3 / 39
第3話 婚約破棄の宣言
しおりを挟む
第3話 婚約破棄の宣言
その日は、あらかじめ「発表がある」とだけ告げられていた。
王城大広間。
貴族、高位聖職者、近隣諸国の使節まで集められた、半ば公式の場だ。
空気は張り詰めているが、内容を正確に知る者は少ない。
アルトリア・カストゥスは、定められた位置に立ちながら、周囲を静かに見渡していた。
(この顔ぶれ……)
即位式に準じるほどではない。
だが「私的な話」で済ませるつもりもない。
(ええ、決めましたわね)
隣に立つ王太子ルートヴィヒ・マシアスは、いつになく自信に満ちた表情をしていた。迷いも、躊躇もない。彼の中では、すでに物語は完成している。
ほどなく、国王の入場を告げる声が響き、形式的な挨拶が交わされる。
その後、王太子が一歩前へ出た。
「本日は、皆に報告がある」
ざわめきが、すっと静まる。
「先日、王都中央広場にて奇跡が起きたことは、すでに知っているだろう」
視線が、一斉に一点へ集まる。
ジャンヌ・テレーゼ。
彼女は、聖職者に囲まれるようにして立っていた。
緊張で強張った顔。逃げ場を探すような視線。
(……まだ、心の準備もできていませんのに)
アルトリアは、ほんの一瞬だけ唇を引き結んだ。
「宙に浮かぶという奇跡。
それは神が我が国に与えた祝福であり、導きである」
王太子の声はよく通る。
「ゆえに、私は決断した」
一拍。
「ジャンヌ・テレーゼを、正式に聖女として迎え入れる」
どよめきが走る。
驚きと納得が、入り混じったざわめき。
だが、それは前置きにすぎなかった。
「そして――」
王太子は、言葉を続ける。
「聖女には、それに相応しい立場が必要だ」
アルトリアは、微動だにしない。
(来ましたわね)
「よって」
その声が、はっきりと響く。
「私は、アルトリア・カストゥスとの婚約を破棄し、
ジャンヌ・テレーゼと新たに婚約することを、ここに宣言する」
一瞬、空気が凍りついた。
次の瞬間、抑えきれないざわめきが広がる。
「婚約破棄……?」 「公爵家との縁を切ると……?」 「正妃候補を……?」
多くの視線が、アルトリアに向けられた。
泣くのか。
抗議するのか。
怒りを露わにするのか。
――だが。
「……承知いたしました」
アルトリアは、一歩前に出て、優雅に一礼した。
「王太子殿下のご判断、謹んでお受けいたします」
静まり返る大広間。
「どうか、聖女様と共に、国をお導きくださいませ」
その声は、澄み切っていた。
感情の揺れを、一切感じさせない。
ざわめきは次第に困惑へと変わる。
「……あっさりだな」 「抵抗しないのか……?」
王太子は一瞬、拍子抜けしたような表情を浮かべたが、すぐに満足げに頷いた。
「理解してもらえて助かる」
「ええ。国家のためですもの」
それ以上の言葉は、不要だった。
ジャンヌは、何が起きたのか分からないまま、ただ青ざめて立っている。
視線が泳ぎ、助けを求めるように周囲を見回すが、誰も応えない。
(……ごめんなさい)
アルトリアは、心の中でだけそう呟いた。
式は、そのまま「滞りなく」進行した。
聖女の誕生。
新たな婚約。
そして、旧い婚約の解消。
すべてが、王太子の筋書き通りだ。
◇
カストゥス公爵家に用意された控室。
重厚な扉が閉まり、外の音が遮断された、その瞬間。
「――――――」
一拍。
「聖女様様ですわぁぁぁぁぁ!!!」
アルトリアは、思い切り両手を突き上げた。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます神様!
まさか、あちらから婚約破棄してくださるなんて!」
くるりと一回転し、椅子に腰掛ける。
「復讐も根回しも不要!
面倒な王妃教育からも解放!
今日は記念日ですわ!」
ひとしきり喜びきった後、アルトリアは深く息を吐いた。
「……さて」
表情が、すっと切り替わる。
「三十センチ浮く聖女様に、
ここまでの価値を見出すなんて……」
小さく首を傾げる。
「派手ですけれど……
どう考えても、役に立ちませんわね」
その瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
「……まずいですわ」
即座に、結論が出る。
「この事実――
誰にも気づかせてはいけません」
価値が下がれば、切り捨てられる。
それが、この世界の現実。
「……当初の結論は」
アルトリアは、静かに指を組んだ。
「王太子殿下と聖女様の婚約を、
守るべき、ですわね」
立場があれば、守られる。
檻であっても、命綱にはなる。
それが――今の、最善。
(ええ……今は、まだ)
その判断が、
やがて自分自身の手で覆されることになるとは、
この時のアルトリアは、まだ知らなかった。
その日は、あらかじめ「発表がある」とだけ告げられていた。
王城大広間。
貴族、高位聖職者、近隣諸国の使節まで集められた、半ば公式の場だ。
空気は張り詰めているが、内容を正確に知る者は少ない。
アルトリア・カストゥスは、定められた位置に立ちながら、周囲を静かに見渡していた。
(この顔ぶれ……)
即位式に準じるほどではない。
だが「私的な話」で済ませるつもりもない。
(ええ、決めましたわね)
隣に立つ王太子ルートヴィヒ・マシアスは、いつになく自信に満ちた表情をしていた。迷いも、躊躇もない。彼の中では、すでに物語は完成している。
ほどなく、国王の入場を告げる声が響き、形式的な挨拶が交わされる。
その後、王太子が一歩前へ出た。
「本日は、皆に報告がある」
ざわめきが、すっと静まる。
「先日、王都中央広場にて奇跡が起きたことは、すでに知っているだろう」
視線が、一斉に一点へ集まる。
ジャンヌ・テレーゼ。
彼女は、聖職者に囲まれるようにして立っていた。
緊張で強張った顔。逃げ場を探すような視線。
(……まだ、心の準備もできていませんのに)
アルトリアは、ほんの一瞬だけ唇を引き結んだ。
「宙に浮かぶという奇跡。
それは神が我が国に与えた祝福であり、導きである」
王太子の声はよく通る。
「ゆえに、私は決断した」
一拍。
「ジャンヌ・テレーゼを、正式に聖女として迎え入れる」
どよめきが走る。
驚きと納得が、入り混じったざわめき。
だが、それは前置きにすぎなかった。
「そして――」
王太子は、言葉を続ける。
「聖女には、それに相応しい立場が必要だ」
アルトリアは、微動だにしない。
(来ましたわね)
「よって」
その声が、はっきりと響く。
「私は、アルトリア・カストゥスとの婚約を破棄し、
ジャンヌ・テレーゼと新たに婚約することを、ここに宣言する」
一瞬、空気が凍りついた。
次の瞬間、抑えきれないざわめきが広がる。
「婚約破棄……?」 「公爵家との縁を切ると……?」 「正妃候補を……?」
多くの視線が、アルトリアに向けられた。
泣くのか。
抗議するのか。
怒りを露わにするのか。
――だが。
「……承知いたしました」
アルトリアは、一歩前に出て、優雅に一礼した。
「王太子殿下のご判断、謹んでお受けいたします」
静まり返る大広間。
「どうか、聖女様と共に、国をお導きくださいませ」
その声は、澄み切っていた。
感情の揺れを、一切感じさせない。
ざわめきは次第に困惑へと変わる。
「……あっさりだな」 「抵抗しないのか……?」
王太子は一瞬、拍子抜けしたような表情を浮かべたが、すぐに満足げに頷いた。
「理解してもらえて助かる」
「ええ。国家のためですもの」
それ以上の言葉は、不要だった。
ジャンヌは、何が起きたのか分からないまま、ただ青ざめて立っている。
視線が泳ぎ、助けを求めるように周囲を見回すが、誰も応えない。
(……ごめんなさい)
アルトリアは、心の中でだけそう呟いた。
式は、そのまま「滞りなく」進行した。
聖女の誕生。
新たな婚約。
そして、旧い婚約の解消。
すべてが、王太子の筋書き通りだ。
◇
カストゥス公爵家に用意された控室。
重厚な扉が閉まり、外の音が遮断された、その瞬間。
「――――――」
一拍。
「聖女様様ですわぁぁぁぁぁ!!!」
アルトリアは、思い切り両手を突き上げた。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます神様!
まさか、あちらから婚約破棄してくださるなんて!」
くるりと一回転し、椅子に腰掛ける。
「復讐も根回しも不要!
面倒な王妃教育からも解放!
今日は記念日ですわ!」
ひとしきり喜びきった後、アルトリアは深く息を吐いた。
「……さて」
表情が、すっと切り替わる。
「三十センチ浮く聖女様に、
ここまでの価値を見出すなんて……」
小さく首を傾げる。
「派手ですけれど……
どう考えても、役に立ちませんわね」
その瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
「……まずいですわ」
即座に、結論が出る。
「この事実――
誰にも気づかせてはいけません」
価値が下がれば、切り捨てられる。
それが、この世界の現実。
「……当初の結論は」
アルトリアは、静かに指を組んだ。
「王太子殿下と聖女様の婚約を、
守るべき、ですわね」
立場があれば、守られる。
檻であっても、命綱にはなる。
それが――今の、最善。
(ええ……今は、まだ)
その判断が、
やがて自分自身の手で覆されることになるとは、
この時のアルトリアは、まだ知らなかった。
0
あなたにおすすめの小説
欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜
水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。
魔王乱立の時代。
王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。
だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。
にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。
抗議はしない。
訂正もしない。
ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。
――それが、誰にとっての不合格なのか。
まだ、誰も気づいていない。
欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。
病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します
佐藤 美奈
恋愛
セフィーナ・グラディウスという貴族の娘が、婚約者であるアルディン・オルステリア伯爵令息との関係に苦悩し、彼の優しさが他の女性に向けられることに心を痛める。
セフィーナは、アルディンが幼馴染のリーシャ・ランスロット男爵令嬢に特別な優しさを注ぐ姿を見て、自らの立場に苦しみながらも、理想的な婚約者を演じ続ける日々を送っていた。
婚約して十年間、心の中で自分を演じ続けてきたが、それももう耐えられなくなっていた。
聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)
蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。
聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。
愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。
いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。
ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。
それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。
心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。
大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです
古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。
皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。
他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。
救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。
セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。
だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。
「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」
今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました
日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。
だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。
もしかして、婚約破棄⁉
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる