白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました

鷹 綾

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第31話 公的という名の波紋

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第31話 公的という名の波紋

 噂というものは、形を持たないくせに、届くときは必ず“公式”の顔をしてやって来る。

 それを、ノエリア・ヴァンローゼは、この日になってようやく理解した。


---

 朝。

 いつもと同じように始まった一日だった。

 書斎での作業。
 確認と整理。
 静かな時間。

 違ったのは、
 執事の顔色だけだ。

「……ノエリア様」

「はい?」

「少々、お時間を……」

 声が、硬い。

 その時点で、
 “私的な用件ではない”
 と察する。

「どうぞ」

 執事は、一通の書簡を差し出した。

 封蝋は、王都のもの。
 それも――
 公式印。

(……ついに来ましたのね)

 そう思った自分に、
 驚きはなかった。


---

 内容は、簡潔だった。

> 公爵家における婚姻形態について、
王都として正式な確認を行う。



 ――確認。

 糾弾ではない。
 断罪でもない。

 だが、
 “放置できなくなった”
 という合図だった。


---

 同時刻。

 ヴァルデリオも、
 同様の書簡を受け取っていた。

 文面は、
 ほぼ同じ。

 だが、
 彼の方には
 一文、余計に添えられている。

> 貴殿の判断が、
今後の前例となり得るため。



 ヴァルデリオは、
 静かに息を吐いた。

(……来たな)

 予想していた。
 だが、
 避ける気はなかった。


---

 昼前。

 二人は、
 自然な流れで
 同じ部屋に集まった。

 書簡は、
 机の上。

 向かい合って座る。

 だが、
 どちらもすぐには口を開かない。

 沈黙が、
 少しだけ長い。

「……“確認”ですわね」

 ノエリアが、先に言った。

「そうだ」

「責めるつもりは、
 なさそう」

「だが、
 放ってはおけない」

 淡々とした会話。

 だが、
 その裏で、
 二人とも理解していた。

 ――これは、
 個人の問題ではない。


---

「……どうなさいますか?」

 ノエリアが問う。

 “どうしますか”
 ではない。

 “どうなさいますか”。

 相手に委ねる言い方。

 それに、
 ヴァルデリオは
 少しだけ眉を動かした。

「……選択肢は、
 いくつかある」

 言葉を選ぶ。

「形式上、
 “白い結婚”を明文化する」

「……ええ」

「あるいは、
 婚姻形態そのものを
 再定義する」

 ノエリアは、
 その意味を
 正確に理解した。

(……つまり)

(……“決めろ”と)

 王都は、
 遠回しにそう言っている。


---

「……確認ですが」

 ノエリアは、
 落ち着いた声で言った。

「“今の状態”は、
 不正ではありませんわよね」

「ない」

 即答。

「違法でもない。
 規定外なだけだ」

「……でしたら」

 ノエリアは、
 一拍置く。

「慌てる必要は、
 ありません」

 その言葉に、
 ヴァルデリオは
 はっきりと頷いた。

「同意する」


---

 だが。

 公的な波紋は、
 二人の合意など
 待ってくれない。

 午後。

 王都からの使者が到着した。

 形式的な挨拶。
 形式的な視察。

 そして、
 形式的な視線。

 ――観察。

 それが、
 目的だった。


---

 使者は、
 屋敷内を案内されながら、
 何気ない風を装って言った。

「……ご夫婦での
 生活は、
 順調ですかな」

 ノエリアは、
 ほんの一瞬、
 考える。

(……どう答えるのが、
 正解かしら)

 だが、
 迷いはなかった。

「問題は、
 一切ありませんわ」

 事実だけを述べる。

 誇張も、
 否定も、
 説明もない。

 それが、
 最も強い回答だった。


---

 使者は、
 それ以上踏み込めなかった。

 踏み込めば、
 矛盾が露呈する。

 “問題がない”
 という事実を
 否定できないからだ。


---

 夕方。

 視察が終わり、
 使者が帰路につく。

 屋敷に、
 静けさが戻る。

 ノエリアは、
 中庭で深く息を吸った。

「……疲れましたわね」

「そうだな」

 短い会話。

 だが、
 その空気は、
 今までと違っていた。

 外から見られた
 という事実。

 それは、
 関係に輪郭を与える。


---

「……ヴァルデリオ様」

 ノエリアは、
 少しだけ、
 言葉を選んだ。

「王都は、
 答えを求めています」

「ああ」

「ですが……」

 一拍。

「今すぐでなくても、
 よろしいですわよね」

 それは、
 確認であり、
 同時に――
 選択の共有だった。

 ヴァルデリオは、
 はっきりと答える。

「いい」

「……ありがとうございます」

 その一言に、
 安堵が混じったことを、
 ノエリアは自覚した。


---

 夜。

 ノエリアは、
 日記を開いた。

『王都が動いた。』

 一行空ける。

『でも、
 私は動かなかった。』

 さらに一行。

『それで、
 いいと思った。』

 ペンを置く。

 公的な波紋は、
 確かに広がった。

 だが、
 彼女の足元は、
 一切揺れていない。


---

 同じ夜。

 ヴァルデリオは、
 書簡の写しを閉じ、
 静かに言葉を反芻する。

(……“前例”か)

 ならば。

(……彼女が
 不利にならない前例を、
 作る)

 それだけだ。


---

 白い結婚(予定)生活。

 第31日目。

 外部からの圧力が、
 二人の関係を
 “公的な問題”として浮かび上がらせた。

 だが。

 揺らされたのは、
 周囲の認識だけ。

 二人の間にあるものは、
 依然として静かで、
 揺るぎなかった。

 ――むしろ。

 守るべき“現実”として、
 初めて輪郭を持った。


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