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第32話 真実に触れないという選択
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第32話 真実に触れないという選択
王城の鐘が、静かに昼を告げていた。
アルフェリットは執務机の前に立ち、窓から差し込む光の中で一通の報告書を読んでいる。そこには、最近相次いで“未然に防がれた”事件の記録が並んでいた。
密輸。
反王派の動き。
魔導具の不正流通。
どれも、表沙汰になる前に消えている。
「……やはり、だな」
呟いた声は低く、しかし確信を帯びていた。
誰かが、この国の裏側で先回りしている。
しかも、王宮の権限や軍事力とは無関係に。
◆ ◆ ◆
その日の午後。
キクコ・イソファガスは、王城の図書塔にいた。
一般には公開されていない古文書区画。許可を持つ者しか入れない場所だ。
「相変わらず、埃っぽいわね……」
扇子で軽く空気を払いつつ、棚に並ぶ年代記を指でなぞる。
三百年前、自分が書き残した記録も、いくつか混じっている。
(……うっかり消し忘れたわね)
そのとき、背後から足音がした。
「ここにいると思った」
振り返らずとも分かる声。
「珍しいわね、陛下自ら図書塔なんて」
「キクコ、二人きりのときはそれをやめろ」
「はいはい、アルフェリット」
軽く笑い、棚の間から姿を現す。
◆ ◆ ◆
「用件は?」
単刀直入に聞くと、アルフェリットは一瞬だけ言葉を選んだ。
「確認だ」
「……嫌な予感しかしないわね」
「この国は、誰かに“守られている”。それは軍でも、法でもない」
彼はまっすぐキクコを見た。
「それが、君だとは言わない」
キクコの眉が、わずかに動く。
「けど?」
「……否定もしない」
沈黙が落ちた。
長い時間を生きた彼女には、その沈黙が“試すための間”だとすぐ分かった。
◆ ◆ ◆
「アルフェリット」
キクコは棚に背を預け、腕を組む。
「知りたい?」
「……正直に言えば、知りたい」
「でも?」
「知ることで、君を縛ることになるなら――知りたくない」
その答えに、キクコは小さく息を吐いた。
「本当に、面倒な王様ね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「都合いいわね」
そう言いながらも、どこか声音は柔らいでいた。
◆ ◆ ◆
「いい? アルフェリット」
キクコは真剣な目で言う。
「世の中には、“知らないほうが正しい選択”ってこともあるの。特に、王様はね」
「……」
「あなたが知れば、責任が生まれる。責任が生まれれば、判断が鈍る。最悪、国を危険に晒す」
それは、三百年分の経験からくる言葉だった。
「だから私は、影で動く。表に出ない。誰の功績にもならないように」
「それでも――」
アルフェリットは一歩、彼女に近づく。
「それでも、君が一人で背負う必要はない」
◆ ◆ ◆
一瞬。
キクコの表情から、いつもの余裕が消えた。
ほんの一瞬だけ――
“長く生きすぎた者”の顔になる。
「……それを言われるのが、一番困るのよ」
視線を逸らし、苦笑する。
「助け合うって、寿命が同じくらいの人間がやることだと思ってたわ」
「違う」
アルフェリットは、きっぱりと言った。
「生きる長さじゃない。向き合う覚悟の問題だ」
◆ ◆ ◆
キクコは、しばらく何も言わなかった。
そして、ぽんと軽く彼の額を扇子で叩く。
「……生意気」
「承知の上だ」
「でも」
扇子を閉じ、真剣な声になる。
「真実は話さない。これだけは譲らない」
「分かっている」
「代わりに――」
彼女は、にやりと笑った。
「あなたが道を誤りそうになったら、全力で止める。それでどう?」
「……十分すぎる」
◆ ◆ ◆
図書塔を出る前。
アルフェリットは、最後に一つだけ尋ねた。
「キクコ。君は――この国が好きか?」
彼女は立ち止まり、少し考えてから答えた。
「ええ。嫌いじゃないわ」
それは、愛とも執着とも違う。
三百年守り続けてきた場所への、静かな肯定だった。
◆ ◆ ◆
真実に触れないという選択。
問い詰めないという覚悟。
二人は、また一歩だけ、奇妙な信頼を積み重ねた。
だがその均衡は、
やがて“外部”から崩されることになる――。
王城の鐘が、静かに昼を告げていた。
アルフェリットは執務机の前に立ち、窓から差し込む光の中で一通の報告書を読んでいる。そこには、最近相次いで“未然に防がれた”事件の記録が並んでいた。
密輸。
反王派の動き。
魔導具の不正流通。
どれも、表沙汰になる前に消えている。
「……やはり、だな」
呟いた声は低く、しかし確信を帯びていた。
誰かが、この国の裏側で先回りしている。
しかも、王宮の権限や軍事力とは無関係に。
◆ ◆ ◆
その日の午後。
キクコ・イソファガスは、王城の図書塔にいた。
一般には公開されていない古文書区画。許可を持つ者しか入れない場所だ。
「相変わらず、埃っぽいわね……」
扇子で軽く空気を払いつつ、棚に並ぶ年代記を指でなぞる。
三百年前、自分が書き残した記録も、いくつか混じっている。
(……うっかり消し忘れたわね)
そのとき、背後から足音がした。
「ここにいると思った」
振り返らずとも分かる声。
「珍しいわね、陛下自ら図書塔なんて」
「キクコ、二人きりのときはそれをやめろ」
「はいはい、アルフェリット」
軽く笑い、棚の間から姿を現す。
◆ ◆ ◆
「用件は?」
単刀直入に聞くと、アルフェリットは一瞬だけ言葉を選んだ。
「確認だ」
「……嫌な予感しかしないわね」
「この国は、誰かに“守られている”。それは軍でも、法でもない」
彼はまっすぐキクコを見た。
「それが、君だとは言わない」
キクコの眉が、わずかに動く。
「けど?」
「……否定もしない」
沈黙が落ちた。
長い時間を生きた彼女には、その沈黙が“試すための間”だとすぐ分かった。
◆ ◆ ◆
「アルフェリット」
キクコは棚に背を預け、腕を組む。
「知りたい?」
「……正直に言えば、知りたい」
「でも?」
「知ることで、君を縛ることになるなら――知りたくない」
その答えに、キクコは小さく息を吐いた。
「本当に、面倒な王様ね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「都合いいわね」
そう言いながらも、どこか声音は柔らいでいた。
◆ ◆ ◆
「いい? アルフェリット」
キクコは真剣な目で言う。
「世の中には、“知らないほうが正しい選択”ってこともあるの。特に、王様はね」
「……」
「あなたが知れば、責任が生まれる。責任が生まれれば、判断が鈍る。最悪、国を危険に晒す」
それは、三百年分の経験からくる言葉だった。
「だから私は、影で動く。表に出ない。誰の功績にもならないように」
「それでも――」
アルフェリットは一歩、彼女に近づく。
「それでも、君が一人で背負う必要はない」
◆ ◆ ◆
一瞬。
キクコの表情から、いつもの余裕が消えた。
ほんの一瞬だけ――
“長く生きすぎた者”の顔になる。
「……それを言われるのが、一番困るのよ」
視線を逸らし、苦笑する。
「助け合うって、寿命が同じくらいの人間がやることだと思ってたわ」
「違う」
アルフェリットは、きっぱりと言った。
「生きる長さじゃない。向き合う覚悟の問題だ」
◆ ◆ ◆
キクコは、しばらく何も言わなかった。
そして、ぽんと軽く彼の額を扇子で叩く。
「……生意気」
「承知の上だ」
「でも」
扇子を閉じ、真剣な声になる。
「真実は話さない。これだけは譲らない」
「分かっている」
「代わりに――」
彼女は、にやりと笑った。
「あなたが道を誤りそうになったら、全力で止める。それでどう?」
「……十分すぎる」
◆ ◆ ◆
図書塔を出る前。
アルフェリットは、最後に一つだけ尋ねた。
「キクコ。君は――この国が好きか?」
彼女は立ち止まり、少し考えてから答えた。
「ええ。嫌いじゃないわ」
それは、愛とも執着とも違う。
三百年守り続けてきた場所への、静かな肯定だった。
◆ ◆ ◆
真実に触れないという選択。
問い詰めないという覚悟。
二人は、また一歩だけ、奇妙な信頼を積み重ねた。
だがその均衡は、
やがて“外部”から崩されることになる――。
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