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第5話 父との対話
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第5話 父との対話
夜会から戻ったアルセイン公爵家の屋敷は、驚くほど静かだった。
華やかな音楽も、囁き合う貴族たちの声も、ここにはない。あるのは、長年変わらぬ重厚な空気と、淡々とした日常だけだ。
ヴェルティアはドレスを着替え、簡素な部屋着のまま、父の書斎の前に立っていた。
扉の向こうには、アルセイン公爵――この家の当主であり、彼女の父がいる。
ノックをする前に、彼女は一瞬だけ呼吸を整えた。
(……大丈夫)
今夜の視線も、噂も、すでに心の中で処理は終わっている。
だが、父と向き合うとなると、話は別だった。
「入れ」
低く落ち着いた声が返ってくる。
ヴェルティアが扉を開けると、書斎には柔らかな灯りがともり、机の上にはいくつかの書類が広げられていた。
父は椅子に深く腰掛け、娘を見上げる。
「夜会、ご苦労だったな」
「……はい」
形式的な挨拶。
だが、視線は鋭く、逃げ場がない。
「座りなさい」
促され、ヴェルティアは父の正面に腰を下ろした。
しばらく、沈黙が流れる。
最初に口を開いたのは、父だった。
「……噂は、もう耳に入っているだろう」
「ええ」
「同情、好奇、憶測。
どれも、貴族社会では日常だ」
父は淡々と語るが、その指先は机の縁を軽く叩いている。
苛立ち――いや、抑えた怒りだ。
「王太子アルベリク・レオルドは、軽率だった」
ヴェルティアは、わずかに目を見開いた。
父が、ここまではっきりと非難するのは珍しい。
「だが、それ以上に問題なのは……」
父は言葉を切り、娘をまっすぐに見据えた。
「お前が、自分を過小評価していることだ」
「……私が、ですか?」
「そうだ」
即答だった。
「お前は、婚約破棄を受け入れた。
それ自体は、間違いではない」
父はゆっくりと言葉を選ぶ。
「だが、お前は“捨てられた”のではない。
あれは、王太子が“手放した”のだ」
ヴェルティアの胸に、ずしりと重い言葉が落ちた。
「違いが分かるか」
「……」
「捨てられた者は、価値がなかった者だ。
だが、手放した者は――価値を理解できなかった側の問題だ」
父は、そこで一度深く息を吐いた。
「お前は、優秀すぎた」
その言葉に、ヴェルティアは小さく苦笑する。
「また、その話ですか」
「また、だ」
父は、珍しく即座に言い返した。
「だがな、ヴェルティア。
優秀であることを理由に、居場所を奪われる謂れはない」
書斎の空気が、わずかに張り詰める。
「お前は、王宮で多くのものを支えてきた。
それを“可愛げがない”という一言で切り捨てた男が、いずれ何を失うか……」
父は、そこまで言って言葉を止めた。
「……いや。
それは、もうお前の問題ではないな」
ヴェルティアは、父の視線を正面から受け止めた。
「私は、王宮に戻るつもりはありません」
「分かっている」
「……同情も、弁明も、必要ないと思っています」
「それも、分かっている」
父は、ほんのわずかに口元を緩めた。
「だからこそ、だ」
机の引き出しから、一通の書簡を取り出す。
「これが、今日届いた」
差出人の名を見た瞬間、ヴェルティアの心臓が一拍、強く打った。
――セーブル・フォン・グラナート。
「すでに、内容は察しているだろう」
「……はい」
父は、書簡を机の上に置いたまま、手を離した。
「決めるのは、お前だ。
家として、強制するつもりはない」
その言葉に、ヴェルティアは少しだけ驚いた。
「よろしいのですか」
「当然だ」
父の声は、揺るがない。
「お前は、もう“誰かの駒”として生きる年齢ではない。
選ぶ側に立つ力がある」
しばらく、沈黙。
ヴェルティアは、ゆっくりと書簡に手を伸ばした。
(選ぶ側……)
それは、つい最近まで考えたこともなかった立場だ。
王太子妃候補として、与えられた役割を全うするだけの日々。
だが今は、違う。
「……父上」
「何だ」
「私は、私の人生を、私自身で決めたいと思います」
父は、その言葉を聞いて、静かに頷いた。
「それでいい」
書斎を出たあと、ヴェルティアは自室に戻り、机に向かった。
改めて、セーブルからの書簡を手に取る。
封を切る前に、ふと、夜会で交わした視線を思い出す。
(私は、もう戻らない)
過去にも、役割にも。
彼女は、静かに封を切った。
そこから始まる未来が、どのような形であれ。
それを“選ぶ”のは、自分だ。
ヴェルティア・アルセインは、そう心に決めていた。
夜会から戻ったアルセイン公爵家の屋敷は、驚くほど静かだった。
華やかな音楽も、囁き合う貴族たちの声も、ここにはない。あるのは、長年変わらぬ重厚な空気と、淡々とした日常だけだ。
ヴェルティアはドレスを着替え、簡素な部屋着のまま、父の書斎の前に立っていた。
扉の向こうには、アルセイン公爵――この家の当主であり、彼女の父がいる。
ノックをする前に、彼女は一瞬だけ呼吸を整えた。
(……大丈夫)
今夜の視線も、噂も、すでに心の中で処理は終わっている。
だが、父と向き合うとなると、話は別だった。
「入れ」
低く落ち着いた声が返ってくる。
ヴェルティアが扉を開けると、書斎には柔らかな灯りがともり、机の上にはいくつかの書類が広げられていた。
父は椅子に深く腰掛け、娘を見上げる。
「夜会、ご苦労だったな」
「……はい」
形式的な挨拶。
だが、視線は鋭く、逃げ場がない。
「座りなさい」
促され、ヴェルティアは父の正面に腰を下ろした。
しばらく、沈黙が流れる。
最初に口を開いたのは、父だった。
「……噂は、もう耳に入っているだろう」
「ええ」
「同情、好奇、憶測。
どれも、貴族社会では日常だ」
父は淡々と語るが、その指先は机の縁を軽く叩いている。
苛立ち――いや、抑えた怒りだ。
「王太子アルベリク・レオルドは、軽率だった」
ヴェルティアは、わずかに目を見開いた。
父が、ここまではっきりと非難するのは珍しい。
「だが、それ以上に問題なのは……」
父は言葉を切り、娘をまっすぐに見据えた。
「お前が、自分を過小評価していることだ」
「……私が、ですか?」
「そうだ」
即答だった。
「お前は、婚約破棄を受け入れた。
それ自体は、間違いではない」
父はゆっくりと言葉を選ぶ。
「だが、お前は“捨てられた”のではない。
あれは、王太子が“手放した”のだ」
ヴェルティアの胸に、ずしりと重い言葉が落ちた。
「違いが分かるか」
「……」
「捨てられた者は、価値がなかった者だ。
だが、手放した者は――価値を理解できなかった側の問題だ」
父は、そこで一度深く息を吐いた。
「お前は、優秀すぎた」
その言葉に、ヴェルティアは小さく苦笑する。
「また、その話ですか」
「また、だ」
父は、珍しく即座に言い返した。
「だがな、ヴェルティア。
優秀であることを理由に、居場所を奪われる謂れはない」
書斎の空気が、わずかに張り詰める。
「お前は、王宮で多くのものを支えてきた。
それを“可愛げがない”という一言で切り捨てた男が、いずれ何を失うか……」
父は、そこまで言って言葉を止めた。
「……いや。
それは、もうお前の問題ではないな」
ヴェルティアは、父の視線を正面から受け止めた。
「私は、王宮に戻るつもりはありません」
「分かっている」
「……同情も、弁明も、必要ないと思っています」
「それも、分かっている」
父は、ほんのわずかに口元を緩めた。
「だからこそ、だ」
机の引き出しから、一通の書簡を取り出す。
「これが、今日届いた」
差出人の名を見た瞬間、ヴェルティアの心臓が一拍、強く打った。
――セーブル・フォン・グラナート。
「すでに、内容は察しているだろう」
「……はい」
父は、書簡を机の上に置いたまま、手を離した。
「決めるのは、お前だ。
家として、強制するつもりはない」
その言葉に、ヴェルティアは少しだけ驚いた。
「よろしいのですか」
「当然だ」
父の声は、揺るがない。
「お前は、もう“誰かの駒”として生きる年齢ではない。
選ぶ側に立つ力がある」
しばらく、沈黙。
ヴェルティアは、ゆっくりと書簡に手を伸ばした。
(選ぶ側……)
それは、つい最近まで考えたこともなかった立場だ。
王太子妃候補として、与えられた役割を全うするだけの日々。
だが今は、違う。
「……父上」
「何だ」
「私は、私の人生を、私自身で決めたいと思います」
父は、その言葉を聞いて、静かに頷いた。
「それでいい」
書斎を出たあと、ヴェルティアは自室に戻り、机に向かった。
改めて、セーブルからの書簡を手に取る。
封を切る前に、ふと、夜会で交わした視線を思い出す。
(私は、もう戻らない)
過去にも、役割にも。
彼女は、静かに封を切った。
そこから始まる未来が、どのような形であれ。
それを“選ぶ”のは、自分だ。
ヴェルティア・アルセインは、そう心に決めていた。
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