『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』

鷹 綾

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第34話「失われたものの正体」

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第34話「失われたものの正体」

 最初は、誰も異変だとは思わなかった。

 会議が長引く。
 結論が翌日に持ち越される。
 決裁書類が、机の上で滞る。

 それだけのこと。

 王都では、
 そんなことは日常茶飯事だった。

「……次の議題に移ろう」

 重臣の一人が、
 疲れた声で言う。

 すでに三時間。
 結論は、一つも出ていない。

「結局、
 どこが落としどころなのだ?」

 誰かが問う。

 だが、
 答えは出ない。

 意見はある。
 理屈も揃っている。

 それでも――
 決められない。

 会議室に、
 重い沈黙が落ちる。

「……以前は、
 ここまで停滞しなかったな」

 ぽつりと漏れた一言に、
 誰も反論しなかった。

 その沈黙こそが、
 異常だった。

 一方、商務局。

 帳簿を睨んでいた官僚が、
 ゆっくりと顔を上げた。

「……おかしい」

 隣にいた同僚が、
 視線を向ける。

「何がだ?」

「数字は、
 致命的ではない」

「だが……
 “流れ”が悪い」

 説明しづらい違和感。

 赤字ではない。
 破綻もしていない。

 それでも、
 全体が鈍く、
 重い。

「……まるで、
 誰も全体を見ていないようだ」

 その言葉が、
 核心だった。

 王都は、
 人材がいなくなったわけではない。

 知識も、
 経験も、
 揃っている。

 だが――
 全体を俯瞰し、
 静かに線を引く存在が、
 いなくなっていた。

 その名を、
 誰も口に出さない。

 だが、
 皆、同じ顔を思い浮かべていた。

 ――マルティナ・ヴァインベルク。

 彼女は、
 命令することはなかった。

 声を荒げることもない。

 ただ、
 「ここまで」と
 示す人間だった。

 その役割が、
 消えた。

「……気づくのが、
 遅すぎたな」

 老臣が、
 静かに言う。

「彼女がいた時、
 我々は
 “考えているつもり”で
 済んでいた」

 若い官僚が、
 唇を噛む。

「今は……
 考えろと言われても、
 迷うばかりです」

 それは、
 非難ではなかった。

 事実だった。

 一方。

 権限停止中の
 オスカー・フォン・ルーヴェンは、
 廊下の奥で
 その会話を聞いていた。

(……そうだ)

 胸の奥が、
 じくりと痛む。

(彼女は、
 正解を押し付けなかった)

(だから、
 誰も反発しなかった)

 自分はどうだったか。

 好みを語り、
 判断を委ね、
 責任から目を逸らした。

(……彼女は、
 “考えること”を
 奪っていなかった)

(俺が、
 奪っていたんだ)

 その理解が、
 今さら胸を刺す。

 だが、
 もう遅い。

 その日の夕刻。

 緊急ではないが、
 異例の会合が開かれた。

 議題は、
 明文化されていない。

 だが、
 全員が理解している。

「……彼女に、
 意見を求めるべきではないか」

 ついに、
 誰かが言った。

 沈黙。

 反論はない。
 だが、
 賛同もない。

「求めること自体は、
 可能だ」

 老臣が言う。

「だが――
 戻るかどうかは、
 彼女次第だ」

 それが、
 決定的な違いだった。

 以前は、
 “役割”として
 そこにいた。

 今は――
 完全に自由だ。

「……頼る、
 ということか」

 誰かが呟く。

 その言葉に、
 全員が苦い顔をした。

 頼ること自体が、
 悪いのではない。

 だが――
 失ってから気づいた
 という事実が、
 重かった。

 一方。

 マルティナ・ヴァインベルクは、
 その頃、
 別邸の庭で
 剪定ばさみを手にしていた。

 王都の混乱も、
 会議も、
 彼女は知らない。

 ――知ろうともしていない。

(……静かね)

 それが、
 彼女の望んだ距離。

 だが、
 風向きが変わり始めていることを、
 彼女は直感的に感じていた。

(そろそろ、
 “気づく頃”かしら)

 彼女は、
 ため息もつかない。

 戻るつもりは、
 最初からない。

 だが。

 王都が、
 自分の不在を
 言葉にし始めた。

 それは、
 大きな転換点だった。

 失われたものの正体が、
 ようやく、
 理解され始めたのだから。


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