『婚約者に売られましたが、買い戻したのは皇帝でした ――メイド扱いのはずが、なぜか溺愛されています

鷹 綾

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第16話 切るべきもの、残すべきもの

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第16話 切るべきもの、残すべきもの

 翌朝、領主館の一室に、重苦しい空気が漂っていた。

 フェリス・リンクスは、長机の上に広げられた帳簿と名簿を前に、静かに座っている。その向かいには、緊張した面持ちの役人たちが並んでいた。

 昨夜、急遽集められた者たちだ。
 理由は、誰もが理解している。

「……まず、確認します」

 フェリスは、落ち着いた声で切り出した。

「これは、追及の場ではありません。
 事実を整理し、この領地を立て直すための場です」

 その言葉に、わずかに空気が緩む。

「ですが」

 続く一言で、再び緊張が走った。

「虚偽があった場合、見逃すことはできません」

 フェリスは名簿に視線を落とす。

「まず、徴税担当。三名」

 呼ばれた役人が、前に出る。

「昨年度の徴税額と、帝国への納付額に差異があります。
 説明してください」

 一人目は、汗をかきながら答えた。

「そ、それは……不作が続いたため、現物納付に――」

「記録がありません」

 淡々と、即座に否定する。

「現物納付なら、倉庫の出入り記録が残るはずです。
 ですが、該当する記録はゼロです」

 言い逃れは、封じられた。

 次に呼ばれた二人目は、震える声で認めた。

「……前領主様の指示でした」

 その言葉が落ちた瞬間、場がざわつく。

「名前は」

 フェリスは、感情を挟まずに尋ねた。

 役人は、前男爵の側近の名を告げた。

 フェリスは、静かに頷いた。

「記録しました」

 そして、三人目。

 彼は、意外にも顔を上げた。

「私は、不正には関わっておりません」

 はっきりとした声だった。

「前領主の指示に従わなければ、職を失うと脅されました。
 ですが、私は拒み、左遷されました」

 フェリスは、帳簿をめくる。

「……確かに。
 三年前を境に、担当区域が外されていますね」

 その瞬間、役人の肩から力が抜けた。

「事実を述べてくれて、ありがとうございます」

 フェリスは、穏やかに告げた。

「あなたは、残します」

 役人の目に、涙が浮かんだ。


---

 午後。

 人員の整理は、さらに続いた。

 不正に関与した者は、帝国法に基づき一時拘束。
 ただし、即刻処罰ではない。

「調査の上、処分を決めます」

 フェリスは、はっきりと告げた。

「ですが」

 一拍、間を置く。

「正直に話した者、脅迫を受けていた者については、考慮します」

 その方針に、役所内にざわめきが広がった。

 厳しいが、公平。
 そして、逃げ道もある。

 それは、これまでこの地になかった統治の形だった。


---

 夕刻。

 仮執務室で、フェリスは深く息を吐いた。

「……切りましたね」

 年配の侍女が、静かに言う。

「ですが、残しました」

 フェリスは、帳簿を閉じた。

「全員を切れば、領地は回りません。
 それに……」

 視線を、窓の外に向ける。

「恐怖だけで従わせる統治は、前領主と同じです」

 侍女は、満足そうに頷いた。

「民も、役人も……噂し始めていますよ」

「何と?」

「“今度の領主様は、話を聞く方だ”と」

 フェリスは、ほんの少しだけ微笑んだ。


---

 その夜。

 簡素な食事を終えたフェリスのもとに、護衛が近づく。

「陛下からの書簡です」

 封を切ると、短い文だけが記されていた。

> 迅速だが、急ぎすぎてはいない。
切る判断と、残す判断――どちらも正しい。
引き続き任せる。



 署名は、アーシュ・レーシャー。

 フェリスは、静かに紙を折りたたんだ。

「……見られているわね」

 だが、不快ではなかった。

 むしろ――
 背中を預けられている感覚に近い。

 フェリス・リンクスは、この日、理解した。

 統治とは、
 剣でも、恐怖でもない。

 切る勇気と、信じる覚悟の両立なのだと。

 そしてその覚悟を、
 自分はすでに選び始めているのだと。
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