婚約破棄をお望みでしたので。――本物の公爵令嬢は、奪った全員を生き地獄へ落とす

鷹 綾

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第三十話 決定的な断罪

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第三十話 決定的な断罪

王宮の玉座の間は、もともと人を安心させるための場所ではない。

高い天井。
磨き上げられた床。
左右に控える近衛。
王家の紋章を背負う玉座。

そこへ立たされれば、誰であろうと自分が裁かれる側であることを思い知らされる。

その日、その空間の中央に立っていたのは、王太子エドガー、セラフィナ、そしてイザベルだった。

三人とも、それぞれに追い詰められていた。

だが、まだ完全には理解していない。

これが最後の“話し合い”ではなく、終わりを言い渡す場なのだということを。

エドガーは正装をしていた。

王太子としての礼装。
豪奢な刺繍。
王家の色。
けれど、その姿にもう以前のような威圧感はない。ここ数日で一気にやつれ、目の下には疲れが落ち、表情には苛立ちと焦りが滲んでいる。

セラフィナは淡い色のドレスに身を包んでいたが、その顔色は悪く、以前のような“守ってあげたくなる可憐さ”は消えていた。あるのは怯えだけだ。

イザベルは背筋を伸ばしていた。

まだ公爵夫人らしく見せようとしている。
だが、その努力も虚しい。
屋敷での権限を剥奪され、帳簿を押さえられ、すでに足場は崩れているのだから。

上座には国王。
その隣に王妃。
少し離れて宰相と政務官たち。
さらに脇には、ヴァルモン公爵家当主とグラハムの姿もあった。

それだけで十分だった。

これは私的な場ではない。
王家と公爵家、双方が見届ける正式な断罪の席だ。

静まり返った玉座の間で、国王が低く口を開く。

「エドガー・ルーヴェン」

名を呼ばれた瞬間、エドガーはわずかに顎を上げた。

まだ、自分は王太子だ。
その最後の矜持だけで立っているような顔だった。

「はい、父上」

「口を慎め。ここでは陛下と呼べ」

冷たい一言だった。

エドガーの表情がひきつる。

「……陛下」

「まず、お前に問う」

国王の声は静かだ。
だがその静けさこそが残酷だった。

「お前は、卒業舞踏会の場においてヴァルモン公爵家嫡女エルシェナ・ヴァルモンとの婚約を一方的に破棄し、公の場で名誉を傷つけた」

「それは……」

「加えて、その後の王宮実務の混乱、社交上の信用低下、王家への不利益についても、深く関与している」

エドガーは息を呑んだ。

「陛下、それはヴァルモン家が過剰に――」

「黙れ」

一喝だった。

「まだ、お前は自分の責任を理解していないのか」

玉座の間の空気がさらに冷える。

エドガーは歯を食いしばったが、反論の形が作れない。

一方、国王はイザベルへ視線を向ける。

「イザベル・ヴァルモン」

「……はい」

「公爵家の資金流用、帳簿改ざん、署名偽装、裏金工作について、証拠はすでに揃っている」

イザベルの睫毛が震える。

だが彼女はまだ崩れない。

「わたくしは……家のために……」

「家のために長女の名を汚し、家の金を食い潰したのか」

国王の言葉には侮蔑があった。

それだけで、イザベルの顔色が変わる。

さらに国王はセラフィナを見る。

「セラフィナ」

「……はい」

「お前は、王太子による婚約破棄の場において、自らが被害者であるよう振る舞い、虚偽を含む訴えをした」

「そんな、わたくしは……」

「侍女の動き、事前の根回し、夜会での言動、すべて報告を受けている」

セラフィナの膝がわずかに震えた。

もう逃げられない。

涙も、言い訳も、誰も信じない。

国王はしばらく三人を見下ろし、やがて宣告するように言った。

「以上をもって、王家は次の決定を下す」

沈黙。

誰も息すら立てない。

「第一に、エドガー・ルーヴェン。お前は本日をもって王太子の地位を剥奪する」

その一言が落ちた瞬間、空気が止まった。

エドガーの目が見開かれる。

「……な」

「王家の名において、王位継承権を停止。以後、王太子としての一切の権限を失う」

「待ってください!」

エドガーが叫ぶ。

「そんなもの認められるはずがない! 私は王太子だ! 生まれながらに――」

「生まれながらに与えられたものを、自らの愚かさで失ったのだ」

国王は一切揺れなかった。

エドガーの呼吸が乱れる。

「ふざけるな! 全部あの女のせいだ! エルシェナが騒ぎ立てたから――」

その瞬間、ヴァルモン公爵が低く言う。

「まだその程度か」

たった一言だった。

だがそれは、エドガーにとって想像以上に痛かった。

王すらではない。
婚約者の父に、心底見下した声音で切られたのだ。

国王は続ける。

「第二に、セラフィナ。王太子とのいかなる婚姻の可能性も、ここに完全に消滅したものとする」

セラフィナの顔から血の気が消える。

「……え」

「王家はお前を王族の婚姻相手として認めない」

それは処刑より軽い。
だが、セラフィナにとっては人生そのものを断たれる一言だった。

彼女の価値は、“選ばれる女”であることにあった。
その可能性そのものを公に否定されたのだ。

「そ、そんな……」

小さく漏れた声に、誰も反応しない。

「第三に、イザベル・ヴァルモン」

国王は冷たく告げる。

「公爵家内部の不正について、王家はヴァルモン公爵による正式処分を支持する」

それは直接の判決ではない。
だが、王家が“守らない”と明言したも同然だった。

イザベルがここで縋る先は、もうどこにもない。

「……陛下」

初めて、彼女の声が揺れた。

「わたくしは、公爵夫人で――」

「だったら、公爵夫人として恥じぬ振る舞いをすべきだった」

それで終わりだった。

助けは来ない。

情もない。

ただ切られるだけ。

だが、最も激しく取り乱したのはエドガーだった。

「認めるか!」

叫んだ瞬間、近衛が一斉に身構える。

「こんな処分、認めるわけがない! 私は王太子だぞ! 私から王太子を取ったら何が残る!?」

その叫びは、ひどく情けなかった。

王位でも責務でもなく、“自分から王太子を取ったら何が残る”と言ってしまったのだ。

つまり本人が、自分にはそれ以外何もないと白状したに等しい。

国王の目に、最後の情けさえ消えた。

「近衛」

その一言で、二人の近衛が前へ出る。

エドガーはようやく本当の意味で事態を理解した。

「待て……待ってください、陛下!」

呼び方が変わる。

父上ではない。
陛下だ。
ようやく気づいたのだ。
もう親子の情で済む段階ではないと。

「私は! 私はやり直せます! エルシェナを戻せば――」

その瞬間、玉座の間の空気が完全に凍った。

戻せば。

まだそんなことを言うのかと、誰もが思った。

国王は冷ややかに言う。

「まだ分からぬのか。お前に戻せるものなど、もう何一つない」

その言葉が、最後の杭だった。

近衛がエドガーの腕を取る。

「離せ!」

暴れた。

本気で。

王族としての品位も何もなく、ただ見苦しく。

片腕を振りほどこうとし、もう片方で近衛を押しのけ、半歩でも自由になろうと足を踏ん張る。だが近衛は慣れている。容赦なく腕をねじり上げ、体勢を崩させる。

「やめろ! 私は王太子だぞ!」

もうその言葉には何の効力もない。

「騙されたんだ! 私はセラフィナに、あの女たちに騙された!」

今度は責任転嫁だった。

セラフィナが息を呑む。

イザベルも顔をこわばらせた。

だが誰も助けない。
助けられない。
もう遅いからだ。

「放せ、命令だ! 聞いているのか!」

近衛は無言のまま、さらに強く腕を取る。

エドガーの膝がぐらつき、片足が滑る。

それでも彼はなお喚いた。

「父上! 父上、違う! 私は王になるはずだった! こんなことが許されるはずが――」

「引きずり出せ」

国王の声が落ちた。

それで終わった。

近衛が左右から腕を固め、そのまま力任せに引く。エドガーは必死に踏ん張ったが、床を擦るように足がずれた。片方の靴が半ば脱げ、礼装の裾が乱れる。髪が崩れ、顔が歪み、それでもなお彼は喚き続けた。

「やめろ! 私は王太子だ! 王太子だぞ!」

その声は玉座の間に無様に響いた。

誰も目を逸らさない。

誰も助けない。

それが彼の“終わり”だった。

一方、セラフィナは震えながら立ち尽くしていた。

自分が縋るはずだった男が、今こうして力ずくで引きずられていく。しかも最後には、平然と自分へ責任を押しつけて。

夢が壊れる音を、彼女はただ聞いていた。

イザベルもまた、顔色を失っていた。

自分たちが築いたはずの未来が、今この場で音もなく潰れていく。
しかも助ける者は一人もいない。

国王が最後に言い渡す。

「連れて行け」

近衛たちがエドガーをそのまま扉の外へ引きずっていく。

まだ喚いている。
まだ抵抗している。
だが、その姿はもう王太子ではない。

王太子だった男だ。

その現実だけが、玉座の間に冷たく残った。
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