『奢侈禁止令の鉄槌 ―偽の公爵令嬢が紡ぐ、着られぬ絹の鎖―』

鷹 綾

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第26話 最果ての製糸工場

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第26話 最果ての製糸工場

荷馬車は三日かけて北へ進んだ。

王都の石畳はいつの間にか消え、道は土に変わり、景色は荒れた丘と灰色の森ばかりになっていく。

セレスティーヌは荷台に座ったまま、ほとんど言葉を発しなかった。

粗末な毛布一枚。
水袋。
固い黒パン。

それだけが彼女に与えられたものだった。

三日目の夕方、馬車はようやく止まった。

御者が短く言う。

「着いたぞ」

セレスティーヌは顔を上げる。

そこにあったのは――

高い煙突だった。

黒い煙がゆっくりと空へ伸びている。

建物は大きいが、装飾は一切ない。

灰色の石壁。
黒ずんだ屋根。
湿気の匂い。

入口の上に、木の看板が掲げられていた。

ヴァルモン領 北方製糸工場

セレスティーヌの胸が締め付けられる。

(ここ……?)

御者が荷台を叩く。

「降りろ」

彼女はゆっくり地面に降りた。

足元はぬかるんでいる。

王都の庭園の石畳とはまるで違う。

扉が開き、中から女が出てきた。

四十代ほど。

腕が太い。

作業服を着ている。

女はセレスティーヌを上から下まで見た。

そして鼻で笑う。

「……ああ、聞いてたよ」

低い声。

「公爵令嬢さまだろ」

周りの女工たちが小さく笑う。

セレスティーヌは顔を赤くした。

「私は……」

言いかけて、言葉が止まる。

もうその身分はない。

女は肩をすくめる。

「ここじゃ関係ない」

「全員、労働者だ」

そして短く言った。

「ついて来な」

セレスティーヌは建物の中へ入った。

その瞬間、熱気が襲ってきた。

蒸気。

湿気。

独特の匂い。

鼻の奥に重たい空気が入り込む。

広い工場の中では、大きな釜が並んでいた。

その中で――

繭が煮られている。

白い繭が熱湯に沈み、湯気が立ち上る。

女工たちは黙々と作業していた。

長い棒で繭をかき混ぜる者。

糸を引き出す者。

巻き取る者。

誰も話さない。

ただ機械の音と湯の音だけが響いている。

セレスティーヌは呟く。

「……暑い」

女が振り返る。

「当たり前だ」

「絹はこうして作る」

彼女は釜の前で止まった。

湯気が顔に当たる。

熱い。

女は言う。

「ここで繭を煮る」

「柔らかくなったら糸を引く」

セレスティーヌは目を見開く。

「糸……?」

女は棒で繭をすくう。

細い糸が伸びた。

黄金色の糸。

それは確かに美しかった。

女は言う。

「これが絹だ」

その言葉に、セレスティーヌの胸がざわつく。

絹。

あのドレス。

あの夜。

女は彼女の手を掴んだ。

乱暴に釜の前へ引く。

「やってみろ」

セレスティーヌは慌てる。

「え、でも――」

「やれ」

命令だった。

彼女は震える手で棒を持つ。

繭をすくう。

湯気が顔に当たる。

熱い。

そして糸を探る。

指先で触れる。

その瞬間。

「熱っ!」

思わず声が出た。

女工たちがちらりと見る。

誰も助けない。

女は腕を組む。

「甘いな」

「湯に慣れろ」

セレスティーヌの指は赤くなっていた。

じんじん痛む。

だが女は言う。

「止まるな」

「止まれば糸は絡む」

「仕事が増える」

セレスティーヌは震えながら再び糸を探る。

細い糸が指に絡む。

引く。

糸が伸びる。

それは確かに美しかった。

絹。

王都の舞踏会。

豪華なドレス。

貴族たちの衣装。

そのすべてが――

ここから生まれている。

女は言った。

「それ、全部王都行きだ」

セレスティーヌの手が止まる。

「王都……」

女は笑う。

「貴族さまのドレスになる」

その言葉は、刃のようだった。

セレスティーヌの胸が締め付けられる。

かつて彼女が憧れたもの。

欲しかったもの。

今、彼女はそれを作っている。

だが。

もう二度と――

着ることはできない。

女は冷たく言った。

「手を動かせ」

「ここじゃ」

一拍。

「泣いても糸は出ない」

蒸気が立ち上る。

釜がぐつぐつと音を立てる。

セレスティーヌは黙って糸を引いた。

指が熱い。

肌が焼ける。

それでも作業は止まらない。

かつて舞踏会で輝いていた少女は、

今、

最果ての工場で

黙々と

絹を紡ぎ始めていた。
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