『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』

鷹 綾

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第13話「知らないふりは、もうできない」

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第13話「知らないふりは、もうできない」

 その手紙は、粗末な封筒に入っていた。

 上質な紙でもなければ、王城の紋章もない。
 どこにでもある、安宿の帳場で売られていそうな封筒。

 だが――
 マルティナ・ヴァインベルクは、それを手に取った瞬間、指を止めた。

「……これは」

 宛名の文字が、微妙に震えている。

 急いで書いたわけでも、
 雑に書いたわけでもない。

 恐れながら、慎重に書かれた字。

 彼女は、すぐに封を切らなかった。
 まず、周囲を確認する。

 今いるのは、国外の小さな町。
 宿屋の一室。
 誰の目も、ない。

 それを確認してから、
 ゆっくりと封を開いた。

 中身は、短い手紙だった。


---

> マルティナ・ヴァインベルク様

突然のお手紙、失礼いたします。
私は、王城の文書管理室に勤務しておりました、
エルンストと申します。

調査や告発のつもりは、ありません。
ただ、
「おかしいと思った」
それだけを、お伝えしたくて、筆を取りました。

フローラ・エヴァンス様の経歴書には、
不自然な空白と、過剰な整合性があります。
偽造と断定できるものではありません。
ですが、
作られた書類の特徴が、あまりにも揃いすぎています。

私は、この件を調べようとして、
休養という名目で城を離れることになりました。

もし、私の感覚が間違っているなら、
どうか、この手紙を破棄してください。

ただ――
あの方のそばにいる王太子殿下が、
あまりにも、
以前と違う存在になっていることだけが、
気がかりでなりません。

敬具




---

 読み終えた後、
 マルティナは、しばらく動けなかった。

 否定は、簡単だ。

(関係ない)
(もう、私は離れた)
(今さら、何ができる)

 そう思う理由は、いくらでもある。

 だが――

(……やっぱり)

 心の奥で、
 否定できない感覚が、静かに確信へ変わっていく。

 自分が感じていた違和感。
 フローラ・エヴァンスという存在の、
 完璧すぎる空虚さ。

 それを、
 自分以外の第三者が、
 まったく別の角度から感じ取っている。

(偶然じゃない)

 マルティナは、深く息を吸った。

(これは……構造だ)

 彼女は、机に置いた地図を見る。

 王国。
 交易路。
 周辺国。

 かつて、自分が把握していたすべて。

(オスカー)

 その名前を、
 心の中で呼ぶ。

 かつての婚約者。
 愚かではあったが、
 ここまで壊れてはいなかった男。

(あの人は……
 操られている)

 それは、同情ではない。
 分析だ。

 そして――
 放置すれば、国が壊れる。

(……最悪)

 マルティナは、椅子に深く腰掛けた。

 関わりたくなかった。
 二度と、あの城の空気を吸いたくなかった。

 だが。

(見過ごせない)

 彼女は、ペンを取った。

 返事を書くためではない。
 整理するためだ。

 フローラ・エヴァンス。
 経歴が薄い。
 感情が動かない。
 常に肯定する。

 王太子オスカー。
 否定を排除。
 忠告を敵視。
 判断を外部に投影。

(……最悪の組み合わせ)

 そして、その中心に、
 作られた理想がいる。

 一方、その頃。

 王城。

 フローラ・エヴァンスは、
 わずかな異変を感じ取っていた。

(……空気が、動いた)

 理由は、分からない。
 報告も、ない。

 だが、
 “調べた人間が消えた”後の空気とは、
 明らかに違う。

(誰かに、渡った)

 それが、直感だった。

 フローラは、静かに指を組む。

(……マルティナ)

 彼の中で、
 その名前が浮かび上がる。

 止める役を追い出された女。
 理性で動く人間。
 感情より、構造を見る。

(厄介)

 だが、
 まだ焦る段階ではない。

 違和感は、
 証明されなければ、
 ただの疑念だ。

 そして今の王城には、
 疑念を口にできる場所がない。

 夜。

 オスカー・フォン・ルーヴェンは、
 珍しく不機嫌だった。

「最近、妙な視線を感じる」

 彼は、苛立ちを隠さずに言う。

「誰かが、俺を疑っている」

 フローラは、静かに首を振る。

「殿下を疑う者など、いません」

 即答。

「殿下が正しいからです」

 その言葉に、
 オスカーは、少しだけ落ち着いた。

「……そうだな」

 だが、その胸の奥に、
 初めて、
 言葉にできない不安が残る。

 それは、
 誰かが裏で動いているという感覚。

 そして、その感覚は――
 間違っていなかった。

 遠く離れた町で、
 マルティナ・ヴァインベルクは、
 静かに決断していた。

「……調べるだけ」

 助けるつもりはない。
 救うつもりもない。

 ただ、
 事実を確認する。

 それだけだ。

 だが、
 それがどれほど大きな波紋を呼ぶかを、
 彼女は、すでに理解していた。

 こうして。

 封印されたはずの違和感は、
 ついに――
 止める役の手に戻った。
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