勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました

鷹 綾

文字の大きさ
19 / 32

第十九話 債権者来訪

しおりを挟む
第十九話 債権者来訪

王城の私室は、もう彼のものではなかった。

与えられたのは、南棟の一室。

王族用ではなく、来賓用でもない。

“暫定滞在者”の部屋。

机も椅子も簡素だ。

扉を叩く音が響く。

強い。

遠慮がない。

アレスは眉をひそめる。

「入れ」

扉が開く。

入ってきたのは三人。

黒い外套を着た男。

中央銀行組合の理事。

そして北方商会の代表。

全員、丁寧に一礼する。

だがその姿勢に、かつての敬意はない。

「アレス様」

銀行理事が言う。

アレスは椅子に深く座る。

「ようやく来たか」

「返済条件の調整だな」

理事は書類を机に置く。

「返済請求でございます」

その一言で空気が変わる。

「請求?」

商会代表が静かに続ける。

「保証主体がアレス様個人へ変更されました」

「よって、即時履行を求めます」

アレスは鼻で笑う。

「私は王族だ」

商会代表は目を逸らさない。

「現在は個人保証債務者でございます」

その呼び方。

王族でも、殿下でもない。

債務者。

アレスの拳が机を叩く。

「無礼だ」

銀行理事が淡々と答える。

「法に基づきます」

「支払期日まで残り六日」

「本日は事前確認でございます」

書類が開かれる。

金額。

利率。

延滞金。

条文が整然と並ぶ。

アレスは視線を逸らす。

「国家が払う」

「父上が命じる」

商会代表は小さく首を振る。

「国家保証は消滅しております」

「陛下は関与なさらぬと」

沈黙。

王の名は、ここでは力を持たない。

理事が続ける。

「履行不能の場合、資産差押え」

「私物、動産、不動産」

「王城内の所持品も対象」

アレスは立ち上がる。

「私の部屋に入る気か」

理事は静かに答える。

「法に基づき、許可が下りております」

その言葉と同時に、扉の外で足音がする。

近衛兵ではない。

執行官だ。

アレスの視線が揺れる。

「待て」

「交渉はできる」

商会代表が言う。

「可能でございます」

「ただし、担保をご提示ください」

「担保?」

「確実な返済能力の証明」

アレスは笑う。

乾いた笑いだ。

「私は王になる男だった」

銀行理事は冷静に返す。

「現在は債務者でございます」

その瞬間、アレスは理解する。

“殿下”と呼ばれない。

“王子”とも呼ばれない。

ただの名。

アレス。

それだけ。

執行官が入室する。

一礼。

「差押え対象確認に参りました」

アレスは声を荒げる。

「ここは王城だぞ!」

執行官は静かに答える。

「王城内私物は個人資産でございます」

机の上の宝飾品が持ち上げられる。

装飾剣が確認される。

棚の銀器が記録される。

ひとつひとつ。

番号が付けられる。

商会代表が告げる。

「これらは仮押え」

「正式差押えは期日後」

アレスは呆然と立ち尽くす。

昨日まで、頭を下げていた男たちが。

今は書類を読み上げる。

その声に敬語はある。

だが敬意はない。

銀行理事が最後に言う。

「期日までに履行されなければ、追加措置へ移行」

「労働契約条項も発動可能です」

アレスが睨む。

「労働?」

理事は目を細める。

「契約第十三条」

「履行不能時、労働による弁済」

沈黙。

扉が閉まる。

部屋に残るのは、記録された番号の紙。

そして空になった棚。

アレスはゆっくりと椅子に崩れ落ちる。

「俺は王になる男だった」

誰も答えない。

王城の外では、噂が広がる。

元王太子、債務者。

それは嘲笑ではない。

事実だ。

アルヴェルト公爵邸。

レイナ・アルヴェルトは報告を受ける。

「債権者、来訪確認」

「私物の仮押え実施」

レイナは頷く。

「契約通りですね」

側近が言う。

「“殿下”とは呼ばれなかったと」

レイナは紅茶を一口飲む。

「肩書きは、保証で保たれるものです」

窓の外、王城は変わらず立つ。

だがその中で。

一人の男が、初めて現実を知る。

彼に残されたのは、名でも権限でもない。

支払期限。

そして。

容赦のない債権者だけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学園では婚約者に冷遇されていますが、有能なので全く気になりません。〜学園でお山の大将されてても、王宮では私の方が有能ですから〜

織り子
恋愛
王都カラディナにある国立魔術学園では、満十六歳の生徒たちの社交界デビューを兼ねた盛大なパーティーが開かれていた。 侯爵令嬢タレイア・オルトランは、婚約者である第二王子アスラン・オグセリアの迎えを待つも、結局ひとりで会場へ向かうことになる。 学園では身分の差がないとはいえ、アスランが公然とタレイアを侮辱し続けてきたことで、彼女は生徒たちから冷笑と蔑視の的となっていた。しかしタレイアは、王城で政務を担ってきた聡明さと矜持を失わず、毅然と振る舞う。

婚約辞退いたします。だってこの国、沈みますもの

鍛高譚
恋愛
「婚約はお断りいたします――この国は近い将来、崩壊しますので」 そう言い放ったのは、社交界でも目立たない子爵令嬢、マリン・アクアリウム。 ある日、とある舞踏会に突如現れた王太子ガイア殿下。 誰もが驚く中、なんと彼はマリンに婚約を申し出る。 周囲は騒然。「子爵令嬢が王太子妃!?」「断る理由などないはず!」 ――だが、彼女は断った。「この国は、もうすぐ滅びます」――と。 そんな不吉な言葉を口にしたことで、彼女は“狂言癖のある嘘つき令嬢”と噂され、 家族にさえ見放され、ついには国外追放の身に。 だが、彼女の予言は本物だった―― 数年後、王国に未曾有の大災厄が迫る。 国土が崩れ、海に沈む都市。人々が絶望する中、思い出されるのは、 あの舞踏会でただひとり“滅び”を告げた少女の名。 「彼女なら、この国を救えるかもしれない……」 皮肉にも“追放令嬢”マリンは、再び王都に呼び戻され、 滅びゆく国で最後の希望として担ぎ上げられる。 信じてもらえなかった過去。 それでも人々の命を守ろうと奔走するマリン。 そして、王子ガイアが差し伸べた、あの日と変わらぬ手。 ――たとえ国が滅んでも、あなたとともに歩んでいきたい。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。

織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。 父であるアーヴェント大公に疎まれている―― 噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。

こうして私は悪魔の誘惑に手を伸ばした

綴つづか
恋愛
何もかも病弱な妹に奪われる。両親の愛も、私がもらった宝物もーー婚約者ですらも。 伯爵家の嫡女であるルリアナは、婚約者の侯爵家次男ゼファーから婚約破棄を告げられる。病弱で天使のような妹のカリスタを抱き寄せながら、真実の愛を貫きたいというのだ。 ルリアナは、それを粛々と受け入れるほかなかった。 ゼファーとカリスタは、侯爵家より譲り受けた子爵領へと移り住み、幸せに暮らしていたらしいのだが。2年後、『病弱』な妹は、出産の際に命を落とす。 ……その訃報にルリアナはひっそりと笑みを溢した。 妹に奪われてきた姉が巻き込まれた企みのお話。 他サイトにも掲載しています。※ジャンルに悩んで恋愛にしていますが、主人公に恋愛要素はありません。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

「義妹に譲れ」と言われたので、公爵家で幸せになります

恋せよ恋
恋愛
「しっかり者の姉なら、婚約者を妹に譲ってあげなさい」 「そうだよ、バネッサ。君なら、わかるだろう」 十五歳の冬。父と婚約者パトリックから放たれた無慈悲な言葉。 再婚相手の連れ子・ナタリアの図々しさに耐えてきたバネッサは、 その瞬間に決意した。 「ええ、喜んで差し上げますわ」 将来性のない男も、私を軽んじる家族も、もういらない。 跡継ぎの重責から解放されたバネッサは、その類まれなる知性を見込まれ、 王国の重鎮・ヴィンセント公爵家へ嫁ぐことに。 「私は、私を一番に愛してくれる場所で幸せになります!」 聡明すぎる令嬢による、自立と逆転のハッピーエンド。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

処理中です...