婚約破棄されて去ったら、私がいなくても世界は回り始めました

鷹 綾

文字の大きさ
37 / 40

第三十七話 背中を預けるということ

しおりを挟む
第三十七話 背中を預けるということ

 

 改革が進むほど、
 前に立つ者は、少なくなっていく。

 だが――
 前に立たなくても済むようになるほど、
 背中を預ける相手の存在が、重要になる。

 

 

 王都の官庁では、以前には考えられなかった光景が増えていた。

 

「この判断、こちらで引き受けます」 「問題が出たら、私の部署で修正します」

 

 言葉は、淡々としている。
 だが、その裏には、逃げない意思がある。

 

 かつての王都では、
 責任を引き受ける言葉は、
 昇進か、処罰か、
 どちらかに直結していた。

 

 だから、誰も言わなかった。

 

 今は違う。

 

 責任を引き受ける言葉が、
 組織を前に進めるための道具になっている。

 

 

 午後。

 王都に、新たな課題が持ち込まれる。

 隣国との共同水利計画。
 利点は大きいが、政治的にも、感情的にも難しい。

 

「……今回は、外部との判断が絡みます」

 

 会議室で、誰かがそう言った。

 

「一本化が必要だな」

 

 その言葉に、
 自然と、全員の視線が、アントナン・ドームに集まる。

 

 だが――

 

「待て」

 

 声を出したのは、
 これまで補佐に回っていた中堅官吏だった。

 

「今回は、我々で案をまとめる」 「殿下には、最終確認だけお願いしたい」

 

 一瞬、空気が張り詰める。

 

「……理由は?」

 

 アントナンの問いに、
 中堅官吏は、真っ直ぐ答えた。

 

「判断基準は、共有されています」 「政治的な責任は殿下にありますが、
 実務判断まで、背負わせるべきではありません」

 

 静まり返る会議室。

 

 それは、
 権限を奪う言葉ではない。

 

 背中を預けるという意思表示だった。

 

 

 アントナンは、しばらく沈黙した後、ゆっくりと頷いた。

 

「……分かった」 「案を見せてくれ」

 

 その一言で、
 会議は前に進み始める。

 

 

 数日後。

 共同水利計画の草案が、提出される。

 利害調整。
 段階導入。
 最悪時の撤退条件。

 

 どれも、現実的だった。

 

「……よく、ここまで詰めたな」

 

 アントナンの言葉に、
 中堅官吏は、静かに答える。

 

「殿下が、立ってくださっているからです」 「だから、こちらも立てます」

 

 その言葉は、
 忠誠でも、賛辞でもない。

 

 信頼の言葉だった。

 

 

 夜。

 王宮の書斎。

 アントナンは、椅子に座り、深く息を吐いた。

 

(……背中を預ける、か)

 

 これまでの自分は、
 誰にも背中を預けなかった。

 預けられなかった。

 

 だが今は――

 

(預けても、倒れない)

 

 それを、初めて実感していた。

 

 

 一方、隣国。

 エミー・マイセンは、王都の共同水利計画についての報告を受けていた。

 

「実務判断は、現場主導です」 「王太子は、最終確認のみ」

 

 その内容に、彼女は目を伏せ、静かに頷く。

 

「……ようやく、背中を預け合える段階ですね」

 

 補佐官が、慎重に問う。

「追いついた、と見ますか?」

 

 エミーは、首を横に振る。

 

「追いつく必要はありません」 「同じ速さで、別の道を歩ければ、それで十分です」

 

 

 ガイストが、低く言う。

「君がいなくても、回り始めたな」

 

「はい」

 エミーは、淡々と答える。

 

「だからこそ、私は戻らない」

 

 それは、拒絶ではない。

 

 完成に近づいた証だった。

 

 

 王都では、今日も判断が進んでいる。

 誰かが前に立ち、
 誰かが支え、
 誰かが背中を預ける。

 

 その循環が、
 ようやく、自然に回り始めていた。

 

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

手作りお菓子をゴミ箱に捨てられた私は、自棄を起こしてとんでもない相手と婚約したのですが、私も含めたみんな変になっていたようです

珠宮さくら
恋愛
アンゼリカ・クリットの生まれた国には、不思議な習慣があった。だから、アンゼリカは必死になって頑張って馴染もうとした。 でも、アンゼリカではそれが難しすぎた。それでも、頑張り続けた結果、みんなに喜ばれる才能を開花させたはずなのにどうにもおかしな方向に突き進むことになった。 加えて好きになった人が最低野郎だとわかり、自棄を起こして婚約した子息も最低だったりとアンゼリカの周りは、最悪が溢れていたようだ。

冷酷侯爵と政略結婚したら、実家がざまぁされました

鍛高譚
恋愛
「この結婚は、家のため。ただの政略結婚よ」 そう言い聞かせ、愛のない結婚を受け入れた公爵令嬢リゼット。 しかし、挙式後すぐに父が「婚約破棄しろ」と命じてきた!? だが、夫であるアレクシス・フォン・シュヴァルツ侯爵は冷たく言い放つ。 「彼女を渡すつもりはない」 冷酷無慈悲と噂される侯爵が、なぜかリゼットを溺愛し始める!? 毎日甘やかされ、守られ、気づけば逃げ場なし! さらに、父の不正が明るみに出て、公爵家は失墜―― リゼットを道具として利用しようとした者たちに、ざまぁの鉄槌が下される! 政略結婚から始まる、甘々溺愛ラブストーリー! 「愛なんてないはずなのに……どうしてこんなに大切にされるの?」

居候と婚約者が手を組んでいた!

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!  って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!  父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。  アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。  最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。

編み物好き地味令嬢はお荷物として幼女化されましたが、えっ?これ魔法陣なんですか?

灯息めてら
恋愛
編み物しか芸がないと言われた地味令嬢ニニィアネは、家族から冷遇された挙句、幼女化されて魔族の公爵に売り飛ばされてしまう。 しかし、彼女の編み物が複雑な魔法陣だと発見した公爵によって、ニニィアネの生活は一変する。しかもなんだか……溺愛されてる!?

【完結】義妹(ヒロイン)の邪魔をすることに致します

凛 伊緒
恋愛
伯爵令嬢へレア・セルティラス、15歳の彼女には1つ下の妹が出来た。その妹は義妹であり、伯爵家現当主たる父が養子にした元平民だったのだ。 自分は『ヒロイン』だと言い出し、王族や有力者などに近付く義妹。さらにはへレアが尊敬している公爵令嬢メリーア・シェルラートを『悪役令嬢』と呼ぶ始末。 このままではメリーアが義妹に陥れられると知ったへレアは、計画の全てを阻止していく── ─義妹が異なる世界からの転生者だと知った、元から『乙女ゲーム』の世界にいる人物側の物語─

王女様は温かいごはんが食べたい ~冷えた王宮料理を変えたら、オープンキッチンと政略婚約がついてきました~

しおしお
恋愛
異世界の王女リリアーヌは、前世の記憶を持つ転生者。 豪華絢爛な王宮で暮らし始めた彼女だったが、ひとつだけどうしても耐えられないことがあった。 ――食事が、冷めているのだ。 どれほど立派な料理でも、ぬるいスープや冷めた肉ではホッとできない。 「温かいごはんが食べたい」 そのささやかな願いを口にしたことから、王宮ではなぜか大騒動が巻き起こる。 地下厨房からの高速搬送。 専用レーンを爆走するカートメイド。 扉の開閉に命をかけるオープナー。 ついには食堂に火を持ち込むオープンキッチンまで誕生して――!? 温かさは、ホッとさせてくれる。 それは料理だけではなく、人との距離まで少しずつ変えていくものだった。 冷えた王宮に湯気と笑顔を取り戻す、 食と温かさをめぐる宮廷日常コメディ! -

婚約破棄された令嬢はもう戻らない〜涙を捨てた私を今さら追うなんて遅すぎます殿下〜

exdonuts
恋愛
婚約者である王太子に裏切られ、断罪された侯爵令嬢アリア。 涙と共に心まで壊れたその夜、彼女を拾ったのはかつて敵国の将軍だった男だった。 優雅に、冷徹に、彼女はもう“愛されるだけ”の令嬢ではない。 「今さら遅いわ、殿下。私はもう、あなたの前で泣かない」 ざまぁと溺愛が交錯する、痛快シンデレラ・ロマンス!

【完結】魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――

ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。 魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。 ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。 誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。

処理中です...