姉の婚約者を奪った義妹は、偽金まみれの恋と一緒に断罪されました

鷹 綾

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10話 裏の顔を持つ伯爵家

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10話 裏の顔を持つ伯爵家

夜会の翌朝、ルヴェリアはいつもより早く会計室へ入った。

窓の外はまだ薄青く、屋敷の中も完全には目覚めきっていない。だが彼女の机の上には、すでに昨夜の招待客の名簿と、エミリアが夜のうちにまとめた簡易な覚え書きが並んでいた。

眠る前に一度目を通したはずなのに、朝の光の下でもう一度確認したくなったのだ。

夜会の場では見えにくかったものが、紙の上では時に妙にはっきりする。

「おはようございます、お嬢様」

エミリアが控えめに入ってくる。

その腕にはさらに数枚の報告書が抱えられていた。

「おはよう。思ったより早かったわね」

「昨夜のうちに、屋敷の出入りを管理している者たちから話を聞いておきました」

「助かるわ」

ルヴェリアは紙を受け取り、一枚ずつ視線を走らせた。

招待客の到着時刻。

同伴者の有無。

どの馬車がどの家のものだったか。

贈り物として持ち込まれた品。

そして、夜会の終盤に別室へ通された客の名前。

そこで、ルヴェリアの指先が止まる。

「……別室?」

エミリアが頷く。

「はい。全員ではありません。ほんの数名です」

「誰が通したの」

「ヴォルゼック伯爵家側の使用人です。表向きは、静かな場所で酒を、という話だったようですが」

ルヴェリアはその名簿を見つめた。

河岸の仲買商の次男。

最近、倉庫を買い集めている商会の関係者。

地方出の投資仲介人。

高位貴族ではない。

けれど、金と物流に関わる人間ばかりだ。

「やはり」

「お嬢様も、そうお思いになりますか」

「ええ。あの夜会はただの自慢の場ではないわ。見せびらかすこと自体にも意味があるけれど、それだけではない」

ルヴェリアは立ち上がり、壁の記録板へ近づく。

そこへ新しい紙を留めながら続けた。

「表の広間では、軽い金の使い方を見せる。景気がいい、金はある、遠慮はいらないという空気を作る」

「はい」

「そして、釣られた者、乗ってきそうな者だけを奥へ通す」

エミリアが小さく息を呑んだ。

「つまり、見込みのある者を選んでいるのですね」

「そう考えるのが自然ね」

そうでなければ、招待客の偏りも、別室へ通された顔ぶれも説明がつかない。

オルフィナは気づいていないかもしれない。

自分の夜会が何のために使われているのかも知らず、ただ“成功した夜会”だと満足しているだけなのだろう。

だが、それを設計した側は違う。

場の空気を作り、見栄と欲を煽り、使えそうな者だけを選り分ける。

そんな真似ができるのは、単なる金持ちではない。

「……伯爵家そのものが、ただの名門ではないのね」

ルヴェリアは低く呟いた。

エミリアが少し迷ってから口を開く。

「以前、お嬢様はおっしゃっていましたね。ヴォルゼック伯爵家の金には、どこか濁りがあるようだと」

「ええ」

「何か、前からお気づきだったのですか」

ルヴェリアはすぐには答えなかった。

机へ戻り、一番下の引き出しから古い封筒を取り出す。婚約がまだ続いていた頃、伯爵家を訪れた際に自分で残していた、些細な覚え書きだ。

本当に、些細なものだった。

屋敷の出入り口の位置。

書類庫の場所。

頻繁に顔を出す商会の名。

妙に印章の扱いに慣れた使用人の存在。

当時はただの違和感でしかなかった。名門伯爵家なら、取引量が多く、書類や証文も多いのだろうと流していた。

けれど今となっては、その全部が別の意味を帯びてくる。

「婚約中に何度か、伯爵家の内情を見る機会があったの」

ルヴェリアはゆっくり言った。

「その時から少し、変だとは思っていたわ」

「変、と申しますと」

「金の動きに対して、屋敷の作りも、人の配置も、妙に実務に寄りすぎていたのよ。普通の名門貴族の家なら、見栄や格式のための空間がもっと前に出るはずなのに、あの家は違った」

「……商家のようだった、と」

「商家より厄介ね」

ルヴェリアは目を細める。

「商家なら商いのために整える。でもあの家は、“隠すため”の導線が上手すぎたわ」

例えば、客間へ通す動線とは別に、裏口から書類庫近くへ行ける廊下があった。

例えば、伯爵家の下働きにしては、やけに印章の取り扱いが手慣れた男がいた。

例えば、金融や交易とは直接関係のなさそうな人間が、深夜に出入りしていた。

当時は証拠がないから口にしなかった。

婚約者の家に対して神経質すぎる女だと思われるだけだと思ったからだ。

だが――今なら違う。

「偽金の精巧さ、流通への混ぜ込み方、夜会の使い方。全部が、“流れを握ること”に慣れている者のやり方だわ」

エミリアが静かに問いかける。

「偽造ギルド、でしょうか」

ルヴェリアはその言葉に、少しだけ視線を上げた。

王都では昔から、時折そんな噂があった。

身分証や通行証の偽造。

印章の模造。

倉庫証文の差し替え。

表には出にくいが、確かにどこかにいる“偽ること”を生業にする者たち。

ただ、多くの貴族にとってそれは、裏路地の犯罪者か、せいぜい下級商人の不正でしかない。

まさか名門伯爵家の影にそんなものがあるとは、普通は考えない。

「ええ。もしかすると、もっと昔から伯爵家の裏にぶら下がっていたのかもしれないわ」

「ぶら下がっていた、ではなく」

「……飼っていた、かもしれない」

そう口にした瞬間、会計室の空気がひどく冷えたような気がした。

エミリアも黙る。

それはつまり、ヴォルゼック伯爵家が被害者でも便乗者でもなく、黒幕側である可能性を示す言葉だからだ。

ルヴェリアは机に広げた夜会の名簿を見つめる。

昨夜、ゼルカインはあまりにも自然に場を回していた。

ただの婚約披露のような顔をしながら、見栄っ張りな者を安心させ、気を大きくさせ、流れに乗せようとしていた。

あれは思いつきでできる動きではない。

前から、そういう役割を担ってきた者の動きだ。

「ゼルカイン様も、ご存じだったのでしょうか」

エミリアの声は慎重だった。

ルヴェリアはゆっくり頷く。

「知っているどころではないわね。たぶん、あの人は最初から中心にいる」

婚約者だった頃の記憶がよみがえる。

ゼルカインはよく言っていた。

契約書は剣より強い。

印章ひとつで、人は財産も立場も失う。

本当に価値があるのは、物そのものではなく、流れを支配する仕組みだ。

当時のルヴェリアは、それを冷徹だが優秀な貴族の考え方だと思っていた。

いま思えば、あれはもっと別の場所で磨かれた論理だったのかもしれない。

「伯爵家は表向き、金融と交易で富を築いた家です」

エミリアが言う。

「ええ。でも、それだけならここまでおかしくならない」

ルヴェリアは立ち上がり、窓辺へ歩いた。

朝の王都は穏やかに見える。けれどその下では、今日もまた見抜きにくい偽金が流れ、誰かがそれを受け取り、誰かが値上がりした品に眉をひそめているのだろう。

そしてそのどこかで、ヴォルゼック伯爵家が静かに笑っているのだとしたら。

「表で金を動かし、裏で偽る」

ルヴェリアは独り言のように言った。

「それが両方できるなら、これほど厄介な相手はいないわね」

その時、再び扉が叩かれた。

今度は王宮からの使いだった。

若い文官が一礼する。

「ルヴェリア様。ディルハルト殿下より、急ぎで報告書をご確認いただきたいとのことです」

「何か進展が?」

「昨夜の回収品の出所を追ったところ、いくつかの不審な商会名が浮かびました。その中に、ヴォルゼック伯爵家と継続的に取引している先が複数ございます」

ルヴェリアとエミリアが同時に顔を上げた。

やはりだ。

まだ決定打ではない。

けれど線は、確実にこちらへ伸びてきている。

「すぐに参ります」

文官が下がると、ルヴェリアは息を整えた。

心臓は静かに早い。

恐ろしさがないわけではない。婚約者を奪った男が、ただ不実なだけではなく、王国を蝕む側に立っているかもしれないのだ。

けれど不思議と、躊躇いは薄かった。

怒りや失望は、もう少し前に通り過ぎている。

いま残っているのは、はっきりした冷たさだけだ。

「お嬢様」

エミリアが声を低くする。

「王太子殿下には、どこまでお話しになりますか」

ルヴェリアは少し考えたあと、答えた。

「婚約中に感じた違和感も含めて、いま話せるところまで話すわ」

「よろしいのですか」

「ええ。もう、私怨だと思われることを恐れて黙っている段階ではないもの」

むしろここで隠せば、後で自分が足を引っ張る。

ディルハルトは甘い相手ではない。

だが、隠し事を嫌うかわりに、話した内容そのものは正しく扱う人だとも分かってきた。

そこに賭けるしかない。

ルヴェリアは机の上の古い覚え書きを手に取り、慎重に封筒へ戻した。

婚約者の家について残した、あの頃の違和感。

まさかこんな形で使うことになるとは思わなかった。

けれど今なら分かる。

あの家の裏の顔を、当時の自分はうっすら見ていたのだ。

見ていたのに、婚約という立場がそれ以上踏み込ませなかった。

だが、もう違う。

ルヴェリアは手袋をはめ、まっすぐ顔を上げる。

「行きましょう、エミリア」

「はい」

会計室を出る時、彼女は一度だけ振り返った。

机の上には夜会の名簿、価格表、不審商会の一覧が残っている。

点だったものが線になり、その線がひとつの家へ集まり始めていた。

ヴォルゼック伯爵家。

王国屈指の富を誇る名門。

けれどその富の下には、ただの金ではない、もっと暗く、もっと粘つく何かが流れている。

ルヴェリアは静かに目を細めた。

「ようやく顔が見えてきたわね」

その言葉は誰にも聞かれなかったが、胸の奥では確かに響いた。
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