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第2話 追放馬車は、快適でした
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第2話 追放馬車は、快適でした
追放と聞いて、どんな移動を想像するだろうか。
粗末な馬車、護衛も最低限、冷たい視線――少なくとも私はそう思っていた。
だが現実は違った。
「……広いですわね」
私が腰掛けている馬車の内部は、下手な貴族の私室より広い。分厚い絨毯、柔らかな座席、揺れを最小限に抑える工夫。
窓際の小さな棚には、湯気の立つティーポットまで用意されていた。
――追放って、待遇良すぎません?
向かいに座るのは、隣国アイゼン公爵家の使者。
黒衣に身を包んだ壮年の男性で、背筋はぴんと伸び、表情は石像のように動かない。
「道中の不備があれば、遠慮なくお申し付けください」
声まで低温仕様だ。
氷の国の公式キャラクターか何かだろうか。
「ありがとうございます。では一つだけ」 「はい」
「この紅茶、王宮御用達の茶葉ですよね?」
使者の眉が、ほんのわずかに動いた。
「……お分かりになりますか」 「ええ。殿下の執務中に、何度も淹れて差し上げましたから」
そう。
王太子が“自分で選んだ”と思っていた紅茶は、すべて私の選定だ。温度も蒸らし時間も、好みも把握していた。
――まあ、もう関係ありませんけれど。
「公爵は、細かいところを見ています」
使者が静かに言った。
「本来なら、追放者にこの馬車は不要でしょう。ですが、公爵は“能力ある人材を雑に扱う国は信用しない”と」
なるほど。
冷徹と噂される公爵は、感情ではなく合理で動くタイプらしい。
「契約結婚の件ですが」
私はティーカップを置いた。
「はい」 「条件を先に伺っても?」
使者は一枚の書面を差し出す。
そこには簡潔すぎるほど、要点だけが並んでいた。
――
・婚姻は形式上
・互いに干渉しない
・後継問題は当面保留
・社交・領政への参加は任意
・生活水準は公爵家基準を保証
――
……理想の労働契約書では?
「白い結婚、自由時間確保、福利厚生充実……」 「公爵は無駄を嫌います」 「素晴らしいですわ」
思わず本音が漏れた。
使者が、またほんの一瞬だけ困惑する。
「……お嫌では?」 「いいえ。むしろ、これ以上ない条件です」
王宮での私の立場を思えば、破格も破格だ。
求められているのは“妻の演技”と“必要なら能力”。それ以外は、私の裁量。
(これ、勝ち確では?)
馬車は境界線を越え、国の雰囲気が変わった。
道は整い、街道沿いの村も落ち着いている。兵士の動きに無駄がない。
「……統治が行き届いていますのね」 「ええ。公爵の領地ですから」
その言い方に、誇りが滲んでいた。
やがて馬車は、黒鉄の門をくぐる。
視界の先に現れたのは、重厚で無骨な城――アイゼン公爵邸。
歓迎の音楽も、派手な花もない。
だが、整然と並ぶ使用人たちの姿勢が、この家の“格”を物語っていた。
「お疲れのところ、恐れ入ります」
玄関で待っていたのは、一人の男。
背が高く、黒髪。表情は驚くほど淡々としている。
「クロード・アイゼンだ」
それだけ。名乗りも最低限。
「セレナ・リュミエールです。――本日は、お時間をいただきありがとうございます」
私は一礼した。
クロード公爵は、じっと私を見下ろす。視線は冷たいが、品定めの嫌な感じはしない。
「……落ち着いているな」 「取り乱す理由がありませんので」
一瞬、彼の口角が動いた。
微笑みと呼ぶには、あまりに不器用な。
「条件は読んだな」 「ええ。非常に合理的です」 「なら話は早い」
公爵は書面を机に置き、私に向き直る。
「私は感情的な夫にはなれない。だが、約束は守る」 「十分ですわ」
私はペンを取った。
「では――契約結婚、成立ですね」
さらさらと署名を終えた瞬間、
公爵が、少しだけ目を細めた。
「……君は、本当にそれでいいのか」 「はい。これで、ようやく“私の時間”が始まります」
その言葉に、彼は一拍黙った。
「――奇妙な女性だ」 「よく言われますわ」
こうして私は、追放され、
そして最高の契約を手に入れた。
まだ誰も気づいていない。
この“白い結婚”が、いずれ国を揺らすとは。
(でも今は――)
私は窓の外を見た。
穏やかな空と、静かな城。
(まずは、ゆっくり休みましょう)
忙しくなるのは――
王宮の皆様が、私の不在に気づいてからですから。
---
追放と聞いて、どんな移動を想像するだろうか。
粗末な馬車、護衛も最低限、冷たい視線――少なくとも私はそう思っていた。
だが現実は違った。
「……広いですわね」
私が腰掛けている馬車の内部は、下手な貴族の私室より広い。分厚い絨毯、柔らかな座席、揺れを最小限に抑える工夫。
窓際の小さな棚には、湯気の立つティーポットまで用意されていた。
――追放って、待遇良すぎません?
向かいに座るのは、隣国アイゼン公爵家の使者。
黒衣に身を包んだ壮年の男性で、背筋はぴんと伸び、表情は石像のように動かない。
「道中の不備があれば、遠慮なくお申し付けください」
声まで低温仕様だ。
氷の国の公式キャラクターか何かだろうか。
「ありがとうございます。では一つだけ」 「はい」
「この紅茶、王宮御用達の茶葉ですよね?」
使者の眉が、ほんのわずかに動いた。
「……お分かりになりますか」 「ええ。殿下の執務中に、何度も淹れて差し上げましたから」
そう。
王太子が“自分で選んだ”と思っていた紅茶は、すべて私の選定だ。温度も蒸らし時間も、好みも把握していた。
――まあ、もう関係ありませんけれど。
「公爵は、細かいところを見ています」
使者が静かに言った。
「本来なら、追放者にこの馬車は不要でしょう。ですが、公爵は“能力ある人材を雑に扱う国は信用しない”と」
なるほど。
冷徹と噂される公爵は、感情ではなく合理で動くタイプらしい。
「契約結婚の件ですが」
私はティーカップを置いた。
「はい」 「条件を先に伺っても?」
使者は一枚の書面を差し出す。
そこには簡潔すぎるほど、要点だけが並んでいた。
――
・婚姻は形式上
・互いに干渉しない
・後継問題は当面保留
・社交・領政への参加は任意
・生活水準は公爵家基準を保証
――
……理想の労働契約書では?
「白い結婚、自由時間確保、福利厚生充実……」 「公爵は無駄を嫌います」 「素晴らしいですわ」
思わず本音が漏れた。
使者が、またほんの一瞬だけ困惑する。
「……お嫌では?」 「いいえ。むしろ、これ以上ない条件です」
王宮での私の立場を思えば、破格も破格だ。
求められているのは“妻の演技”と“必要なら能力”。それ以外は、私の裁量。
(これ、勝ち確では?)
馬車は境界線を越え、国の雰囲気が変わった。
道は整い、街道沿いの村も落ち着いている。兵士の動きに無駄がない。
「……統治が行き届いていますのね」 「ええ。公爵の領地ですから」
その言い方に、誇りが滲んでいた。
やがて馬車は、黒鉄の門をくぐる。
視界の先に現れたのは、重厚で無骨な城――アイゼン公爵邸。
歓迎の音楽も、派手な花もない。
だが、整然と並ぶ使用人たちの姿勢が、この家の“格”を物語っていた。
「お疲れのところ、恐れ入ります」
玄関で待っていたのは、一人の男。
背が高く、黒髪。表情は驚くほど淡々としている。
「クロード・アイゼンだ」
それだけ。名乗りも最低限。
「セレナ・リュミエールです。――本日は、お時間をいただきありがとうございます」
私は一礼した。
クロード公爵は、じっと私を見下ろす。視線は冷たいが、品定めの嫌な感じはしない。
「……落ち着いているな」 「取り乱す理由がありませんので」
一瞬、彼の口角が動いた。
微笑みと呼ぶには、あまりに不器用な。
「条件は読んだな」 「ええ。非常に合理的です」 「なら話は早い」
公爵は書面を机に置き、私に向き直る。
「私は感情的な夫にはなれない。だが、約束は守る」 「十分ですわ」
私はペンを取った。
「では――契約結婚、成立ですね」
さらさらと署名を終えた瞬間、
公爵が、少しだけ目を細めた。
「……君は、本当にそれでいいのか」 「はい。これで、ようやく“私の時間”が始まります」
その言葉に、彼は一拍黙った。
「――奇妙な女性だ」 「よく言われますわ」
こうして私は、追放され、
そして最高の契約を手に入れた。
まだ誰も気づいていない。
この“白い結婚”が、いずれ国を揺らすとは。
(でも今は――)
私は窓の外を見た。
穏やかな空と、静かな城。
(まずは、ゆっくり休みましょう)
忙しくなるのは――
王宮の皆様が、私の不在に気づいてからですから。
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