婚約破棄されて去ったら、私がいなくても世界は回り始めました

鷹 綾

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第十一話 試される実力

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第十一話 試される実力

 

 エミー・マイセンは、隣国の官庁の一室で、初めて“外部協力者”として席に着いていた。

 肩書きはない。
 名札もない。
 紹介も、必要最低限だった。

「……本日は、参考意見をいただければ」

 会議の進行役である官吏が、やや遠慮がちにそう告げる。

 集まっているのは、財務、外交、物流の各担当者。誰もが慎重な表情をしていた。外部の人間に、どこまで話していいのか分からない――そんな空気が、はっきりと漂っている。

 エミーは、それを当然だと受け止めていた。

「はい。伺うだけで構いません」

 控えめな返答に、数人がほっとしたように息を吐く。

 

 議題は、交易路の再編だった。

 隣国は現在、複数の国と並行して交渉を進めており、その中に、エミーがかつて属していた王国も含まれている。

「……問題は、返答の遅延です」

 外交担当が、資料を示す。

「条件自体は悪くないのですが、期限を守らない。判断基準も曖昧です」

「こちらが譲歩しても、反応が鈍い」

「結果として、物流計画が組めません」

 それぞれが、個別の不満を口にする。

 だが、全体像はまだ、見えていない。

 

 エミーは、黙って話を聞いていた。

 メモは取らない。
 視線だけで、資料を追っていく。

 やがて、一通りの説明が終わったところで、進行役が尋ねた。

「……マイセン様。何か、お気づきの点は」

 その瞬間、空気が少し張り詰める。

 エミーは、ゆっくりと口を開いた。

「前提を、確認してもよろしいですか」

「どうぞ」

「相手国が返答を遅らせている理由を、“交渉姿勢の問題”だと仮定していますね」

「はい。実際、そのように見えます」

「では、その遅延が、どの部署で発生しているかは把握されていますか」

 官吏たちは、顔を見合わせる。

「……王宮全体、かと」

「具体的には?」

 沈黙。

 エミーは、淡々と続けた。

「決裁が遅いのではありません。判断材料が、整理されていないのです」

 数人が、はっと息を呑む。

「相手国の返答文は、要点が散らばっています。こちらが何を選べば、何が起きるのか――それが、書かれていない」

「だから、判断が先送りされる」

「結果として、返答が遅れる」

 彼女は、机の上の資料を指先で軽く叩いた。

「これは、意図的な遅延ではありません。“整理役”の不在です」

 

 会議室が、静まり返る。

 誰も反論しない。
 できない。

 

「……つまり」

 財務担当が、慎重に言葉を選ぶ。

「こちらが、相手国を責めても、意味がないと?」

「はい」

 エミーは、即答した。

「むしろ、こちらが“整理された選択肢”を提示すれば、相手は早く動きます」

「具体的には?」

 その問いを待っていたかのように、エミーは答えた。

「三案に絞りましょう。条件、期限、影響範囲を明確にして」

「そのうえで、どれを選んでも、最低限の利益が確保できる形にする」

「相手は、“選ぶだけ”で済みます」

 

 ざわ、と空気が動く。

「……それは、こちらが主導権を握るということですか」

「いいえ」

 エミーは首を横に振る。

「相手に、“主導権を握っている気分”を与えるのです」

 

 数秒の沈黙の後、誰かが小さく笑った。

「……なるほど」

 その笑いは、嘲りではなかった。

 理解の笑みだった。

 

 会議は、その後、驚くほどスムーズに進んだ。

 意見は整理され、役割が明確になり、期限が設定される。

 誰も声を荒げない。
 誰も無駄な議論をしない。

 終わったとき、進行役は深く息を吐いた。

「……正直に申し上げます」

 彼は、エミーに向き直る。

「これほど短時間で、ここまで整理された会議は久しぶりです」

「そうですか」

 エミーは、穏やかに応じた。

 

 

 会議室の外。

 ガイストは、報告を受けながら、静かに頷いていた。

「反発は?」

「ありません。むしろ……」

 側近が、言葉を探す。

「“なぜ今まで、こうしなかったのか”という反応でした」

「だろうな」

 ガイストは、短く答える。

 

 その夜、エミーは客室で一人、窓辺に立っていた。

 今日一日、無理をした感覚はない。
 気を張った覚えもない。

 ただ、いつも通りに考え、整理し、伝えただけだ。

(……通じた)

 それだけで、胸の奥が、わずかに温かくなる。

 王宮では、当たり前だと思われていたこと。
 名前も残らなかった仕事。

 それが、ここでは――

 

 翌朝、ガイストから短い伝言が届いた。

「試用は、問題ない。次は、もう一段深い案件を頼みたい」

 

 エミーは、書簡を静かに畳んだ。

 これは、評価ではない。

 “次を任される”という、何より確かな証明だった。

 そして彼女は、理解する。

 自分はもう、
 “去った女”ではない。

 選ばれる場所で、選ばれる仕事をしているのだ。
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