『婚約者に売られましたが、買い戻したのは皇帝でした ――メイド扱いのはずが、なぜか溺愛されています

鷹 綾

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第14話 下賜された責任

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第14話 下賜された責任

 静まり返った回廊に、フェリス・リンクスの足音だけが響いていた。

 貴族院臨時会が終わってから、どれほど歩いただろう。時間の感覚が曖昧だった。頭の中では、皇帝アーシュ・レーシャーの言葉が、何度も反響している。

 ――元男爵領を、フェリス・リンクスに下賜する。

 判決の一部として、あまりにも自然に告げられたその言葉は、今になって重みを増していた。

(……領地、ですって)

 不義の汚名を晴らすだけでなく、
 売られた過去の“補償”として、
 一つの土地と、人々の生活が、丸ごと自分に託された。

 それは、褒美ではない。
 明らかに、責任だった。


---

「顔色が良くないな」

 不意に、低い声がかかる。

 フェリスが振り返ると、そこにはアーシュが立っていた。会議の時と同じく、無駄のない佇まい。だが、議場の緊張とは違う、静かな空気をまとっている。

「……正直に申し上げます」

 フェリスは、少しだけ間を置いて答えた。

「まだ、実感が追いついておりません」

「だろうな」

 皇帝は、否定しなかった。

「突然すぎる、と思っているか?」

「はい」

 正直な言葉だった。

 アーシュは、歩きながら説明する。

「だが、偶然ではない。
 補償として金銭を与える選択もあった」

 フェリスは、黙って聞く。

「しかし、それでは終わる。
 貴公――いや、君の人生を、ただ“元に戻す”だけだ」

 足を止め、皇帝はフェリスを見た。

「私は、それを選ばなかった」

 胸が、静かに高鳴る。

「理由を、伺っても……?」

「君は、もう一度奪われる」

 淡々とした声だった。

「金だけを渡せば、再び狙われる。
 名誉だけを返せば、利用される」

 そして、はっきりと言う。

「ならば、立場を与える」

 フェリスは、息を呑んだ。

「自分の判断で、人を守れる立場をだ」

 その言葉は、重く、そして揺るぎなかった。


---

 その日の夕刻。

 フェリスは、年配の侍女と共に、簡易的な資料室にいた。下賜された元男爵領に関する書類が、机の上に積まれている。

「……想像以上に、荒れていますね」

 フェリスが呟く。

 徴税は重く、管理はずさん。
 帳簿には、不自然な空白と、曖昧な支出が並んでいた。

「前領主が、私腹を肥やしていた証左でしょう」

 侍女は、淡々と説明する。

「民は疲弊し、役人も信用されておりません」

 フェリスは、指で帳簿をなぞった。

(……ここも、被害者だ)

 売られたのは、自分だけではなかった。
 領地そのものが、搾取されていたのだ。

「フェリス様」

 侍女が、静かに告げる。

「下賜とは、救済であると同時に、試練でもあります」

「……ええ」

 フェリスは、顔を上げた。

「ですが」

 一瞬、視線が強くなる。

「逃げるつもりはありません」

 その言葉に、侍女は小さく微笑んだ。


---

 夜。

 自室で一人、フェリスは机に向かっていた。白紙の紙の前で、ペンを握る。

 何から手をつけるべきか。
 何を守り、何を変えるべきか。

 不思議と、恐怖はなかった。

(……私が、誰かを切り捨てる側になるわけじゃない)

 それだけは、はっきりしている。

 そこへ、控えめなノック。

「陛下より、お言葉です」

 侍女が伝える。

「“困ったら、相談しろ。
 それも、権限の一つだ”と」

 フェリスは、思わず小さく笑った。

「……本当に、ずるいお方ですね」

 責任を与え、
 逃げ道も用意している。

 それを“溺愛”と呼ばずして、何と呼ぶのだろう。

 フェリス・リンクスは、この夜、はっきりと理解した。

 下賜されたのは、土地だけではない。
 自分の人生を、自分で選び取る権利そのものだったのだ。

 そしてその始まりが、
 この元男爵領――
 かつて自分を売り飛ばした男の名を持つ土地であることを。

 皮肉であり、
 何よりも痛快な、
 新たな第一歩だった。
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