとして歓迎する。
――ああ、やはりそういうことだったのだ。
そう納得できる形になったからだ。
ヴァルモン公爵邸では、グラハムが夜更けにその報告を持ってきた。
エルシェナは灯りの下で静かに聞き終え、ただ一言だけ口にした。
「そう」
それだけだった。
驚きも、喜びも、憐れみもない。
「セラフィナ様は、完全に見切られたかと」
「でしょうね」
エルシェナは本を閉じた。
「涙だけで押し通せるほど、社交界は甘くないもの」
グラハムが深くうなずく。
「これで、可哀想な妹という看板も使えなくなります」
「ええ」
もう何も残らない。
残るのは、姉のものを欲しがり、舞台を整え、泣いて奪おうとした女という記憶だけだ。
エルシェナは窓の外の闇を見た。
遠く王都の灯がちらついている。
あのどこかで今、セラフィナは泣いているだろう。
けれどもう、その涙に値段はつかない。
それが彼女の公開失墜だった。
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価値がないと切り捨てられた人生は、ここでは確かな力となった。スペイラ帝国で、聖女エマの新しい人生が、静かに、そして輝かしく始まる。
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