17 / 40
17話 焦らないという選択
しおりを挟む
17話 焦らないという選択
朝の空気が、少し湿っていた。
ファーファは目を覚ますと、天井を見上げたまま動かなかった。体は起きているが、起き上がる理由が見当たらない。急ぐ必要も、予定も、約束もない。
――今日は、どんな日だろう。
考えかけて、やめる。
どんな日であっても、対応は同じだ。
しばらくして起き上がり、外套を羽織る。扉を開けると、朝の光が柔らかく差し込んだ。地面は少し湿っているが、足元は安定している。
箱は、置かれていた。
いつも通りの場所。
いつも通りの大きさ。
「……あるわね」
それを確認しただけで、胸の内に何かが生まれるわけではない。安心でも、喜びでもない。事実を受け取っただけだ。
箱を中に運び、蓋を開ける。
保存食、乾燥野菜、油、布。前回よりも、少しだけ内容が整理されている。無駄が削られ、重複がない。
――事務的。
それが、心地いい。
必要な分だけ取り出し、棚に置く。
残りは、そのまま。
数は数えない。
減り具合も確認しない。
足りなくなるまで、足りている。
湯を沸かし、紅茶を淹れる。湯気が立ち上り、視界が一瞬だけ曇る。椅子に腰掛け、カップを両手で包む。
王都にいた頃、焦りは常に隣にあった。
遅れないか。
取り残されないか。
評価が下がらないか。
焦らなければならない理由が、いつも誰かによって提示されていた。
ここには、それがない。
焦らなくても、何も奪われない。
焦らないからといって、責められない。
午前中、本を読む。
数頁進んで、止まる。
外を見る。
雲が流れている。
再び、本に戻る。
その繰り返し。
昼、簡単な食事を取る。
味付けは控えめ。量は、いつも通り。
食後、片付けをしてから、しばらく何もしない。
椅子に座り、手を膝に置き、呼吸を整える。
――何もしていない時間が、長い。
だが、それを埋めようとは思わない。
埋める必要がないからだ。
午後、外に出る。
家の周囲を一回りする。
地面の湿り具合、草の伸び方、木の影。
どれも、昨日と大きく変わらない。
変わらないことを確認して、戻る。
夕方、空気が冷たくなる。
火を入れ、室内を整える。
薪は足りている。
確認しなくても、分かる。
王都では今頃、誰かが焦っている。
期限が近い。
結果が出ない。
比較される。
だが、その焦りは、ここには届かない。
夜、灯りを落とし、寝台に横になる。
今日も、何も起きなかった。
焦る理由も、生まれなかった。
ファーファ・ノクティスは、
焦らないという選択を、
毎日、無意識のうちに繰り返している。
それは勇気でも、抵抗でもない。
ただ、そうする必要がない生活が、
ここにあるだけだった。
静かな呼吸の中で、
彼女は今日も、世界から一歩離れたまま、
穏やかに眠りについた。
朝の空気が、少し湿っていた。
ファーファは目を覚ますと、天井を見上げたまま動かなかった。体は起きているが、起き上がる理由が見当たらない。急ぐ必要も、予定も、約束もない。
――今日は、どんな日だろう。
考えかけて、やめる。
どんな日であっても、対応は同じだ。
しばらくして起き上がり、外套を羽織る。扉を開けると、朝の光が柔らかく差し込んだ。地面は少し湿っているが、足元は安定している。
箱は、置かれていた。
いつも通りの場所。
いつも通りの大きさ。
「……あるわね」
それを確認しただけで、胸の内に何かが生まれるわけではない。安心でも、喜びでもない。事実を受け取っただけだ。
箱を中に運び、蓋を開ける。
保存食、乾燥野菜、油、布。前回よりも、少しだけ内容が整理されている。無駄が削られ、重複がない。
――事務的。
それが、心地いい。
必要な分だけ取り出し、棚に置く。
残りは、そのまま。
数は数えない。
減り具合も確認しない。
足りなくなるまで、足りている。
湯を沸かし、紅茶を淹れる。湯気が立ち上り、視界が一瞬だけ曇る。椅子に腰掛け、カップを両手で包む。
王都にいた頃、焦りは常に隣にあった。
遅れないか。
取り残されないか。
評価が下がらないか。
焦らなければならない理由が、いつも誰かによって提示されていた。
ここには、それがない。
焦らなくても、何も奪われない。
焦らないからといって、責められない。
午前中、本を読む。
数頁進んで、止まる。
外を見る。
雲が流れている。
再び、本に戻る。
その繰り返し。
昼、簡単な食事を取る。
味付けは控えめ。量は、いつも通り。
食後、片付けをしてから、しばらく何もしない。
椅子に座り、手を膝に置き、呼吸を整える。
――何もしていない時間が、長い。
だが、それを埋めようとは思わない。
埋める必要がないからだ。
午後、外に出る。
家の周囲を一回りする。
地面の湿り具合、草の伸び方、木の影。
どれも、昨日と大きく変わらない。
変わらないことを確認して、戻る。
夕方、空気が冷たくなる。
火を入れ、室内を整える。
薪は足りている。
確認しなくても、分かる。
王都では今頃、誰かが焦っている。
期限が近い。
結果が出ない。
比較される。
だが、その焦りは、ここには届かない。
夜、灯りを落とし、寝台に横になる。
今日も、何も起きなかった。
焦る理由も、生まれなかった。
ファーファ・ノクティスは、
焦らないという選択を、
毎日、無意識のうちに繰り返している。
それは勇気でも、抵抗でもない。
ただ、そうする必要がない生活が、
ここにあるだけだった。
静かな呼吸の中で、
彼女は今日も、世界から一歩離れたまま、
穏やかに眠りについた。
0
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。
潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。
婚約破棄された令嬢は、幸せになると決めました~追放先で出会った冷徹公爵が、なぜか溺愛してくる件~
sika
恋愛
名家の令嬢・アイリスは、婚約者の王太子から「平凡すぎる」と婚約破棄を突きつけられる。全てを奪われ、家からも冷たく追放された彼女がたどり着いたのは、戦場帰りの冷徹公爵・レオンの領地だった。誰にも期待しないようにしていたアイリスだったが、無愛想な彼の優しさに少しずつ心を開いていく。
やがて、笑顔を取り戻した彼女の前に、あの王太子が後悔と共に現れて——。
「すまない、戻ってきてくれ」
「もう、あなたの令嬢ではありません」
ざまぁと溺愛が交錯する、幸福への再生ストーリー。
【完結】婚約者はお譲りします!転生悪役令嬢は世界を救いたい!
白雨 音
恋愛
公爵令嬢アラベラは、階段から転落した際、前世を思い出し、
この世界が、前世で好きだった乙女ゲームの世界に似ている事に気付いた。
自分に与えられた役は《悪役令嬢》、このままでは破滅だが、避ける事は出来ない。
ゲームのヒロインは、聖女となり世界を救う《予言》をするのだが、
それは、白竜への生贄として《アラベラ》を捧げる事だった___
「この世界を救う為、悪役令嬢に徹するわ!」と決めたアラベラは、
トゥルーエンドを目指し、ゲーム通りに進めようと、日々奮闘!
そんな彼女を見つめるのは…?
異世界転生:恋愛 (※婚約者の王子とは結ばれません) 《完結しました》
お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆
気付けば名も知らぬ悪役令嬢に憑依して、見知らぬヒロインに手をあげていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
私が憑依した身体の持ちは不幸のどん底に置かれた悪役令嬢でした
ある日、妹の部屋で見つけた不思議な指輪。その指輪をはめた途端、私は見知らぬ少女の前に立っていた。目の前には赤く腫れた頬で涙ぐみ、こちらをじっと見つめる可憐な美少女。そして何故か右手の平が痛む私。もしかして・・今私、この少女を引っ叩いたの?!そして何故か頭の中で響き渡る謎の声の人物と心と体を共存することになってしまう。憑依した身体の持ち主はいじめられっ娘の上に悪役令嬢のポジションに置かれている。見るに見かねた私は彼女を幸せにする為、そして自分の快適な生活を手に入れる為に自ら身体を張って奮闘する事にした―。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています。
転生令嬢は捨てられた元婚約者に微笑む~悪役にされたけど、今さら愛されてももう遅い~
exdonuts
恋愛
前世で酷く裏切られ、婚約破棄された伯爵令嬢リリアーナ。涙の最期を迎えたはずが、気づけば婚約破棄より三年前の自分に転生していた。
今度こそもう誰にも傷つけられない——そう誓ったリリアーナは、静かに運命を書き換えていく。かつて彼女を見下し利用した人々が、ひとり、またひとりと破滅していく中……。
「リリアーナ、君だけを愛している」
元婚約者が涙ながらに悔やんでも、彼女の心はもう戻らない。
傷ついた令嬢が笑顔で世界を制す、ざまぁ&溺愛の王道転生ロマンス!
婚約破棄された令嬢は平凡な青年に拾われて、今さら後悔した公爵様に知らん顔されても困ります
exdonuts
恋愛
婚約者に裏切られ、社交界から笑い者にされた侯爵令嬢セシリア。すべてを失い途方に暮れる中、彼女を救ったのは町外れのパン屋で働く青年リアムだった。
「もう無理に頑張らなくていい」――そう言って微笑む彼の優しさに、凍りついていた心が溶けていく。
しかし、幸せが訪れた矢先、かつての婚約者が突然彼女の前に現れて……?
これは、失われた令嬢が本当の愛と尊厳を取り戻す、ざまぁと溺愛の物語。
『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』
ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」
そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。
さらに王太子は宣言する。
「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。
履行履歴も整えず、契約も軽視し、
新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。
――ですが。
契約は宣言では動きません。
信用は履歴の上にしか立ちません。
王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、
やがて止まったのは王太子の未来でした。
自ら押した承認印が、
自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。
公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。
救済なし。
やり直しなし。
契約通りに処理しただけですのに――
なぜか王太子が廃嫡されました。
お前との婚約は、ここで破棄する!
ねむたん
恋愛
「公爵令嬢レティシア・フォン・エーデルシュタイン! お前との婚約は、ここで破棄する!」
華やかな舞踏会の中心で、第三王子アレクシス・ローゼンベルクがそう高らかに宣言した。
一瞬の静寂の後、会場がどよめく。
私は心の中でため息をついた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる