40 / 40
40話 それで、私は今日も生きている
しおりを挟む
40話 それで、私は今日も生きている
朝は、いつも通りにやって来た。
特別な夢を見たわけでもない。
胸が高鳴る予感があったわけでもない。
ただ、目が覚めた。それだけだ。
ファーファは寝台の上で、しばらく天井を見つめていた。
この天井には、意味がない。家名も、歴史も、象徴も刻まれていない。ただの木材と梁だ。
それが、心地よかった。
起き上がり、外套を羽織る。
動作は緩やかで、迷いがない。
扉を開けると、山はそこにあった。
今日も、何一つ変わらずに。
箱も、置かれている。
位置は同じ。
布も同じ。
特別な印はない。
ファーファはそれを見て、小さく息を吐いた。
「……うん」
それだけで十分だった。
箱を中に運び、蓋を開ける。
保存食、乾燥野菜、油、布。
過不足なく、淡々と、無感情に整えられた中身。
そこには、善意も悪意もない。
あるのは、約束だけだ。
棚に必要な分を移し、箱を片付ける。
作業はもう身体に馴染んでいる。考えなくても、手が動く。
王都で生きていた頃、
「慣れる」ということは、危険な兆候だった。
油断、慢心、隙。
誰かに利用される前触れ。
だが、今は違う。
慣れるということは、
生活が安定しているという証拠だ。
湯を沸かし、紅茶を淹れる。
今日は特に工夫しない。量も、時間も、いつも通り。
カップを手に取り、口を付ける。
美味しいとも、不味いとも思わない。
ただ、「飲める」と思う。
それでいい。
午前中、本を読む。
今日は少しだけ進んだ。だが、途中で閉じる。続きが気にならないわけではないが、今でなくてもいい。
「今でなくてもいい」
この言葉を、
かつての自分は持っていなかった。
王都では、
今やれ。
今決めろ。
今応えろ。
遅れは、罪だった。
昼、簡単な食事を取る。
身体が必要としている分だけ、静かに摂る。
満腹にもならず、
不足も感じない。
午後、外に出る。
家の周囲を一回りする。
風の向き、地面の硬さ、空の色。
どれも昨日と少しずつ違う。
だが、その違いは脅威ではない。
調整可能な範囲だ。
歩きながら、ふと思う。
――私は、何を失ったのだろう。
爵位。
領地。
屋敷。
名声。
将来。
王都的な価値観で言えば、
すべてだ。
だが、今ここで生きている自分にとって、
それらは「過去の荷物」でしかない。
――じゃあ、何を得たの?
静けさ。
安全。
無関心。
選ばない自由。
そして、
「何者にもならなくていい」という確信。
夕方、空がゆっくりと暗くなる。
火を入れるか迷い、今日は入れた。少し冷える。
理由はそれだけだ。
炎を見つめながら、ファーファは考える。
もし、明日、
この生活が終わるとしたら?
追手が来るかもしれない。
契約が破棄されるかもしれない。
世界が、再び彼女を思い出すかもしれない。
だが、それでもいい。
未来を恐れる理由はない。
今が、すでに十分だから。
夜、灯りを落とし、寝台に横になる。
王女でも、
令嬢でも、
貴族でもない。
評価される存在でもなく、
期待される役割もない。
それでも――
ファーファ・ノクティスは、
今日も生きている。
何かを成さなくても、
誰かに認められなくても、
物語にならなくても。
それで、いい。
働かない。
争わない。
名を残さない。
だが、
確かに息をして、
確かに今日を終える。
それこそが、
彼女が選び、
彼女が守り切った、
唯一の結末だった。
朝は、いつも通りにやって来た。
特別な夢を見たわけでもない。
胸が高鳴る予感があったわけでもない。
ただ、目が覚めた。それだけだ。
ファーファは寝台の上で、しばらく天井を見つめていた。
この天井には、意味がない。家名も、歴史も、象徴も刻まれていない。ただの木材と梁だ。
それが、心地よかった。
起き上がり、外套を羽織る。
動作は緩やかで、迷いがない。
扉を開けると、山はそこにあった。
今日も、何一つ変わらずに。
箱も、置かれている。
位置は同じ。
布も同じ。
特別な印はない。
ファーファはそれを見て、小さく息を吐いた。
「……うん」
それだけで十分だった。
箱を中に運び、蓋を開ける。
保存食、乾燥野菜、油、布。
過不足なく、淡々と、無感情に整えられた中身。
そこには、善意も悪意もない。
あるのは、約束だけだ。
棚に必要な分を移し、箱を片付ける。
作業はもう身体に馴染んでいる。考えなくても、手が動く。
王都で生きていた頃、
「慣れる」ということは、危険な兆候だった。
油断、慢心、隙。
誰かに利用される前触れ。
だが、今は違う。
慣れるということは、
生活が安定しているという証拠だ。
湯を沸かし、紅茶を淹れる。
今日は特に工夫しない。量も、時間も、いつも通り。
カップを手に取り、口を付ける。
美味しいとも、不味いとも思わない。
ただ、「飲める」と思う。
それでいい。
午前中、本を読む。
今日は少しだけ進んだ。だが、途中で閉じる。続きが気にならないわけではないが、今でなくてもいい。
「今でなくてもいい」
この言葉を、
かつての自分は持っていなかった。
王都では、
今やれ。
今決めろ。
今応えろ。
遅れは、罪だった。
昼、簡単な食事を取る。
身体が必要としている分だけ、静かに摂る。
満腹にもならず、
不足も感じない。
午後、外に出る。
家の周囲を一回りする。
風の向き、地面の硬さ、空の色。
どれも昨日と少しずつ違う。
だが、その違いは脅威ではない。
調整可能な範囲だ。
歩きながら、ふと思う。
――私は、何を失ったのだろう。
爵位。
領地。
屋敷。
名声。
将来。
王都的な価値観で言えば、
すべてだ。
だが、今ここで生きている自分にとって、
それらは「過去の荷物」でしかない。
――じゃあ、何を得たの?
静けさ。
安全。
無関心。
選ばない自由。
そして、
「何者にもならなくていい」という確信。
夕方、空がゆっくりと暗くなる。
火を入れるか迷い、今日は入れた。少し冷える。
理由はそれだけだ。
炎を見つめながら、ファーファは考える。
もし、明日、
この生活が終わるとしたら?
追手が来るかもしれない。
契約が破棄されるかもしれない。
世界が、再び彼女を思い出すかもしれない。
だが、それでもいい。
未来を恐れる理由はない。
今が、すでに十分だから。
夜、灯りを落とし、寝台に横になる。
王女でも、
令嬢でも、
貴族でもない。
評価される存在でもなく、
期待される役割もない。
それでも――
ファーファ・ノクティスは、
今日も生きている。
何かを成さなくても、
誰かに認められなくても、
物語にならなくても。
それで、いい。
働かない。
争わない。
名を残さない。
だが、
確かに息をして、
確かに今日を終える。
それこそが、
彼女が選び、
彼女が守り切った、
唯一の結末だった。
1
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。
潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。
婚約破棄された令嬢は、幸せになると決めました~追放先で出会った冷徹公爵が、なぜか溺愛してくる件~
sika
恋愛
名家の令嬢・アイリスは、婚約者の王太子から「平凡すぎる」と婚約破棄を突きつけられる。全てを奪われ、家からも冷たく追放された彼女がたどり着いたのは、戦場帰りの冷徹公爵・レオンの領地だった。誰にも期待しないようにしていたアイリスだったが、無愛想な彼の優しさに少しずつ心を開いていく。
やがて、笑顔を取り戻した彼女の前に、あの王太子が後悔と共に現れて——。
「すまない、戻ってきてくれ」
「もう、あなたの令嬢ではありません」
ざまぁと溺愛が交錯する、幸福への再生ストーリー。
【完結】婚約者はお譲りします!転生悪役令嬢は世界を救いたい!
白雨 音
恋愛
公爵令嬢アラベラは、階段から転落した際、前世を思い出し、
この世界が、前世で好きだった乙女ゲームの世界に似ている事に気付いた。
自分に与えられた役は《悪役令嬢》、このままでは破滅だが、避ける事は出来ない。
ゲームのヒロインは、聖女となり世界を救う《予言》をするのだが、
それは、白竜への生贄として《アラベラ》を捧げる事だった___
「この世界を救う為、悪役令嬢に徹するわ!」と決めたアラベラは、
トゥルーエンドを目指し、ゲーム通りに進めようと、日々奮闘!
そんな彼女を見つめるのは…?
異世界転生:恋愛 (※婚約者の王子とは結ばれません) 《完結しました》
お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆
気付けば名も知らぬ悪役令嬢に憑依して、見知らぬヒロインに手をあげていました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
私が憑依した身体の持ちは不幸のどん底に置かれた悪役令嬢でした
ある日、妹の部屋で見つけた不思議な指輪。その指輪をはめた途端、私は見知らぬ少女の前に立っていた。目の前には赤く腫れた頬で涙ぐみ、こちらをじっと見つめる可憐な美少女。そして何故か右手の平が痛む私。もしかして・・今私、この少女を引っ叩いたの?!そして何故か頭の中で響き渡る謎の声の人物と心と体を共存することになってしまう。憑依した身体の持ち主はいじめられっ娘の上に悪役令嬢のポジションに置かれている。見るに見かねた私は彼女を幸せにする為、そして自分の快適な生活を手に入れる為に自ら身体を張って奮闘する事にした―。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています。
転生令嬢は捨てられた元婚約者に微笑む~悪役にされたけど、今さら愛されてももう遅い~
exdonuts
恋愛
前世で酷く裏切られ、婚約破棄された伯爵令嬢リリアーナ。涙の最期を迎えたはずが、気づけば婚約破棄より三年前の自分に転生していた。
今度こそもう誰にも傷つけられない——そう誓ったリリアーナは、静かに運命を書き換えていく。かつて彼女を見下し利用した人々が、ひとり、またひとりと破滅していく中……。
「リリアーナ、君だけを愛している」
元婚約者が涙ながらに悔やんでも、彼女の心はもう戻らない。
傷ついた令嬢が笑顔で世界を制す、ざまぁ&溺愛の王道転生ロマンス!
婚約破棄された令嬢は平凡な青年に拾われて、今さら後悔した公爵様に知らん顔されても困ります
exdonuts
恋愛
婚約者に裏切られ、社交界から笑い者にされた侯爵令嬢セシリア。すべてを失い途方に暮れる中、彼女を救ったのは町外れのパン屋で働く青年リアムだった。
「もう無理に頑張らなくていい」――そう言って微笑む彼の優しさに、凍りついていた心が溶けていく。
しかし、幸せが訪れた矢先、かつての婚約者が突然彼女の前に現れて……?
これは、失われた令嬢が本当の愛と尊厳を取り戻す、ざまぁと溺愛の物語。
『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』
ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」
そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。
さらに王太子は宣言する。
「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。
履行履歴も整えず、契約も軽視し、
新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。
――ですが。
契約は宣言では動きません。
信用は履歴の上にしか立ちません。
王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、
やがて止まったのは王太子の未来でした。
自ら押した承認印が、
自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。
公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。
救済なし。
やり直しなし。
契約通りに処理しただけですのに――
なぜか王太子が廃嫡されました。
お前との婚約は、ここで破棄する!
ねむたん
恋愛
「公爵令嬢レティシア・フォン・エーデルシュタイン! お前との婚約は、ここで破棄する!」
華やかな舞踏会の中心で、第三王子アレクシス・ローゼンベルクがそう高らかに宣言した。
一瞬の静寂の後、会場がどよめく。
私は心の中でため息をついた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
令嬢には権限ないのに、勝手に何やってるんだろ…。