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第33話 選んだ証
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第33話 選んだ証
朝の空気は、驚くほど澄んでいた。
グラナート公爵邸の回廊に差し込む光は柔らかく、使用人たちの足音も、どこか静かだ。
だが、その静けさは、いつもとは質が違っていた。
(……気づいている)
ヴェルティア・フォン・グラナートは、ゆっくりと息を整えながら、そう感じていた。
何かが変わった。
それは劇的な出来事ではない。
叫びも、宣言も、夜の騒ぎもなかった。
ただ――
距離が、なくなった。
それだけで、屋敷の空気はここまで変わる。
「おはようございます、公爵夫人」
侍女の声は、いつも通り丁寧だった。
だが、その視線は、ほんの一瞬だけ、柔らかく揺れた。
「……おはようございます」
ヴェルティアは、微笑みを返す。
余計なことは言わない。
だが、隠しもしない。
朝食室へ向かうと、すでにセーブル・フォン・グラナートが席についていた。
書類を片付ける手が止まり、彼が顔を上げる。
「……よく眠れたか」
「ええ」
短い応答。
それだけで、十分だった。
使用人が席に着く位置を、ほんのわずかに調整する。
それは、誰かに命じられたわけではない。
自然な判断だ。
(……もう、隠す必要はない)
白い結婚であった頃、
二人の距離は、常に“説明が必要な距離”だった。
だが今は――
説明が、不要だ。
食事は、静かに進む。
だが、周囲の空気は、確実に変わっていた。
給仕の手が、少しだけ柔らかい。
言葉の端々に、遠慮ではなく、安堵が混じる。
それは、祝福に近い感覚だった。
「……今日は」
セーブルが、朝食の終わりに言う。
「来客がある」
「存じています」
ヴェルティアは、頷いた。
王都の有力貴族数名。
そして――
かつて、彼女を“元婚約者”として見下していた者たち。
(……避けられない)
だからこそ、向き合う。
客間に集まった貴族たちは、形式的な挨拶を交わしたあと、すぐに本題へ入った。
「……最近の公爵家は、随分と雰囲気が変わりましたな」
遠回しな言葉。
セーブルは、動じない。
「変わるべきところが、変わっただけです」
それだけで、牽制としては十分だった。
視線が、ヴェルティアに向けられる。
「公爵夫人」
含みを持った呼びかけ。
「最近は、評議の場でもご活躍とか」
以前なら、“出過ぎた真似”と揶揄されたであろう言葉。
だが、今は違う。
「必要な場で、必要な意見を述べただけです」
ヴェルティアは、落ち着いて答える。
「それが、何か問題でしょうか」
空気が、わずかに張り詰めた。
誰も、即答できない。
そこへ――。
「……随分と、堂々としたものだな」
低い声。
アルベリク王太子だった。
久しぶりの対面。
だが、胸は波立たない。
「以前とは、別人のようだ」
その言葉に、皮肉はある。
だが、後悔も、混じっていた。
ヴェルティアは、静かに彼を見た。
「別人ではありません」
はっきりと。
「“元に戻った”だけです」
王太子の表情が、わずかに歪む。
「私は、誰かに選ばれることで、
価値を証明する必要はありません」
その視線は、まっすぐだ。
「選ばれたとしても、
それは――
私が選んだ結果です」
それが、選んだ証。
セーブルが、ゆっくりと立ち上がった。
「彼女は、私の妻です」
簡潔で、揺るぎない宣言。
「そして、私の隣に立つ者だ」
それ以上の説明は、不要だった。
王太子は、何も言えなかった。
言葉が、追いつかない。
かつて、彼が切り捨てた令嬢は、
今や――
自分の及ばない場所に立っている。
来客が去ったあと、
客間には、静けさが戻った。
「……終わりましたね」
ヴェルティアが、静かに言う。
「ああ」
セーブルは、彼女の隣に立つ。
「もう、過去は追ってこない」
その言葉に、
彼女は、深く息を吐いた。
(……やっと)
ざまぁ、というほど派手ではない。
だが、これ以上に確かな決着はない。
夕方、庭に出ると、
風が木々を揺らしていた。
セーブルが、自然に手を差し出す。
ヴェルティアは、迷わず、その手を取った。
もう、ためらわない。
もう、隠さない。
これが――
選んだ証。
誰のためでもなく、
自分自身のために選んだ未来。
白い結婚から始まった関係は、
今、完全に“公のもの”となった。
残るのは、
この先をどう生きるか――
それだけだ。
朝の空気は、驚くほど澄んでいた。
グラナート公爵邸の回廊に差し込む光は柔らかく、使用人たちの足音も、どこか静かだ。
だが、その静けさは、いつもとは質が違っていた。
(……気づいている)
ヴェルティア・フォン・グラナートは、ゆっくりと息を整えながら、そう感じていた。
何かが変わった。
それは劇的な出来事ではない。
叫びも、宣言も、夜の騒ぎもなかった。
ただ――
距離が、なくなった。
それだけで、屋敷の空気はここまで変わる。
「おはようございます、公爵夫人」
侍女の声は、いつも通り丁寧だった。
だが、その視線は、ほんの一瞬だけ、柔らかく揺れた。
「……おはようございます」
ヴェルティアは、微笑みを返す。
余計なことは言わない。
だが、隠しもしない。
朝食室へ向かうと、すでにセーブル・フォン・グラナートが席についていた。
書類を片付ける手が止まり、彼が顔を上げる。
「……よく眠れたか」
「ええ」
短い応答。
それだけで、十分だった。
使用人が席に着く位置を、ほんのわずかに調整する。
それは、誰かに命じられたわけではない。
自然な判断だ。
(……もう、隠す必要はない)
白い結婚であった頃、
二人の距離は、常に“説明が必要な距離”だった。
だが今は――
説明が、不要だ。
食事は、静かに進む。
だが、周囲の空気は、確実に変わっていた。
給仕の手が、少しだけ柔らかい。
言葉の端々に、遠慮ではなく、安堵が混じる。
それは、祝福に近い感覚だった。
「……今日は」
セーブルが、朝食の終わりに言う。
「来客がある」
「存じています」
ヴェルティアは、頷いた。
王都の有力貴族数名。
そして――
かつて、彼女を“元婚約者”として見下していた者たち。
(……避けられない)
だからこそ、向き合う。
客間に集まった貴族たちは、形式的な挨拶を交わしたあと、すぐに本題へ入った。
「……最近の公爵家は、随分と雰囲気が変わりましたな」
遠回しな言葉。
セーブルは、動じない。
「変わるべきところが、変わっただけです」
それだけで、牽制としては十分だった。
視線が、ヴェルティアに向けられる。
「公爵夫人」
含みを持った呼びかけ。
「最近は、評議の場でもご活躍とか」
以前なら、“出過ぎた真似”と揶揄されたであろう言葉。
だが、今は違う。
「必要な場で、必要な意見を述べただけです」
ヴェルティアは、落ち着いて答える。
「それが、何か問題でしょうか」
空気が、わずかに張り詰めた。
誰も、即答できない。
そこへ――。
「……随分と、堂々としたものだな」
低い声。
アルベリク王太子だった。
久しぶりの対面。
だが、胸は波立たない。
「以前とは、別人のようだ」
その言葉に、皮肉はある。
だが、後悔も、混じっていた。
ヴェルティアは、静かに彼を見た。
「別人ではありません」
はっきりと。
「“元に戻った”だけです」
王太子の表情が、わずかに歪む。
「私は、誰かに選ばれることで、
価値を証明する必要はありません」
その視線は、まっすぐだ。
「選ばれたとしても、
それは――
私が選んだ結果です」
それが、選んだ証。
セーブルが、ゆっくりと立ち上がった。
「彼女は、私の妻です」
簡潔で、揺るぎない宣言。
「そして、私の隣に立つ者だ」
それ以上の説明は、不要だった。
王太子は、何も言えなかった。
言葉が、追いつかない。
かつて、彼が切り捨てた令嬢は、
今や――
自分の及ばない場所に立っている。
来客が去ったあと、
客間には、静けさが戻った。
「……終わりましたね」
ヴェルティアが、静かに言う。
「ああ」
セーブルは、彼女の隣に立つ。
「もう、過去は追ってこない」
その言葉に、
彼女は、深く息を吐いた。
(……やっと)
ざまぁ、というほど派手ではない。
だが、これ以上に確かな決着はない。
夕方、庭に出ると、
風が木々を揺らしていた。
セーブルが、自然に手を差し出す。
ヴェルティアは、迷わず、その手を取った。
もう、ためらわない。
もう、隠さない。
これが――
選んだ証。
誰のためでもなく、
自分自身のために選んだ未来。
白い結婚から始まった関係は、
今、完全に“公のもの”となった。
残るのは、
この先をどう生きるか――
それだけだ。
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