4 / 30
第4話 完璧令嬢の価値
しおりを挟む
第4話 完璧令嬢の価値
エミーラ・ローゼンベルクが王宮を去ってから、三日。
その三日間で、
王宮の空気は、目に見えて重くなっていた。
「……あの、殿下」 「まだ終わっていないのか?」
第一王子アルトゥーラ・レグナードは、机に積まれた書類を睨みつけた。
「その……財務局からの問い合わせが……」 「前にも説明しただろう。好きに処理しろ」
侍従は、言葉に詰まった。
「ですが……前例がなく……」 「前例? そんなもの、いちいち気にしてどうする」
苛立ちを隠そうともせず、アルトゥーラは手を振る。
――その瞬間。
「……以前は、エミーラ様が
このあたりの調整をすべてなさっていましたが……」
ぽつりと漏れた一言に、空気が凍った。
「……何だと?」
アルトゥーラは、ゆっくりと顔を上げる。
「今の発言、どういう意味だ」
侍従は、観念したように頭を下げた。
「はい。
財務・外交文書の優先順位整理、
各部署との根回し、
緊急案件の選別……」
一つ、また一つと、
淡々と挙げられていく“役割”。
「それらは、ほとんどすべて
エミーラ様が事前に整えてくださっていました」
沈黙。
アルトゥーラは、しばらく何も言えなかった。
「……それは、補佐官の仕事だろう」
「いえ。補佐官は確認のみです。
実務を回していたのは……」
言葉が、重く落ちる。
「エミーラ様でした」
アルトゥーラは、無意識に拳を握った。
(そんなはずはない)
彼女は、ただ完璧に立ち振る舞っていただけだ。
自分の隣に立ち、微笑み、
時々、意見を述べる――それだけの存在だったはずだ。
そう、思っていた。
「……アウルスは?」
ふと、彼は新しい恋人の名を口にした。
「彼女なら、何か代案を出せるだろう」
侍従の視線が、泳いだ。
「アウルス様は……
“難しいことはよくわかりません”と……」
アルトゥーラの眉が、ぴくりと動く。
「……それだけか?」
「はい。
『殿下が決めればいいと思います』と……」
静寂が、痛いほどに広がった。
その日の午後。
王宮の別室では、会議が紛糾していた。
「誰がこの条文を通したのだ!」 「予算の裏付けがない!」 「外交期限が過ぎているぞ!」
怒号の中で、
アルトゥーラは、ただ立ち尽くしていた。
以前なら――
(……エミーラが、止めていた)
危うい案は、事前に弾かれていた。
曖昧な書類は、提出前に修正されていた。
会議が荒れることなど、なかった。
それが、当たり前だと思っていた。
「殿下!」
誰かの声で、我に返る。
「ご決断を!」
だが――
「……少し、時間をくれ」
そう言うしかなかった。
会議が終わった後、
アルトゥーラは一人、回廊に立っていた。
そこへ、楽しげな声が響く。
「殿下~!
お疲れでしょう? 一緒にお茶にしません?」
アウルス・セナートだった。
無邪気な笑顔。
何も知らない、何も背負わない顔。
――以前なら、それが“癒し”に見えただろう。
だが今は。
「……今はいい」
「え?」
「後にしてくれ」
アウルスは、驚いたように目を瞬かせた。
「……はい」
彼女が去った後、
アルトゥーラは、低く息を吐いた。
(完璧すぎる、か……)
ふと、脳裏に浮かぶ。
静かに微笑み、
必要なことだけを、淡々とこなしていた令嬢の姿。
(……あれは)
完璧だったのではない。
――必要不可欠だったのだ。
その頃。
王都の外れへ向かう馬車の中で、
エミーラ・ローゼンベルクは、穏やかな表情で本を読んでいた。
「お嬢様」
マリアが、遠慮がちに声をかける。
「王宮が……少し、騒がしいようです」
「そう」
エミーラは、ページをめくりながら答えた。
「私がいなくなったのですもの。
多少の混乱は、想定内ですわ」
感情のない声。
だが、その口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。
「――価値というものは」
彼女は、静かに呟く。
「失われてからでないと、
気づかれないものですから」
馬車は、静かに王都を離れていった。
完璧令嬢がいなくなった王宮は、
まだ、自分たちが何を失ったのかを
正しく理解していなかった。
エミーラ・ローゼンベルクが王宮を去ってから、三日。
その三日間で、
王宮の空気は、目に見えて重くなっていた。
「……あの、殿下」 「まだ終わっていないのか?」
第一王子アルトゥーラ・レグナードは、机に積まれた書類を睨みつけた。
「その……財務局からの問い合わせが……」 「前にも説明しただろう。好きに処理しろ」
侍従は、言葉に詰まった。
「ですが……前例がなく……」 「前例? そんなもの、いちいち気にしてどうする」
苛立ちを隠そうともせず、アルトゥーラは手を振る。
――その瞬間。
「……以前は、エミーラ様が
このあたりの調整をすべてなさっていましたが……」
ぽつりと漏れた一言に、空気が凍った。
「……何だと?」
アルトゥーラは、ゆっくりと顔を上げる。
「今の発言、どういう意味だ」
侍従は、観念したように頭を下げた。
「はい。
財務・外交文書の優先順位整理、
各部署との根回し、
緊急案件の選別……」
一つ、また一つと、
淡々と挙げられていく“役割”。
「それらは、ほとんどすべて
エミーラ様が事前に整えてくださっていました」
沈黙。
アルトゥーラは、しばらく何も言えなかった。
「……それは、補佐官の仕事だろう」
「いえ。補佐官は確認のみです。
実務を回していたのは……」
言葉が、重く落ちる。
「エミーラ様でした」
アルトゥーラは、無意識に拳を握った。
(そんなはずはない)
彼女は、ただ完璧に立ち振る舞っていただけだ。
自分の隣に立ち、微笑み、
時々、意見を述べる――それだけの存在だったはずだ。
そう、思っていた。
「……アウルスは?」
ふと、彼は新しい恋人の名を口にした。
「彼女なら、何か代案を出せるだろう」
侍従の視線が、泳いだ。
「アウルス様は……
“難しいことはよくわかりません”と……」
アルトゥーラの眉が、ぴくりと動く。
「……それだけか?」
「はい。
『殿下が決めればいいと思います』と……」
静寂が、痛いほどに広がった。
その日の午後。
王宮の別室では、会議が紛糾していた。
「誰がこの条文を通したのだ!」 「予算の裏付けがない!」 「外交期限が過ぎているぞ!」
怒号の中で、
アルトゥーラは、ただ立ち尽くしていた。
以前なら――
(……エミーラが、止めていた)
危うい案は、事前に弾かれていた。
曖昧な書類は、提出前に修正されていた。
会議が荒れることなど、なかった。
それが、当たり前だと思っていた。
「殿下!」
誰かの声で、我に返る。
「ご決断を!」
だが――
「……少し、時間をくれ」
そう言うしかなかった。
会議が終わった後、
アルトゥーラは一人、回廊に立っていた。
そこへ、楽しげな声が響く。
「殿下~!
お疲れでしょう? 一緒にお茶にしません?」
アウルス・セナートだった。
無邪気な笑顔。
何も知らない、何も背負わない顔。
――以前なら、それが“癒し”に見えただろう。
だが今は。
「……今はいい」
「え?」
「後にしてくれ」
アウルスは、驚いたように目を瞬かせた。
「……はい」
彼女が去った後、
アルトゥーラは、低く息を吐いた。
(完璧すぎる、か……)
ふと、脳裏に浮かぶ。
静かに微笑み、
必要なことだけを、淡々とこなしていた令嬢の姿。
(……あれは)
完璧だったのではない。
――必要不可欠だったのだ。
その頃。
王都の外れへ向かう馬車の中で、
エミーラ・ローゼンベルクは、穏やかな表情で本を読んでいた。
「お嬢様」
マリアが、遠慮がちに声をかける。
「王宮が……少し、騒がしいようです」
「そう」
エミーラは、ページをめくりながら答えた。
「私がいなくなったのですもの。
多少の混乱は、想定内ですわ」
感情のない声。
だが、その口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。
「――価値というものは」
彼女は、静かに呟く。
「失われてからでないと、
気づかれないものですから」
馬車は、静かに王都を離れていった。
完璧令嬢がいなくなった王宮は、
まだ、自分たちが何を失ったのかを
正しく理解していなかった。
26
あなたにおすすめの小説
平民とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の王と結婚しました
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・ベルフォード、これまでの婚約は白紙に戻す」
その言葉を聞いた瞬間、私はようやく――心のどこかで予感していた結末に、静かに息を吐いた。
王太子アルベルト殿下。金糸の髪に、これ見よがしな笑み。彼の隣には、私が知っている顔がある。
――侯爵令嬢、ミレーユ・カスタニア。
学園で何かと殿下に寄り添い、私を「高慢な婚約者」と陰で嘲っていた令嬢だ。
「殿下、どういうことでしょう?」
私の声は驚くほど落ち着いていた。
「わたくしは、あなたの婚約者としてこれまで――」
婚約破棄されたので頑張るのをやめました 〜昼寝と紅茶だけの公爵令嬢なのに、なぜか全部うまくいきます〜あ
鍛高譚
恋愛
王太子から婚約破棄された衝撃で階段から落ちた公爵令嬢シャル・ド・ネ・アルベール。
目覚めた彼女は、なんと前世の記憶——ブラック企業で働き詰めだったOL・佐伯ゆかりとしての人生を思い出してしまう。
無理して働いた末に過労死した前世の反省から、シャルは決意する。
「もう頑張らない。今度の人生は“好き”と“昼寝”だけで満たしますわ!」
貴族としての特権をフル活用し、ワイン造りやスイーツ作りなど“趣味”の延長でゆるゆる領地改革。
気づけば国王にも称賛され、周囲の評価はうなぎのぼり!?
一方、彼女を見下していた王太子と“真実の愛()”の令嬢は社交界で大炎上。
誰もざまぁされろなんて言ってないのに……勝手に転がり落ちていく元関係者たち。
本人はただ紅茶とスコーンを楽しんでいるだけなのに――
そんな“努力しない系”令嬢が、理想の白い結婚相手と出会い、
甘くてふわふわ、そしてちょっぴり痛快な自由ライフを満喫する
ざまぁ(他力本願)×スローライフ×ちょっと恋愛な物語です♪
婚約破棄の慰謝料として『王国の半分』を要求したら、本当にくれたので、今日から私があなたの女王様です
唯崎りいち
恋愛
婚約破棄の慰謝料に
「王国の半分」を要求したら、
ゴミみたいな土地を押し付けられた。
ならば――関所を作りまくって
王子を経済的に詰ませることにした。
支配目当ての女王による、
愛なき(?)完全勝利の記録。
婚約者に「愛することはない」と言われたその日にたまたま出会った隣国の皇帝から溺愛されることになります。~捨てる王あれば拾う王ありですわ。
松ノ木るな
恋愛
純真無垢な侯爵令嬢レヴィーナは、国の次期王であるフィリベールと固い絆で結ばれる未来を夢みていた。しかし王太子はそのような意思を持つ彼女を生意気だと疎み、気まぐれに婚約破棄を言い渡す。
伴侶と寄り添う幸せな未来を諦めた彼女は悲観し、井戸に身を投げたのだった。
あの世だと思って辿りついた先は、小さな貴族の家の、こじんまりとした食堂。そこには呑めもしないのに酒を舐め、身分社会に恨み節を唱える美しい青年がいた。
どこの家の出の、どの立場とも知らぬふたりが、一目で恋に落ちたなら。
たまたま出会って離れていてもその存在を支えとする、そんなふたりが再会して結ばれる初恋ストーリーです。
「価値がない」と言われた私、隣国では国宝扱いです
ゆっこ
恋愛
「――リディア・フェンリル。お前との婚約は、今日をもって破棄する」
高らかに響いた声は、私の心を一瞬で凍らせた。
王城の大広間。煌びやかなシャンデリアの下で、私は静かに頭を垂れていた。
婚約者である王太子エドモンド殿下が、冷たい眼差しで私を見下ろしている。
「……理由を、お聞かせいただけますか」
「理由など、簡単なことだ。お前には“何の価値もない”からだ」
勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
子爵家の私は自分よりも身分の高い婚約者に、いつもいいように顎でこき使われていた。ある日、突然婚約者に呼び出されて一方的に婚約破棄を告げられてしまう。二人の婚約は家同士が決めたこと。当然受け入れられるはずもないので拒絶すると「婚約破棄は絶対する。後のことなどしるものか。お前の方で勝手にしろ」と言い切られてしまう。
いいでしょう……そこまで言うのなら、勝手にさせていただきます。
ただし、後のことはどうなっても知りませんよ?
* 他サイトでも投稿
* ショートショートです。あっさり終わります
婚約破棄は了承済みですので、慰謝料だけ置いていってください
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢アナスタシア・オルステッドは、第三王子アレンの婚約者だった。
しかし、アレンは没落貴族の令嬢カリーナと密かに関係を持っていたことが発覚し、彼女を愛していると宣言。アナスタシアとの婚約破棄を告げるが──
「わかりました。でも、それには及びません。すでに婚約は破棄されております」
なんとアナスタシアは、事前に国王へ婚約破棄を申し出ており、すでに了承されていたのだ。
さらに、慰謝料もしっかりと請求済み。
「どうぞご自由に、カリーナ様とご婚約なさってください。でも、慰謝料のお支払いはお忘れなく」
驚愕するアレンを後にし、悠々と去るアナスタシア。
ところが数カ月後、生活に困窮したアレンが、再び彼女のもとへ婚約のやり直しを申し出る。
「呆れたお方ですね。そんな都合のいい話、お受けするわけがないでしょう?」
かつての婚約者の末路に興味もなく、アナスタシアは公爵家の跡取りとして堂々と日々を過ごす。
しかし、王国には彼女を取り巻く新たな陰謀の影が忍び寄っていた。
暗躍する謎の勢力、消える手紙、そして不審な襲撃──。
そんな中、王国軍の若きエリート将校ガブリエルと出会い、アナスタシアは自らの運命に立ち向かう決意を固める。
「私はもう、誰かに振り回されるつもりはありません。この王国の未来も、私自身の未来も、私の手で切り拓きます」
婚約破棄を経て、さらに強く、賢くなった公爵令嬢の痛快ざまぁストーリー!
自らの誇りを貫き、王国を揺るがす陰謀を暴く彼女の華麗なる活躍をお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる