5 / 39
第5話 新しいヒロイン(自称)
しおりを挟む
第5話
新しいヒロイン(自称)
王都に広まる噂というものは、消えるよりも形を変えて定着する。
ノエリア・ヴァンローゼの評価が「健気な令嬢」から「高潔で理性的な女性」へと移行したのも、ほんの数日の出来事だった。
その流れに、王太子アルベリク・フォン・アーデルハインは、ようやく危機感を覚え始めていた。
「このままでは……まずい」
王宮の私室で、彼は焦燥を隠そうともせずに歩き回っている。
「俺が悪者のまま話が固まっている。
何か……流れを変える材料が必要だ」
側近たちは、苦い顔をしながらも口を閉ざしていた。
――余計なことを言えば、また話がこじれる。
それを理解していたからこその沈黙だった。
だが、アルベリクは沈黙を「賛同」と勘違いした。
「よし。決めた」
彼は振り返り、宣言する。
「新しい婚約者を、公に紹介する」
側近の一人が、思わず声を上げた。
「で、殿下……!
今は、そのような行動は――」
「今だからこそだ」
アルベリクは自信満々に言い切った。
「俺が誰を選んだかを示せば、
ノエリアとの違いが明確になる」
――違い。
その言葉に、側近たちは嫌な予感を覚えた。
数日後。
王宮の小広間で、簡素ながらも公式の場が設けられた。
「王太子殿下より、大切なお知らせがございます」
告げられたその内容に、集まった貴族たちは息を呑む。
「こちらが――
私の、次の婚約者だ」
アルベリクの隣に立ったのは、可憐な装いの若い女性だった。
淡い色のドレス、伏せられた睫毛、控えめな微笑。
「……平民?」
誰かが、思わず漏らした声は小さかったが、確かに広間に響いた。
「彼女は、純粋で、素直で、
俺の言葉を素直に受け取ってくれる」
アルベリクは、満足そうに続ける。
「ノエリアとは違う。
彼女は――可愛げがある」
その瞬間、空気が一段冷えた。
貴族たちの表情に浮かんだのは、驚きではない。
困惑だった。
(……また言った)
(その比較、必要でした?)
紹介された女性は、緊張した様子で一礼した。
「リ、リリアと申します……。
至らぬ点も多いですが……」
その言葉に、アルベリクは満足そうに頷く。
「ほら。
この謙虚さだ」
だが、その“謙虚さ”を見つめる貴族たちの視線は、どこか冷静だった。
「……質問しても?」
年配の伯爵夫人が、穏やかに口を開く。
「もちろんだ」
「リリア様。
殿下とは、どのような関係でいらっしゃったの?」
リリアは一瞬、言葉に詰まった。
「あ、えっと……
殿下が、お話を聞いてくださって……
私のことを、理解してくださって……」
夫人は、ゆっくりと頷いた。
「なるほど。
では――お身体に触れられたことは?」
広間が静まり返る。
リリアは、目を見開いた。
「え……?」
アルベリクが慌てて口を挟む。
「ま、待て!
そんな質問は――」
「確認ですわ」
夫人の声は、あくまで穏やかだった。
「先日、ノエリア様が公に示された基準ですもの」
――基準。
その一言で、空気が完全に決まった。
「リリア様。
曖昧で構いませんわ。
“はい”か“いいえ”で」
リリアは、明らかに動揺していた。
「そ、それは……
その……殿下は、お優しくて……」
――答えていない。
貴族たちは、無言で視線を交わした。
(断言できない)
(つまり、基準を満たしていない)
アルベリクは、焦りを隠せなくなっていた。
「おい、リリア……
そんな難しいことじゃないだろう」
その言葉に、何人かが眉をひそめた。
(“難しいこと”ではないのよ)
(覚悟の問題ですわ)
夫人は、静かに結論を下す。
「ありがとうございます。
十分ですわ」
それ以上、質問はなかった。
拍手も、祝福も、起こらない。
ただ、淡々とした沈黙だけが残った。
その日の夕方。
王都では、また新しい噂が流れ始めた。
「新しい婚約者、
比較されてしまったらしいわね」
「……ノエリア様と?」
「ええ。
結果は……言うまでもないでしょう?」
一方その頃。
ノエリア・ヴァンローゼは、屋敷の温室でハーブを摘んでいた。
「今日はよく育っていますわね」
侍女が、恐る恐る報告する。
「お嬢様……
殿下が、新しい方をお披露目なさったそうです」
「まぁ」
ノエリアは、それだけ言って頷いた。
「それで?」
「……比較されているようで……」
ノエリアは、少し考えた。
「比べる必要があるのかしら?」
本気で疑問だった。
「わたくしは、もう関係ありませんのに」
その無関心さこそが、
何よりも雄弁だった。
王太子の“切り札”は、
この日をもって――完全に裏目に出た。
新しいヒロイン(自称)
王都に広まる噂というものは、消えるよりも形を変えて定着する。
ノエリア・ヴァンローゼの評価が「健気な令嬢」から「高潔で理性的な女性」へと移行したのも、ほんの数日の出来事だった。
その流れに、王太子アルベリク・フォン・アーデルハインは、ようやく危機感を覚え始めていた。
「このままでは……まずい」
王宮の私室で、彼は焦燥を隠そうともせずに歩き回っている。
「俺が悪者のまま話が固まっている。
何か……流れを変える材料が必要だ」
側近たちは、苦い顔をしながらも口を閉ざしていた。
――余計なことを言えば、また話がこじれる。
それを理解していたからこその沈黙だった。
だが、アルベリクは沈黙を「賛同」と勘違いした。
「よし。決めた」
彼は振り返り、宣言する。
「新しい婚約者を、公に紹介する」
側近の一人が、思わず声を上げた。
「で、殿下……!
今は、そのような行動は――」
「今だからこそだ」
アルベリクは自信満々に言い切った。
「俺が誰を選んだかを示せば、
ノエリアとの違いが明確になる」
――違い。
その言葉に、側近たちは嫌な予感を覚えた。
数日後。
王宮の小広間で、簡素ながらも公式の場が設けられた。
「王太子殿下より、大切なお知らせがございます」
告げられたその内容に、集まった貴族たちは息を呑む。
「こちらが――
私の、次の婚約者だ」
アルベリクの隣に立ったのは、可憐な装いの若い女性だった。
淡い色のドレス、伏せられた睫毛、控えめな微笑。
「……平民?」
誰かが、思わず漏らした声は小さかったが、確かに広間に響いた。
「彼女は、純粋で、素直で、
俺の言葉を素直に受け取ってくれる」
アルベリクは、満足そうに続ける。
「ノエリアとは違う。
彼女は――可愛げがある」
その瞬間、空気が一段冷えた。
貴族たちの表情に浮かんだのは、驚きではない。
困惑だった。
(……また言った)
(その比較、必要でした?)
紹介された女性は、緊張した様子で一礼した。
「リ、リリアと申します……。
至らぬ点も多いですが……」
その言葉に、アルベリクは満足そうに頷く。
「ほら。
この謙虚さだ」
だが、その“謙虚さ”を見つめる貴族たちの視線は、どこか冷静だった。
「……質問しても?」
年配の伯爵夫人が、穏やかに口を開く。
「もちろんだ」
「リリア様。
殿下とは、どのような関係でいらっしゃったの?」
リリアは一瞬、言葉に詰まった。
「あ、えっと……
殿下が、お話を聞いてくださって……
私のことを、理解してくださって……」
夫人は、ゆっくりと頷いた。
「なるほど。
では――お身体に触れられたことは?」
広間が静まり返る。
リリアは、目を見開いた。
「え……?」
アルベリクが慌てて口を挟む。
「ま、待て!
そんな質問は――」
「確認ですわ」
夫人の声は、あくまで穏やかだった。
「先日、ノエリア様が公に示された基準ですもの」
――基準。
その一言で、空気が完全に決まった。
「リリア様。
曖昧で構いませんわ。
“はい”か“いいえ”で」
リリアは、明らかに動揺していた。
「そ、それは……
その……殿下は、お優しくて……」
――答えていない。
貴族たちは、無言で視線を交わした。
(断言できない)
(つまり、基準を満たしていない)
アルベリクは、焦りを隠せなくなっていた。
「おい、リリア……
そんな難しいことじゃないだろう」
その言葉に、何人かが眉をひそめた。
(“難しいこと”ではないのよ)
(覚悟の問題ですわ)
夫人は、静かに結論を下す。
「ありがとうございます。
十分ですわ」
それ以上、質問はなかった。
拍手も、祝福も、起こらない。
ただ、淡々とした沈黙だけが残った。
その日の夕方。
王都では、また新しい噂が流れ始めた。
「新しい婚約者、
比較されてしまったらしいわね」
「……ノエリア様と?」
「ええ。
結果は……言うまでもないでしょう?」
一方その頃。
ノエリア・ヴァンローゼは、屋敷の温室でハーブを摘んでいた。
「今日はよく育っていますわね」
侍女が、恐る恐る報告する。
「お嬢様……
殿下が、新しい方をお披露目なさったそうです」
「まぁ」
ノエリアは、それだけ言って頷いた。
「それで?」
「……比較されているようで……」
ノエリアは、少し考えた。
「比べる必要があるのかしら?」
本気で疑問だった。
「わたくしは、もう関係ありませんのに」
その無関心さこそが、
何よりも雄弁だった。
王太子の“切り札”は、
この日をもって――完全に裏目に出た。
4
あなたにおすすめの小説
『婚約破棄されたので北の港を発展させたら
ふわふわ
恋愛
王立学園の卒業舞踏会。
公爵令嬢アリアベルは、王太子カルディオンから突然の婚約破棄を告げられる。
「真実の愛を見つけた」
そう言って王太子が選んだのは、涙を流す義妹ヴィオレッタだった。
王都から追い出され、すべてを失った――
はずだった。
アリアベルが向かったのは、王国の北にある小さな港町。
しかし彼女の手腕によって港は急速に発展し、やがて王国最大の交易港へと変わっていく。
一方その頃、王太子と義妹は王都で好き勝手に振る舞っていたが――
やがてすべてが崩れ始める。
王太子は国外追放。
義妹は社交界から追放され修道院送り。
そして気づいた頃には、北の港こそが王国の中心になっていた。
「私はもう誰のものでもありません」
これは、婚約破棄された令嬢が自分の人生を取り戻し、
王国の未来を変えていく物語。
そして――
彼女の隣には、いつしか新しい王太子の姿があった。
婚約破棄から始まる、逆転ざまぁロマンス。✨
婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。
婚約破棄で、おひとり様になれるはずだったのに!?
パリパリかぷちーの
恋愛
主人公ルシアン・ヴァイオレットは、「悪役令嬢」として振る舞う孤独愛好家の公爵令嬢。念願だった第一王子アランとの婚約破棄を言い渡されると、内心では歓喜し、大都会の喧騒から逃れて森の奥の廃墟同然の別荘へと引きこもる。ルシアンの目的は、誰にも邪魔されない至高の静寂ライフを満喫することだった。
しかし、彼女の理想郷にはすでに先客がいた。それは、無口で無愛想だがハイスペックな謎の男、キース。実は彼は、王国の裏社会を統べる『影の英雄』と呼ばれる辺境伯であり、ルシアンの孤高の姿に心奪われた重度の隠れファンだった。
婚約破棄される前に、帰らせていただきます!
パリパリかぷちーの
恋愛
ある日、マリス王国の侯爵令嬢クロナは、王子が男爵令嬢リリィと密会し、自分を「可愛げのない女」と罵り、卒業パーティーで「婚約破棄」を言い渡そうと画策している現場を目撃してしまう。
普通なら嘆き悲しむ場面だが、クロナの反応は違った。
「失礼いたしますわ」と唇を噛む悪役令嬢は、破滅という結末から外れた?
パリパリかぷちーの
恋愛
「失礼いたしますわ」――断罪の広場で令嬢が告げたのは、たった一言の沈黙だった。
侯爵令嬢レオノーラ=ヴァン=エーデルハイトは、“涙の聖女”によって悪役とされ、王太子に婚約を破棄され、すべてを失った。だが彼女は泣かない。反論しない。赦しも求めない。ただ静かに、矛盾なき言葉と香りの力で、歪められた真実と制度の綻びに向き合っていく。
「誰にも属さず、誰も裁かず、それでもわたくしは、生きてまいりますわ」
これは、断罪劇という筋書きを拒んだ“悪役令嬢”が、沈黙と香りで“未来”という舞台を歩んだ、静かなる反抗と再生の物語。
婚約辞退いたします。だってこの国、沈みますもの
鍛高譚
恋愛
「婚約はお断りいたします――この国は近い将来、崩壊しますので」
そう言い放ったのは、社交界でも目立たない子爵令嬢、マリン・アクアリウム。
ある日、とある舞踏会に突如現れた王太子ガイア殿下。
誰もが驚く中、なんと彼はマリンに婚約を申し出る。
周囲は騒然。「子爵令嬢が王太子妃!?」「断る理由などないはず!」
――だが、彼女は断った。「この国は、もうすぐ滅びます」――と。
そんな不吉な言葉を口にしたことで、彼女は“狂言癖のある嘘つき令嬢”と噂され、
家族にさえ見放され、ついには国外追放の身に。
だが、彼女の予言は本物だった――
数年後、王国に未曾有の大災厄が迫る。
国土が崩れ、海に沈む都市。人々が絶望する中、思い出されるのは、
あの舞踏会でただひとり“滅び”を告げた少女の名。
「彼女なら、この国を救えるかもしれない……」
皮肉にも“追放令嬢”マリンは、再び王都に呼び戻され、
滅びゆく国で最後の希望として担ぎ上げられる。
信じてもらえなかった過去。
それでも人々の命を守ろうと奔走するマリン。
そして、王子ガイアが差し伸べた、あの日と変わらぬ手。
――たとえ国が滅んでも、あなたとともに歩んでいきたい。
平民とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の王と結婚しました
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・ベルフォード、これまでの婚約は白紙に戻す」
その言葉を聞いた瞬間、私はようやく――心のどこかで予感していた結末に、静かに息を吐いた。
王太子アルベルト殿下。金糸の髪に、これ見よがしな笑み。彼の隣には、私が知っている顔がある。
――侯爵令嬢、ミレーユ・カスタニア。
学園で何かと殿下に寄り添い、私を「高慢な婚約者」と陰で嘲っていた令嬢だ。
「殿下、どういうことでしょう?」
私の声は驚くほど落ち着いていた。
「わたくしは、あなたの婚約者としてこれまで――」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる