『婚約者に売られましたが、買い戻したのは皇帝でした ――メイド扱いのはずが、なぜか溺愛されています

鷹 綾

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第34話 静かな反撃

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第34話 静かな反撃

 朝の執務室に、乾いた紙の音が響いた。

 フェリス・リンクスは、卓上に並べられた報告書に目を通しながら、指先で一枚を静かに弾く。

(……始まったわね)

 内容は、どれも一見すると些細だった。

 隣接領からの穀物取引の遅延。
 帝都商会による価格の再提示。
 理由不明の「手続き上の確認」。

 どれも、正面からの敵意ではない。
 だが、確実に足を止めに来ている。


---

「圧ですね」

 書記官が、低い声で言った。

「ええ」

 フェリスは、否定しない。

「露骨すぎない分、厄介」

 中央で名が出た。
 皇帝と直接言葉を交わした。

 それだけで、
 “様子見”から“調整”へと段階が上がる。

 つまり――
 反撃は、もう始まっている。


---

「どうなさいますか」

 書記官の問いに、フェリスは即答しなかった。

 代わりに、一枚の別書類を引き寄せる。

「……こちらを先に動かします」

 そこには、最近まとめさせていた資料。

 ・孤児院への支援ルート
 ・小規模農家への直接買い付け
・中間業者を通さない流通網

 いずれも、派手さはない。

 だが――
 外から締められても、内側が回る仕組み。


---

「取引が遅れるなら、
 こちらから買います」

 フェリスは、淡々と言う。

「価格を釣り上げるなら、
 長期契約を結ばないだけ」

「ですが、それでは……」

「即効性はありません」

 フェリスは、はっきり言った。

「だから、いいんです」

 相手は、短期で揺さぶる。
 こちらは、長期で耐える。

 勝負の土俵が、そもそも違う。


---

 昼。

 町の集会所に、人が集まっていた。

 フェリスは、特別な演説をしない。
 ただ、現状を説明し、選択肢を示す。

「他領の商人が、高値を提示してきています」

 ざわめきが起こる。

「ですが、条件があります」

 フェリスは、言葉を切った。

「一時的な利益と、
 継続的な安定――
 どちらを取りますか」

 沈黙。

 やがて、年配の農夫が口を開く。

「……安定だな」

 次々と、頷きが広がる。

 それで十分だった。


---

 夕刻。

 密かに放たれた噂が、逆流し始めていた。

「フェリス領は、値を釣り上げない」

「契約を破らない」

「……話が通じる」

 それは、宣伝ではない。
 実績の積み重ねだ。

 派手な反撃ではない。

 だが――
 最も嫌がられる反撃。


---

 夜。

 フェリスは、灯りの下で報告を聞いていた。

「圧は、続くでしょう」

「構いません」

 フェリスは、迷わない。

「こちらは、倒れません」

 売られた過去がある。
 奪われた経験がある。

 だからこそ――
 奪われない構えを知っている。


---

 窓の外、領地の灯りが静かに揺れている。

 フェリス・リンクスは、この夜、確信していた。

 これは、戦争ではない。
 革命でもない。

 静かな反撃だ。

 音もなく、
 だが確実に。

 誰かが仕掛けた圧は、
 いつの間にか、
 自分たちの足元を締め付け始めている。

 そのことに、
 相手が気づくのは――
 もう少し、先の話だった。
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