婚約破棄されたので30歳年上公爵様と婚約しました ――魔法少女は、公爵夫人になります――

鷹 綾

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第15話 広がる噂、静かな決意

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第15話 広がる噂、静かな決意

翌朝の王都は、奇妙なほど穏やかだった。

昨夜の魔獣侵攻が嘘だったかのように、市場は開き、パン屋の窯からは香ばしい匂いが漂っている。人々は日常へ戻ろうとしていた――だが、完全に戻れる者は、まだ少ない。

「……聞いた?」

「西門で、空が光ったって」

「ロバに乗った子がいたらしいわよ」

噂は、囁きから始まる。

確証はない。
だが、断片だけは、確実に人の口を巡っていた。

ローマン公爵邸の朝も、静かだった。

執務棟の一角、簡易的に設けられた医務室では、数名の騎士が包帯を外し、肩を回している。

「……本当に、痛みが残っていない」

「昨日まで、槍を振るのも辛かったのに」

「夢でも見てる気分だな」

彼らの視線の先には、ミント・マリーベルがいた。

白衣のような簡素な外套を羽織り、机の上に並べられた記録用紙へ、淡々とペンを走らせている。

「問題はありませんか?」

「はい!」

「完治です!」

即答が返るたび、ミントは静かに頷いた。

「後遺症の兆候もありません」

「三日は安静にしてください」

「え、もう訓練に――」

「三日、です」

きっぱりと告げられ、騎士は姿勢を正す。

「……了解しました」

部屋の隅で、それを見ていたアルフレッドが、小声で呟いた。

「……完全に、主治医だな」

「しかも逆らえないタイプの」

ナンシーは、苦笑しながら腕を組む。

「昨日まで、年下だと思ってた自分が恥ずかしいわ」

「“守る側”の顔を、もう隠してないもの」

ミントは、最後の騎士を見送り、深く息を吐いた。

「……これで、最低限の対応は終わりました」

そのとき、扉がノックされる。

「入れ」

グレイ・ローマン公爵の声だった。

入室した彼は、簡易医務室の様子を一瞥し、短く頷く。

「混乱は、抑えられている」

「騎士団の士気も、高い」

「……お前のおかげだ」

ミントは、首を振った。

「私一人の力ではありません」

「昨夜、現場を守った皆さんがいたからです」

「謙遜は、評価を下げる」

グレイは、淡々と返す。

「事実は事実だ」

「そして」

一拍置く。

「問題は、これからだ」

ミントは、静かに背筋を伸ばした。

「噂、ですね」

「ああ」

グレイは、書類を机に置く。

「王宮から、非公式の照会が来ている」

「内容は?」

「……お前の“正体”だ」

その言葉に、部屋の空気がわずかに重くなる。

ナンシーが、低く言った。

「隠しきれない、ということ?」

「完全にはな」

グレイは、否定しない。

「だが、すべてを明かす必要もない」

「線引きが必要だ」

ミントは、少し考え――静かに答えた。

「“事実だけ”で、十分です」

「事実?」

「はい」

ミントは、淡々と列挙する。

「私は、魔法学院を首席で卒業した魔法士です」

「王都防衛において、
戦力として動きました」

「それ以上でも、それ以下でもありません」

「……ペガサスは?」

アルフレッドが、恐る恐る尋ねる。

ミントは、少し困ったように微笑んだ。

「“非常に珍しい魔獣と縁がある”」

「その程度で、よいかと」

ロシナンテが、ちょうどそのタイミングで顔を出す。

「ヒヒン」

(意訳:盛りすぎるな)

「……本人――」

「本人じゃないけど」

「本人がそう言ってるなら……」

場が、少し和らいだ。

グレイは、ミントをまっすぐに見る。

「一つ、聞いておきたい」

「はい」

「昨夜」

「なぜ、あそこまで被害を抑えることに拘った」

「もっと早く、強い方法もあったはずだ」

ミントは、即答しなかった。

少しだけ、窓の外を見る。

王都の屋根。
朝の光。
戻りつつある日常。

「……壊すのは、簡単です」

静かな声。

「ですが」

「壊れた日常を、元に戻すのは」

「とても、難しい」

「私は」

一拍。

「公爵夫人になる人間です」

その言葉に、全員の視線が集まる。

「守るのは、城や地位ではありません」

「ここで暮らす人々の、明日です」

「そのためなら」

「時間がかかっても、
手間が増えても」

「最善を選びます」

沈黙。

その重さを、誰もが理解していた。

グレイは、深く息を吐き、そして頷いた。

「……十分だ」

「それでこそ」

「ローマン公爵家の名に恥じない」

そのとき。

廊下の向こうから、使用人の声が響いた。

「公爵様!」

「王都の民より、礼状と……」

「差し入れが、届いております!」

ミントは、目を瞬かせた。

「……差し入れ?」

「果物、パン、花……」

「“昨夜のお礼に”と」

「名乗らない方が、大半です」

アルフレッドが、呆然と呟く。

「……もう」

「英雄扱い、始まってない?」

ミントは、小さく苦笑した。

「困りましたね……」

「受け取るしかない」

グレイは、即断する。

「断れば、かえって混乱する」

「だが」

ミントを見る。

「表に出るな」

「しばらくは、私が盾になる」

ミントは、深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「ですが」

顔を上げ、はっきりと言う。

「逃げるつもりは、ありません」

「必要な時は、前に出ます」

「……覚悟は変わらんか」

「はい」

即答だった。

その様子を見て、ロシナンテが満足そうに鼻を鳴らす。

「ヒヒン」

(意訳:主、揺るがず)

こうして。

王都を救った一夜の後――
ミント・マリーベルは、
英雄として持ち上げられることも、
影に隠れることも選ばなかった。

彼女が選んだのは。

静かに、責任を引き受ける道。

そして、その静けさこそが――
次なる波を、確実に呼び寄せていた。

王都は、まだ知らない。

この少女が、
“守った”だけで終わる存在ではないことを。
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