婚約破棄されたので30歳年上公爵様と婚約しました ――魔法少女は、公爵夫人になります――

鷹 綾

文字の大きさ
33 / 40

第33話 名前が先に歩く日

しおりを挟む
第33話 名前が先に歩く日

それは、前触れもなく始まった。

「……ミント様?」

使用人が、戸惑った声で呼びかけてきたのは、朝の執務が始まる直前だった。

「王都南門の詰所から、連絡が……」

「“ローマン公爵家の名で確認を取った”と」

ミント・マリーベルは、手を止めた。

「……私の名で、ですか?」

「はい」

使用人は、困ったように頷く。

「内容は……」

「“例の基準に照らして問題ないと判断したため、通行を許可した”と」

その言葉に、ナンシーが眉を上げた。

「ちょっと待って」

「あなた」

「南門の件、
何か判断した?」

「いいえ」

ミントは、即答した。

「昨日は」

「書類整理と、
小神殿の件だけです」

グレイ・ローマン公爵は、静かに立ち上がった。

「……名が」

「本人より先に、
動いたな」

その日のうちに、事情は明らかになった。

南門で問題になっていたのは、地方から運び込まれた魔力素材。
危険性は低いが、規定が曖昧で、本来なら一時保留になる案件。

だが、詰所の責任者はこう判断したという。

――以前、ミント様が示した基準に照らせば、問題ない。
――ならば、止める理由はない。

「……勝手に」

アルフレッドが、唖然とする。

「基準を、
使われた?」

「はい」

ミントは、ゆっくりと頷いた。

「しかも」

「確認を取った、
という形で」

ジョーが、低く唸る。

「これは……」

「便利に、
使われ始めたな」

「はい」

ミントは、否定しなかった。

「悪意は、
ありません」

「ですが」

「危険な兆候です」

午後。

ローマン公爵邸には、南門詰所の責任者が呼ばれた。

「……申し訳ありません」

男は、深く頭を下げる。

「ですが」

「以前、ミント様が」

「“危険性が数値で低く、
管理が可能ならば通す”と
おっしゃっていたので……」

ミントは、静かに問い返した。

「その判断を」

「誰が、
最終的に負いましたか」

「……私、です」

「はい」

ミントは、頷いた。

「それなら」

「問題は、
ありません」

男は、驚いたように顔を上げる。

「え……?」

「ですが」

ミントは、続ける。

「“ミント様に確認を取った”
という表現は」

「使わないでください」

「私は」

「その場に、
いませんでした」

「名を出せば」

「判断が、
軽くなります」

男は、息を呑んだ。

「……軽く?」

「はい」

ミントは、はっきりと言う。

「自分の判断ではなく」

「誰かの名前に、
寄りかかるからです」

沈黙。

やがて、男は深く頭を下げた。

「……以後」

「気をつけます」

「ありがとうございます」

ミントは、穏やかに答えた。

だが、問題はそれで終わらなかった。

翌日、翌々日。

「ミント様の基準では――」
「ミント様も、以前――」

そんな言葉が、あちこちで使われ始める。

決定権は、相手にある。
だが、責任の影が、ミントに寄ってくる。

執務室で。

ナンシーが、苛立ちを隠さず言った。

「これ」

「あなたの名前が、
便利札になってる」

「はい」

ミントは、頷いた。

「だから」

「一度、
止めます」

グレイが、静かに言う。

「どうやってだ」

ミントは、一枚の文書を差し出した。

「“ミント・マリーベル名義の基準”を、
正式に撤回します」

全員が、息を呑む。

「え?」

アルフレッドが、思わず声を上げる。

「でも」

「それ、
今まで積み上げてきたものだろ?」

「はい」

ミントは、迷いなく答えた。

「ですが」

「基準は、
人に属するものではありません」

「制度に、
属するべきです」

翌日。

王都管理局、文官組合、主要詰所に通達が出された。

――これまで「ミント・マリーベルの判断基準」と呼ばれていた指針は、
――ローマン公爵家および王都管理局の共同基準として再整理される。
――個人名を冠した判断は、今後使用しない。

反応は、様々だった。

「不便になった」
「判断が重くなった」
「でも……正しい」

その夜。

ミントは、庭でロシナンテのたてがみを撫でていた。

「……名前が」

「先に歩くのは」

「怖いですね」

「ヒヒン」

(意訳:だから戻した)

「はい」

ミントは、小さく笑った。

「私は」

「道を、
示したかっただけです」

「誰かの代わりに」

「歩き続けるためでは、
ありません」

ロシナンテが、静かに羽を震わせる。

「ヒヒン」

(意訳:道は残った)

「ええ」

ミントは、夜空を見上げる。

「名前を、
外しても」

「道は、
消えません」

王都では、少しだけ不便になった。

判断に時間がかかり、
責任の所在を、毎回考える必要がある。

だが、それは――
誰かの名前に、寄りかからないための不便さだった。

そしてミント・マリーベルは、確信する。

名が先に歩くのではない。
人が歩き、
名は後から、ついてくる。

それでいい。
それがいい。

彼女は、そう思える場所に、
確かに立っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜

六角
恋愛
「可愛げがないから婚約破棄だ」 王国の公爵令嬢コーデリアは、その有能さゆえに「鉄の女」と疎まれ、無邪気な聖女を選んだ王太子によって国外追放された。 極寒の国境で凍える彼女を拾ったのは、敵対する帝国の「氷の皇帝」ジークハルト。 「私が求めていたのは、その頭脳だ」 皇帝は彼女の才能を高く評価し、なんと皇后として迎え入れた! コーデリアは得意の「物流管理」と「実務能力」で帝国を黄金時代へと導き、氷の皇帝から極上の溺愛を受けることに。 一方、彼女を失った王国はインフラが崩壊し、経済が破綻。焦った元婚約者は戦争を仕掛けてくるが、コーデリアの完璧な策の前に為す術なく敗北する。 和平交渉の席、泥まみれで土下座する元王子に対し、美しき皇后は冷ややかに言い放つ。 「頭が高いのではないでしょうか? 私はもう、貴国を支配する帝国の皇后ですので」 これは、捨てられた有能令嬢が、最強のパートナーと共に元祖国を「実務」で叩き潰し、世界一幸せになるまでの爽快な大逆転劇。

白い結婚を告げようとした王子は、冷遇していた妻に恋をする

夏生 羽都
恋愛
ランゲル王国の王太子ヘンリックは結婚式を挙げた夜の寝室で、妻となったローゼリアに白い結婚を宣言する、 ……つもりだった。 夫婦の寝室に姿を見せたヘンリックを待っていたのは、妻と同じ髪と瞳の色を持った見知らぬ美しい女性だった。 「『愛するマリーナのために、私はキミとは白い結婚とする』でしたか? 早くおっしゃってくださいな」 そう言って椅子に座っていた美しい女性は悠然と立ち上がる。 「そ、その声はっ、ローゼリア……なのか?」 女性の声を聞いた事で、ヘンリックはやっと彼女が自分の妻となったローゼリアなのだと気付いたのだが、驚きのあまり白い結婚を宣言する事も出来ずに逃げるように自分の部屋へと戻ってしまうのだった。 ※こちらは「裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。」のIFストーリーです。 ヘンリック(王太子)が主役となります。 また、上記作品をお読みにならなくてもお楽しみ頂ける内容となっております。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

処理中です...