『やりたくないからやらないだけ 〜自分のために働かない選択をした元貴族令嬢の静かな失踪〜』

鷹 綾

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30話 何も決めないまま続く日々

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30話 何も決めないまま続く日々

 朝、ファーファは珍しく、はっきりとした意識の中で目を覚ました。

 眠りが浅かったわけではない。むしろ深く、途切れもなかった。ただ、目を開けた瞬間に「今日はこうしよう」という考えが一切浮かばなかった。それが、少しだけ印象に残った。

 決め事がない朝は、ここでは普通だ。
 だが「決めようともしない自分」を、はっきり自覚したのは久しぶりだった。

 寝台の上で一度、天井を見上げる。木目は変わらず、光の入り方も昨日と似ている。違和感はない。違和感がないなら、考える必要もない。

 ゆっくりと起き上がり、外套を羽織る。扉を開けると、空気は澄み、朝日が斜めに差し込んでいた。山は静かで、風はほとんどない。

 箱は、置かれていた。

 いつも通りの位置。
 いつも通りの大きさ。

 それを見て、ファーファは思う。
 ――この「いつも通り」が、どれほどの判断の積み重ねで成り立っているのか。

 箱を中へ運び、蓋を開ける。保存食、乾燥野菜、油、布。構成は変わらない。だが今日は、乾燥野菜の種類が一部入れ替わっている。季節の変わり目を見越した調整だろう。

「……決めてる人は、決めてるのね」

 それは他人事のような言葉だった。ここで生活する自分は、大きな決定を何ひとつ下していない。それでも生活は滞りなく続いている。

 必要な分だけ取り出し、棚に置く。残りは箱に戻す。今日は、棚の中を少しだけ整理した。散らかっているわけではないが、動線を整えると無駄な動きが減る。

 効率化ではない。
 ただ、楽になる。

 湯を沸かし、紅茶を淹れる。今日は少し薄めにした。理由はない。強い味を受け止める気分ではなかった。それだけだ。

 椅子に腰掛け、カップを手に取る。温度はちょうどいい。熱すぎず、冷めすぎず。判断しなくても、身体が受け入れる状態。

 午前中、本を開く。今日は珍しく、最初から最後まで一章を読み切った。読み切ったからといって、達成感はない。読み切らなければならなかった理由もない。

 ただ、読み終えただけだ。

 昼、簡単な食事を取る。今日は少しゆっくり噛んだ。時間を気にしないと、食べる速度も自然に落ちる。身体が満足する前に終わらせる必要がない。

 食後、椅子に座り、何もせずに過ごす。
 窓の外の光が少しずつ変わる。

 ――このまま、何も決めずに生きていくのだろうか。

 問いは浮かんだが、答えは求めなかった。
 未来の自分に指示を出さない生活は、不安よりも軽さをもたらす。

 決めないということは、
 可能性を閉じないということでもある。

 午後、外に出る。家の周囲を一回りし、空気の匂いを確かめる。今日は乾いている。夜も冷え込みは弱いだろう。薪の追加は不要だ。

 こうした判断は、計画ではない。
 反射に近い。

 王都では、反射的な判断は危険とされた。
 ここでは、反射こそが最も自然だ。

 夕方、火を入れるか迷い、結局入れなかった。まだ必要ないと感じたからだ。迷ったが、迷いを長引かせなかった。決断に意味を持たせない。

 夜、灯りを落とし、寝台に横になる。

 今日も、何かを決めた記憶はない。
 だが、何も困らなかった。

 ファーファ・ノクティスは、
 何も決めないまま続く日々の中で、
 自分が少しずつ軽くなっていくのを感じている。

 過去の自分は、常に決断を求められていた。
 未来の自分は、きっと同じ場所にいる。

 それでいい。
 それ以上を、今は望まない。

 決めないまま続く日々は、
 彼女にとって、
 最も無理のない「生きている」という状態だった。
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