完璧すぎる令嬢は婚約破棄されましたが、白い結婚のはずが溺愛対象になっていました

鷹 綾

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第21話 周囲の視線

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第21話 周囲の視線

 最初に気づいたのは、当事者ではなかった。

 グラナート公爵家の使用人たちである。

 朝の食堂。
 銀器を整える音、紅茶を注ぐ音、いつもと変わらぬはずの朝。

 けれど。

「……あれ?」 「今、聞こえました?」

 小声で交わされる囁き。

 公爵様が、奥様に椅子を引いた。
 それだけのことだ。

 だが、これまで一度もなかった。

 ヴェルティア・フォン・グラナートは、その視線に気づきながらも、あえて何も言わなかった。

(……見られている)

 だが、不快ではない。

 むしろ――。

(隠していない、というだけ)

 白い結婚をしていた頃は、周囲の目を避けるように動いていた。
 誤解されないため、踏み込みすぎないため。

 今は違う。

 誤解されても構わない、とは思わない。
 ただ、“説明しない”という選択をしているだけだ。

 セーブルは、何も言わずに席に着いた。

「今日の午後、王都からの来客がある」

 唐突な話題。

「王都、ですか」

「ああ。旧知の貴族だ」

 ヴェルティアは、ほんの一瞬だけ動きを止めた。

(……王都)

 過去。
 婚約破棄。
 視線と評価と、切り捨てられた記憶。

 胸の奥が、わずかに揺れる。

「……問題ありません」

 だが、その声は落ち着いていた。

 以前の自分なら、もっと早く動揺していただろう。

「無理はするな」

 セーブルは、淡々と言った。

「来客対応は、任せてもいい。
 あるいは――」

「いいえ」

 ヴェルティアは、きっぱりと答えた。

「私も同席します」

 セーブルの視線が、一瞬だけ彼女を捉える。

 止めない。
 理由も聞かない。

 それが、今の二人の距離だった。

 午後。

 応接室に現れたのは、王都でも顔の利く中堅貴族だった。

「これはこれは、グラナート公爵。
 ……そして、奥方様」

 丁寧な挨拶。
 だが、その視線は、確実にヴェルティアを値踏みしている。

(……慣れている)

 かつては、こうした視線に身構えていた。
 今は違う。

 彼女は、静かに微笑んだ。

「お久しぶりです。
 ヴェルティア・フォン・グラナートでございます」

 “元王太子の婚約者”ではない。
 “捨てられた令嬢”でもない。

 今の自分は、グラナート公爵夫人だ。

 会話は、穏やかに進んだ。

 領地の話。
 最近の王都の情勢。

 その中で、来客はさりげなく探りを入れてくる。

「……ご結婚後も、奥方様は公の場にあまり出られないとか」

 遠回しな言い方。

 “白い結婚”の噂は、王都にも届いている。

 ヴェルティアは、答えを急がなかった。

「必要とされる場には、出ております」

 それだけ。

 余計な説明は、しない。

「なるほど……」

 来客は、それ以上踏み込めなかった。

 横で聞いていたセーブルは、何も口を挟まない。
 だが、その沈黙は、彼女を完全に任せているという意思表示だった。

(……守られている)

 守る、というより。

(……信じられている)

 応接が終わり、来客が去ったあと。

「……上手く対応したな」

 セーブルが、低く言った。

「そうでしょうか」

「余計な噂を増やさない。
 だが、否定もしない」

 それは、彼自身が最も評価するやり方だった。

「王都では、しばらく話題になるだろう」

「構いません」

 ヴェルティアは、はっきりと答える。

「私が、そこに戻ることはありませんから」

 その言葉に、セーブルはわずかに目を細めた。

「……完全に、線を引いたな」

「はい」

 迷いはない。

 その夜。

 王都の別邸では、別の空気が流れていた。

「……妙だな」

 かつてヴェルティアを切り捨てた元婚約者は、報告書を睨みつけていた。

「白い結婚のはずが、
 公爵が随分と……」

 報告をした侍従が、言葉を濁す。

「“信頼している”ように見える、と」

 その一言に、男は苛立ちを隠せなかった。

「捨てた女が、
 なぜ……」

 答えは、単純だ。

 彼女は、もう“捨てられた女”ではない。

 一方、グラナート公爵家では。

 夜の静かな時間。
 二人は、並んで書斎にいた。

「……今日のこと」

 セーブルが口を開く。

「無理をしていないか」

「いいえ」

 ヴェルティアは、少しだけ笑った。

「むしろ、楽でした」

 守るために振る舞う必要がない。
 評価されるために完璧でいる必要もない。

 ただ、今の自分として話せばいい。

「……それなら、いい」

 短い言葉。

 だが、その中には、確かな安堵があった。

(……周囲は、見ている)

 噂も、視線も、避けられない。

 けれど。

 もう、振り回されることはない。

 ヴェルティア・フォン・グラナートは、
 過去の評価ではなく、
 “今の関係”を基準に、生きている。

 白から色へ変わり始めたその関係は、
 すでに、周囲の視線を引き寄せるほどに――
 確かな存在感を放っていた。


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