20 / 40
第20話 「整えすぎた答え」
しおりを挟む
第20話
「整えすぎた答え」
その違和感は、怒りではなかった。
失望でもない。
まして、裏切られたという感情ですらない。
――ただ、
整えすぎている。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、
自室で報告書を読みながら、
その一点に、強く引っかかっていた。
フローラ・エヴァンスに関する補足資料。
昨日の老文官の証言を受け、
提出された“説明文”。
文章は、完璧だった。
論理的で、丁寧。
感情に訴えず、
事実だけを並べている。
だが。
(……早すぎる)
老文官の聴取から、
半日も経っていない。
にもかかわらず、
これほど整った説明が出てくるのは、
準備されていたと考える方が自然だ。
(偶然じゃない)
オスカーは、
紙を置き、
目を閉じた。
胸の奥で、
何かが、
静かに冷えていく。
それは、
感情が消える感覚だった。
――判断が始まる合図。
一方。
フローラ・エヴァンスは、
王城の一室で、
一人、鏡を見つめていた。
顔色は、
いつもと変わらない。
微笑みも、
崩れていない。
だが、
指先だけが、
わずかに冷たい。
(……詰めが甘かった)
老文官。
あの男は、
使えると思った。
だが、
完全ではなかった。
(“本人の意向ではない”
……余計な一言)
フローラは、
唇を噛みしめる。
(もう、
時間がない)
これ以上、
偶然を許せば、
線は太くなる。
ならば。
(こちらから、
終わらせる)
彼女は、
決断した。
それは、
逃走でも、
自白でもない。
主導権の奪還。
その日の午後。
フローラは、
自らオスカーを訪ねた。
「殿下」
執務室に入るなり、
深く一礼する。
「お時間をいただきたく」
オスカーは、
顔を上げる。
その目には、
もう、
以前の温度はなかった。
「……何だ」
「私に関する噂と調査について、
ご説明の機会を」
先手。
完全に、
フローラから切り出した。
オスカーは、
少しだけ考え、
頷く。
「話せ」
フローラは、
用意してきた言葉を、
一つずつ並べる。
過去。
後見人。
推薦状。
名を騙る人物。
どれも、
論理的だ。
穴は、
ほとんどない。
だが。
オスカーは、
その説明を聞きながら、
ある一点だけを見ていた。
――感情。
そこに、
揺れがない。
恐れも、
怒りも、
戸惑いも。
まるで、
第三者の話を
しているようだ。
「……以上です」
フローラは、
静かに締めくくる。
「ご不明な点があれば、
何なりと」
オスカーは、
すぐには答えなかった。
机に、
指を置く。
「フローラ」
名前を呼ぶ。
「君は、
この話をしていて、
怖くないのか?」
唐突な質問。
フローラは、
一瞬だけ、
言葉を失った。
「……何を、
おっしゃっているのか」
「自分の立場が、
揺らいでいる」
「婚約が、
破談になるかもしれない」
「それでも、
君は、
少しも揺れない」
沈黙。
フローラは、
微笑もうとした。
だが、
口角が、
わずかに引きつった。
「私は、
殿下を信じています」
その答えを聞いて、
オスカーは、
はっきりと理解した。
(……違う)
信じているのは、
自分ではない。
状況だ。
整えた言葉。
整えた過去。
整えた反応。
すべてが、
“想定内”でしか動いていない。
「……分かった」
オスカーは、
立ち上がった。
「この件は、
俺一人の判断では
扱わない」
フローラの瞳が、
わずかに見開かれる。
「第三者を交え、
正式な調査とする」
それは、
宣告だった。
「婚約者である君も、
例外ではない」
フローラは、
一瞬、
言葉を失う。
「……それは」
「当然だ」
オスカーの声は、
冷静だった。
「信頼の問題ではない」
「制度の問題だ」
フローラは、
深く息を吸う。
そして、
ゆっくりと頭を下げた。
「……承知しました」
その声には、
わずかな、
硬さが混じっていた。
執務室を出た瞬間。
フローラは、
壁に手をついた。
(……最悪)
主導権は、
完全に失われた。
もう、
言葉では取り繕えない。
一方。
オスカーは、
一人、
窓の外を見つめていた。
胸の奥に、
奇妙な静けさがある。
(これが……
選ぶ、ということか)
彼の脳裏に、
再び、
マルティナの姿が浮かぶ。
あの冷静な目。
感情に流されず、
距離を取っていた理由。
(……彼女は、
最初から、
こうなると分かっていたのか)
オスカーは、
ゆっくりと息を吐く。
「……婚約は」
その言葉を、
口に出しかけて、
止めた。
まだ、
終わりではない。
だが、
始まってしまった。
個人の信頼では、
もう戻れない場所へ。
整えすぎた答えは、
皮肉にも、
フローラ自身を追い詰めていた。
-
「整えすぎた答え」
その違和感は、怒りではなかった。
失望でもない。
まして、裏切られたという感情ですらない。
――ただ、
整えすぎている。
オスカー・フォン・ルーヴェンは、
自室で報告書を読みながら、
その一点に、強く引っかかっていた。
フローラ・エヴァンスに関する補足資料。
昨日の老文官の証言を受け、
提出された“説明文”。
文章は、完璧だった。
論理的で、丁寧。
感情に訴えず、
事実だけを並べている。
だが。
(……早すぎる)
老文官の聴取から、
半日も経っていない。
にもかかわらず、
これほど整った説明が出てくるのは、
準備されていたと考える方が自然だ。
(偶然じゃない)
オスカーは、
紙を置き、
目を閉じた。
胸の奥で、
何かが、
静かに冷えていく。
それは、
感情が消える感覚だった。
――判断が始まる合図。
一方。
フローラ・エヴァンスは、
王城の一室で、
一人、鏡を見つめていた。
顔色は、
いつもと変わらない。
微笑みも、
崩れていない。
だが、
指先だけが、
わずかに冷たい。
(……詰めが甘かった)
老文官。
あの男は、
使えると思った。
だが、
完全ではなかった。
(“本人の意向ではない”
……余計な一言)
フローラは、
唇を噛みしめる。
(もう、
時間がない)
これ以上、
偶然を許せば、
線は太くなる。
ならば。
(こちらから、
終わらせる)
彼女は、
決断した。
それは、
逃走でも、
自白でもない。
主導権の奪還。
その日の午後。
フローラは、
自らオスカーを訪ねた。
「殿下」
執務室に入るなり、
深く一礼する。
「お時間をいただきたく」
オスカーは、
顔を上げる。
その目には、
もう、
以前の温度はなかった。
「……何だ」
「私に関する噂と調査について、
ご説明の機会を」
先手。
完全に、
フローラから切り出した。
オスカーは、
少しだけ考え、
頷く。
「話せ」
フローラは、
用意してきた言葉を、
一つずつ並べる。
過去。
後見人。
推薦状。
名を騙る人物。
どれも、
論理的だ。
穴は、
ほとんどない。
だが。
オスカーは、
その説明を聞きながら、
ある一点だけを見ていた。
――感情。
そこに、
揺れがない。
恐れも、
怒りも、
戸惑いも。
まるで、
第三者の話を
しているようだ。
「……以上です」
フローラは、
静かに締めくくる。
「ご不明な点があれば、
何なりと」
オスカーは、
すぐには答えなかった。
机に、
指を置く。
「フローラ」
名前を呼ぶ。
「君は、
この話をしていて、
怖くないのか?」
唐突な質問。
フローラは、
一瞬だけ、
言葉を失った。
「……何を、
おっしゃっているのか」
「自分の立場が、
揺らいでいる」
「婚約が、
破談になるかもしれない」
「それでも、
君は、
少しも揺れない」
沈黙。
フローラは、
微笑もうとした。
だが、
口角が、
わずかに引きつった。
「私は、
殿下を信じています」
その答えを聞いて、
オスカーは、
はっきりと理解した。
(……違う)
信じているのは、
自分ではない。
状況だ。
整えた言葉。
整えた過去。
整えた反応。
すべてが、
“想定内”でしか動いていない。
「……分かった」
オスカーは、
立ち上がった。
「この件は、
俺一人の判断では
扱わない」
フローラの瞳が、
わずかに見開かれる。
「第三者を交え、
正式な調査とする」
それは、
宣告だった。
「婚約者である君も、
例外ではない」
フローラは、
一瞬、
言葉を失う。
「……それは」
「当然だ」
オスカーの声は、
冷静だった。
「信頼の問題ではない」
「制度の問題だ」
フローラは、
深く息を吸う。
そして、
ゆっくりと頭を下げた。
「……承知しました」
その声には、
わずかな、
硬さが混じっていた。
執務室を出た瞬間。
フローラは、
壁に手をついた。
(……最悪)
主導権は、
完全に失われた。
もう、
言葉では取り繕えない。
一方。
オスカーは、
一人、
窓の外を見つめていた。
胸の奥に、
奇妙な静けさがある。
(これが……
選ぶ、ということか)
彼の脳裏に、
再び、
マルティナの姿が浮かぶ。
あの冷静な目。
感情に流されず、
距離を取っていた理由。
(……彼女は、
最初から、
こうなると分かっていたのか)
オスカーは、
ゆっくりと息を吐く。
「……婚約は」
その言葉を、
口に出しかけて、
止めた。
まだ、
終わりではない。
だが、
始まってしまった。
個人の信頼では、
もう戻れない場所へ。
整えすぎた答えは、
皮肉にも、
フローラ自身を追い詰めていた。
-
7
あなたにおすすめの小説
「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした
しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」
十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。
会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。
魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。
※小説家になろう様にも投稿しています※
「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」
歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。
「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは
泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析
能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り
続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。
婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」
愛しの第一王子殿下
みつまめ つぼみ
恋愛
公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。
そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。
クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。
そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。
婚約者から妾になれと言われた私は、婚約を破棄することにしました
天宮有
恋愛
公爵令嬢の私エミリーは、婚約者のアシェル王子に「妾になれ」と言われてしまう。
アシェルは子爵令嬢のキアラを好きになったようで、妾になる原因を私のせいにしたいようだ。
もうアシェルと関わりたくない私は、妾にならず婚約破棄しようと決意していた。
婚約破棄の慰謝料として『王国の半分』を要求したら、本当にくれたので、今日から私があなたの女王様です
唯崎りいち
恋愛
婚約破棄の慰謝料に
「王国の半分」を要求したら、
ゴミみたいな土地を押し付けられた。
ならば――関所を作りまくって
王子を経済的に詰ませることにした。
支配目当ての女王による、
愛なき(?)完全勝利の記録。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
私は私で幸せになりますので
あんど もあ
ファンタジー
子爵家令嬢オーレリーの両親は、六歳年下の可憐で病弱なクラリスにかかりっきりだった。
ある日、クラリスが「オーレリーが池に落ちる夢を見た」と予言をした。
それから三年。今日オーレリーは、クラリスの予言に従い、北の果ての領地に住む伯爵令息と結婚する。
最後にオーレリーが皆に告げた真実とは。
お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ
Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。
理由は決まって『従妹ライラ様との用事』
誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。
「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」
二人の想いは、重なり合えるのだろうか ……
※他のサイトにも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる