完璧すぎる令嬢は婚約破棄されましたが、白い結婚のはずが溺愛対象になっていました

鷹 綾

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第31話 選ばれる理由

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第31話 選ばれる理由

 セーブル・フォン・グラナートは、夜の書斎で一人、書類を閉じた。

 王都から戻って三日。
 評議会での出来事は、すでに屋敷の中でも“既成事実”として静かに共有されている。

 ヴェルティアが発言したこと。
 誰の影にもならず、誰の庇護も必要とせず、
 自分の言葉で場を動かしたこと。

(……当然の結果だ)

 そう思える自分がいることに、
 セーブルは、ほんのわずかに苦笑した。

 最初から、彼女はそういう人間だった。

 白い結婚を提案したときも。
 再定義を申し出たときも。
 そして、越えない夜を選んだときも。

 彼女は一度も、“楽な選択”をしていない。

(……だからだ)

 彼が、彼女を選び続けている理由は。

 書斎の扉が、軽くノックされた。

「……セーブル」

 聞き慣れた声。

「入ってくれ」

 扉が開き、ヴェルティアが姿を見せる。

 簡素な部屋着。
 化粧もなく、飾り気もない。

 だが、その姿に、彼の視線は自然と向いた。

「……邪魔ではありませんか」

「いいや」

 即答だった。

 彼女は、向かいの椅子に腰を下ろす。

 少しの沈黙。

 だが、それは居心地の悪いものではない。

「……今日、使用人たちが」

 ヴェルティアが、ふと切り出す。

「“お二人は、本当に釣り合っていらっしゃる”と」

 言いながら、わずかに困ったように笑う。

「余計なお世話ですね」

「そうだな」

 セーブルは、そう答えながらも、否定はしなかった。

(……釣り合う、か)

 その言葉は、彼にとっても簡単ではない。

 彼は、公爵だ。
 彼女は、かつて“捨てられた令嬢”と噂された存在。

 だが、今は。

(……対等だ)

 それを、誰よりもはっきり理解しているのは、彼自身だ。

「……一つ、聞いてもいいですか」

 ヴェルティアが、少しだけ真剣な声で言う。

「どうして……私だったのですか」

 唐突な問い。

 だが、いつか来ると思っていた。

「条件なら、他にもあったはずです」

 家柄。
 政治的価値。
 従順さ。

「私より、
 “扱いやすい選択”は、いくらでも」

 セーブルは、すぐには答えなかった。

 言葉を探す、というより――
 正確に言葉を選んでいる。

「……確かに」

 低く、落ち着いた声。

「条件だけを見れば、
 他にも候補はあった」

 ヴェルティアは、視線を逸らさずに聞いている。

「だが、私は」

 一拍置く。

「“選ばれる理由”が、
 条件だけで説明できるとは思っていない」

 彼女の眉が、わずかに動いた。

「君は、最初から」

 セーブルは、続ける。

「私に、期待しなかった」

 その言葉に、ヴェルティアは目を瞬かせた。

「利用価値も、
 救済も、
 庇護も」

 一つずつ、言葉を置く。

「求めなかった」

 それは、彼にとって決定的だった。

「……それが、理由ですか」

「大きな理由だ」

 即答。

「君は、
 “選ばれることで価値を証明しよう”としなかった」

 だからこそ。

「私が、
 選ぶ意味があった」

 ヴェルティアは、息を呑んだ。

(……そういうこと)

 彼は、優しさで選んだのではない。
 同情でもない。

「白い結婚を提案したとき」

 セーブルは、視線を落とす。

「君は、条件を飲んだが、
 自分を安売りしなかった」

 従属もしない。
 媚びもしない。

「だから、再定義が必要になった」

 彼女が、変わったからではない。
 自分が、誤魔化せなくなったからだ。

「……越えない夜も」

 セーブルは、少しだけ間を置いた。

「あれは、私にとって――
 最後の確認だった」

「確認?」

「ああ」

 彼は、ゆっくりと彼女を見る。

「欲望ではなく、
 選択として、君を選び続けられるか」

 ヴェルティアは、言葉を失った。

(……そんな)

 重い覚悟を、
 彼はずっと一人で抱えていたのだ。

「私は、支えられていると思っていました」

 彼女が、静かに言う。

「でも……」

 一拍置いて、続ける。

「あなたも、
 同じだけの覚悟で、ここに立っていた」

 セーブルは、否定しなかった。

「だから、選ぶ」

 短く、しかし明確に。

「今も、これからも」

 それは、告白ではない。
 だが、誓いに近い。

 ヴェルティアは、ゆっくりと立ち上がった。

 触れない距離で、彼を見下ろす。

「……それなら」

 静かな声。

「私も、選び続けます」

 契約だからでも、
 居場所を失いたくないからでもない。

「あなたを」

 セーブルの胸に、確かな熱が広がった。

(……これが)

(選ばれる理由)

 互いに、
 期待せず、
 依存せず、
 それでも――選ぶ。

 それ以上に、強い理由はない。

 夜は、静かに更けていく。

 触れない距離は、まだ残っている。
 境界線も、消えていない。

 だが。

 この関係は、もう“契約”ではない。

 選ばれる理由が、
 言葉として共有された今――
 二人は、次の段階へ進む準備を、
 すでに終えていた。

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