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第六話 止められた言葉の意味
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第六話 止められた言葉の意味
卒業舞踏会から一週間。
王都の噂は、すでに一つの“事実”として定着していた。
アルヴェイン公爵令嬢フロレンティアは、義妹を虐げていた悪女。
そして、その義妹を救ったのが王太子カルディオン。
――それが、この国の新しい物語だった。
王宮でも、その話題は尽きない。
廊下を歩く侍女たちが囁く。
「王太子殿下、本当にお優しいわ」
「ヴィオレッタ様を助けてくださったのよ」
「ずっとお姉様に虐められていたそうよ」
「公爵家って怖いわね」
人は、真実よりも物語を信じる。
特に、それが分かりやすい善悪の物語ならなおさらだ。
その頃。
王宮の庭園では、カルディオン王太子が歩いていた。
隣にはヴィオレッタがいる。
春の陽光の下、庭の噴水がきらめいていた。
カルディオンは満足そうに言う。
「王都の反応も上々だ」
ヴィオレッタは少し驚いたように顔を上げる。
「反応……ですか?」
カルディオンは頷いた。
「皆、理解している」
「君が被害者だとな」
ヴィオレッタは俯く。
「……そんな」
「私は、そこまで」
カルディオンは笑った。
「遠慮する必要はない」
「長年苦しめられてきたのだろう」
ヴィオレッタは小さく首を振る。
「私は……」
「ただ」
彼女は言葉を濁した。
カルディオンは気づかない。
「心配するな」
「もう君は安全だ」
彼ははっきり言った。
「私は君の味方だ」
ヴィオレッタは目を伏せる。
「ありがとうございます」
その声は弱々しい。
だが、その目の奥には、誰にも見えない光があった。
カルディオンは少し考えるように言った。
「それにしても」
ヴィオレッタが顔を上げる。
「何でしょう」
カルディオンは言う。
「舞踏会の時だ」
「フロレンティアが言いかけた言葉」
ヴィオレッタの指が一瞬だけ止まった。
「……」
カルディオンは思い出すように言う。
「“その人は――”」
ヴィオレッタは小さく笑った。
「きっと」
「私の悪口です」
カルディオンは頷いた。
「だろうな」
そして不快そうに言う。
「だから止めた」
ヴィオレッタは首を傾げる。
「止めた……?」
カルディオンは当然のように答えた。
「加害者の弁明など聞く価値はない」
彼は腕を組む。
「もし話させていたら」
「きっと言い訳を並べただろう」
ヴィオレッタは少しだけ考えた。
そして言う。
「でも……」
カルディオンが振り向く。
「何だ?」
ヴィオレッタは少し困ったように言う。
「もし」
「何か事情があったとしたら?」
カルディオンは即座に答えた。
「ない」
その声には迷いがない。
「そんなものは存在しない」
ヴィオレッタは黙った。
カルディオンは続ける。
「仮にあったとしても」
「それは言い訳だ」
彼は庭を見渡す。
「私は正しいことをした」
「王太子として」
「不正を見逃すわけにはいかない」
ヴィオレッタは小さく微笑む。
「……そうですね」
その微笑みを見て、カルディオンは満足そうに頷いた。
一方その頃。
アルヴェイン公爵邸。
フロレンティアは書斎の机の前に座っていた。
机の上には例の書類が並んでいる。
戸籍。
結婚証明。
年齢記録。
執事が静かに言う。
「王太子殿下の動きですが」
フロレンティアは顔を上げない。
「ええ」
執事は続ける。
「ヴィオレッタ様と、頻繁に会われております」
フロレンティアは紅茶を一口飲む。
「そう」
執事は少し間を置いた。
「社交界では、すでに婚約が既成事実として扱われております」
フロレンティアはカップを置いた。
「そうでしょうね」
執事は言う。
「止めますか?」
フロレンティアは少し考えた。
そして首を振る。
「いいえ」
「止めません」
執事は黙っている。
フロレンティアは書類を指で軽く叩いた。
「むしろ」
彼女は静かに言った。
「もっと進めていただいた方がいい」
執事が目を細める。
フロレンティアは続ける。
「婚約を進めるほど」
「後で止められなくなる」
執事は理解したように頷いた。
「なるほど」
フロレンティアは椅子にもたれる。
「舞踏会の時」
彼女はゆっくり言った。
「私は言おうとしました」
執事が答える。
「“その人は――”」
フロレンティアは小さく笑った。
「でも」
「殿下が止めた」
執事は静かに言う。
「はい」
フロレンティアは窓の外を見た。
庭の薔薇が風に揺れている。
「もし」
彼女はゆっくり言う。
「言えていたら」
執事は答えた。
「その場で終わっていたでしょう」
フロレンティアは頷く。
「ええ」
そして静かに微笑む。
「でも」
「今は違う」
彼女は書類を一枚手に取った。
そこには、はっきりと書かれている。
結婚記録
ヴィオレッタ・オデット
配偶者 ダリオン・アルヴェイン
フロレンティアは静かに言った。
「この話は」
「王国中が見ている舞台になる」
そしてその瞳に、わずかな光が宿る。
「殿下は」
「自分で止めました」
「真実を」
「今さら戻れませんわ」
卒業舞踏会から一週間。
王都の噂は、すでに一つの“事実”として定着していた。
アルヴェイン公爵令嬢フロレンティアは、義妹を虐げていた悪女。
そして、その義妹を救ったのが王太子カルディオン。
――それが、この国の新しい物語だった。
王宮でも、その話題は尽きない。
廊下を歩く侍女たちが囁く。
「王太子殿下、本当にお優しいわ」
「ヴィオレッタ様を助けてくださったのよ」
「ずっとお姉様に虐められていたそうよ」
「公爵家って怖いわね」
人は、真実よりも物語を信じる。
特に、それが分かりやすい善悪の物語ならなおさらだ。
その頃。
王宮の庭園では、カルディオン王太子が歩いていた。
隣にはヴィオレッタがいる。
春の陽光の下、庭の噴水がきらめいていた。
カルディオンは満足そうに言う。
「王都の反応も上々だ」
ヴィオレッタは少し驚いたように顔を上げる。
「反応……ですか?」
カルディオンは頷いた。
「皆、理解している」
「君が被害者だとな」
ヴィオレッタは俯く。
「……そんな」
「私は、そこまで」
カルディオンは笑った。
「遠慮する必要はない」
「長年苦しめられてきたのだろう」
ヴィオレッタは小さく首を振る。
「私は……」
「ただ」
彼女は言葉を濁した。
カルディオンは気づかない。
「心配するな」
「もう君は安全だ」
彼ははっきり言った。
「私は君の味方だ」
ヴィオレッタは目を伏せる。
「ありがとうございます」
その声は弱々しい。
だが、その目の奥には、誰にも見えない光があった。
カルディオンは少し考えるように言った。
「それにしても」
ヴィオレッタが顔を上げる。
「何でしょう」
カルディオンは言う。
「舞踏会の時だ」
「フロレンティアが言いかけた言葉」
ヴィオレッタの指が一瞬だけ止まった。
「……」
カルディオンは思い出すように言う。
「“その人は――”」
ヴィオレッタは小さく笑った。
「きっと」
「私の悪口です」
カルディオンは頷いた。
「だろうな」
そして不快そうに言う。
「だから止めた」
ヴィオレッタは首を傾げる。
「止めた……?」
カルディオンは当然のように答えた。
「加害者の弁明など聞く価値はない」
彼は腕を組む。
「もし話させていたら」
「きっと言い訳を並べただろう」
ヴィオレッタは少しだけ考えた。
そして言う。
「でも……」
カルディオンが振り向く。
「何だ?」
ヴィオレッタは少し困ったように言う。
「もし」
「何か事情があったとしたら?」
カルディオンは即座に答えた。
「ない」
その声には迷いがない。
「そんなものは存在しない」
ヴィオレッタは黙った。
カルディオンは続ける。
「仮にあったとしても」
「それは言い訳だ」
彼は庭を見渡す。
「私は正しいことをした」
「王太子として」
「不正を見逃すわけにはいかない」
ヴィオレッタは小さく微笑む。
「……そうですね」
その微笑みを見て、カルディオンは満足そうに頷いた。
一方その頃。
アルヴェイン公爵邸。
フロレンティアは書斎の机の前に座っていた。
机の上には例の書類が並んでいる。
戸籍。
結婚証明。
年齢記録。
執事が静かに言う。
「王太子殿下の動きですが」
フロレンティアは顔を上げない。
「ええ」
執事は続ける。
「ヴィオレッタ様と、頻繁に会われております」
フロレンティアは紅茶を一口飲む。
「そう」
執事は少し間を置いた。
「社交界では、すでに婚約が既成事実として扱われております」
フロレンティアはカップを置いた。
「そうでしょうね」
執事は言う。
「止めますか?」
フロレンティアは少し考えた。
そして首を振る。
「いいえ」
「止めません」
執事は黙っている。
フロレンティアは書類を指で軽く叩いた。
「むしろ」
彼女は静かに言った。
「もっと進めていただいた方がいい」
執事が目を細める。
フロレンティアは続ける。
「婚約を進めるほど」
「後で止められなくなる」
執事は理解したように頷いた。
「なるほど」
フロレンティアは椅子にもたれる。
「舞踏会の時」
彼女はゆっくり言った。
「私は言おうとしました」
執事が答える。
「“その人は――”」
フロレンティアは小さく笑った。
「でも」
「殿下が止めた」
執事は静かに言う。
「はい」
フロレンティアは窓の外を見た。
庭の薔薇が風に揺れている。
「もし」
彼女はゆっくり言う。
「言えていたら」
執事は答えた。
「その場で終わっていたでしょう」
フロレンティアは頷く。
「ええ」
そして静かに微笑む。
「でも」
「今は違う」
彼女は書類を一枚手に取った。
そこには、はっきりと書かれている。
結婚記録
ヴィオレッタ・オデット
配偶者 ダリオン・アルヴェイン
フロレンティアは静かに言った。
「この話は」
「王国中が見ている舞台になる」
そしてその瞳に、わずかな光が宿る。
「殿下は」
「自分で止めました」
「真実を」
「今さら戻れませんわ」
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