婚約破棄されて去ったら、私がいなくても世界は回り始めました

鷹 綾

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第三十話 最初の一歩

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第三十話 最初の一歩

 

 王都の朝は、珍しく騒がしかった。

 噂が、速すぎる速度で広がっている。

 

「……王太子殿下が、自ら判断したらしい」 「しかも、失敗前提で」 「責任も、自分で引き受けると……」

 

 人々は、半信半疑だった。

 これまで何度も、
 「改革」の言葉だけが先行し、
 実行は曖昧に終わってきたからだ。

 

 

 王宮・評議室。

 アントナン・ドームは、重臣たちを前に立っていた。

 書類は、最小限。
 飾り立てた説明もない。

 

「本日、地方農業支援策を変更する」

 静かな声だが、迷いはない。

 

「現行制度は、遅すぎる」 「支援が届く前に、農家が潰れている」

 

 数名が、顔を曇らせる。

「ですが、前例が……」

 

 アントナンは、はっきりと言った。

「前例は、失敗している」

 

 会議室が、静まり返る。

 

「だから、仮の制度で進める」 「問題が出れば、修正する」

 

 老臣が、慎重に問う。

「……責任は?」

 

 アントナンは、一瞬も躊躇しなかった。

 

「私が取る」

 

 それだけで、
 空気が変わった。

 

 

 制度は、即日施行された。

 簡素な申請。
 現場裁量の拡大。
 三ヶ月後の再評価。

 

 完璧ではない。
 むしろ、粗い。

 

 だが――

 止まっていない。

 

 

 地方の役所。

 若手官吏が、信じられない顔で言う。

「……これ、通していいんですか?」

 

 上司は、書類の一文を指差す。

「“最終責任は、王太子が負う”」

 

 しばしの沈黙。

 

「……じゃあ、進めよう」

 

 その一言が、
 これまで、どれほど欠けていたか。

 

 

 一方、隣国。

 エミー・マイセンは、朝の定例報告を受けていた。

「王都で、制度変更がありました」

 

 簡潔な報告。

 彼女は、資料に目を通し、静かに頷く。

「……ようやく、立ったのですね」

 

 評価でも、嘲笑でもない。

 ただの事実確認だ。

 

 

 ガイストが、低く言う。

「追いつけると思うか」

 

 エミーは、少し考えてから答えた。

 

「追いつく、ではありません」 「追いつこうと、歩き始めただけです」

 

 それは、否定でも期待でもない。

 

 

 数日後。

 王都の改革策には、早くも摩擦が出始めていた。

 申請が集中し、処理が追いつかない。
 一部で、不正の兆候も見える。

 

「……ほら、問題が出た」 「やはり、早すぎたのでは」

 

 だが、今回は違った。

 

「修正案を出せ」 「現場の声を集めろ」

 

 そして――

「責任は、私が引き受ける」

 

 その言葉は、
 逃げ道ではなく、支点になっていた。

 

 

 夜。

 アントナンは、疲れ切った様子で書斎に戻る。

 失敗は、怖い。
 批判も、重い。

 

 だが――

(……これが、彼女の見ていた景色か)

 

 判断の後に立ち続ける感覚。

 逃げられないが、
 確かに、前に進んでいる。

 

 

 一方、隣国。

 エミーは、今日も変わらず業務を終えていた。

 王都の動きが、彼女の仕事を左右することはない。

 

 ただ、思う。

 

(最初の一歩は、いつだって遅く、重い)

 

 だからこそ、
 踏み出した者だけが、
 次の景色を見る。

 

 

 王都は、ようやく動き始めた。

 まだ、遠い。
 まだ、不格好だ。

 

 それでも――

 止まっていた国が、歩き始めた。

 

 それが、
 第三十話の、
 小さくも確かな結論だった。
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