婚約破棄された伯爵令嬢、王の目となる

鷹 綾

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第十八話 美しすぎる帳簿

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第十八話 美しすぎる帳簿

 北へ向かう街道は、整備が行き届いていた。

 石畳は欠けることなく続き、街道沿いの道標は新しい。宿場町には余裕があり、倉庫は満ち、治安も良い。旅人の目から見れば、理想的な領地だった。

「……噂どおりですね」

 馬車の窓から外を眺め、ノイマンが静かに言う。

「ええ。
 整いすぎています」

 ミシェルは、手元の帳面に視線を落とす。そこに記された数字は、どれも端正で、乱れがない。税収、支出、備蓄、公共投資。すべてが“模範的”だった。

「前回の巡察記録でも、高評価です」

「前回、ですね」

 ミシェルは、その言葉に引っかかりを覚えた。

「誰が、巡察したのですか」

「伯爵でした。
 ……北方の、別の領主です」

 ミシェルは、ゆっくりと頷いた。

 伯爵が伯爵を評価する。
 それ自体は、制度上おかしくない。だが――

「互いに傷つけない評価ほど、信用できないものはありません」

 ノイマンは、苦笑した。

「神学でも、同じです。
 互いに罪を見ない者同士は、やがて罪を語らなくなる」

 馬車は、北方伯爵領の城門前で止まった。
 歓迎は控えめだが、無礼はない。儀礼は正しく、対応は迅速。城内は静かで、使用人の動きに無駄がない。

 領主――ヴェルナー伯爵は、応接の間で二人を迎えた。

「遠路ご苦労。
 巡察の件は、承っている」

 彼は、柔らかな物腰で頭を下げる。年は四十前後。落ち着きがあり、威圧感はない。

「帳簿も、すでに準備しております」

 机に並べられた書類は、完璧だった。
 紙の質、綴じ方、筆跡。どれも一級品。

「……美しい」

 ノイマンが、思わず呟く。

「誉め言葉として、受け取ってよろしいでしょうか」

 ヴェルナー伯爵は、微笑んだ。

「努力しておりますので」

 ミシェルは、帳簿を一冊手に取る。

 頁をめくる音が、静かな室内に響く。

 数字は、整っている。
 あまりにも。

「備蓄量が、毎年ほぼ同じですね」

「自然災害が少ない土地ですから」

「それでも、収穫量には揺れが出るはず」

 ミシェルは、顔を上げる。

「揺れがないのは、不自然です」

 ヴェルナー伯爵は、表情を変えない。

「統計処理の結果でしょう」

 その答えは、理屈としては正しい。
 だが――

「統計は、現実を丸めます。
 しかし、現実そのものを消すことはできない」

 ミシェルは、帳簿を閉じた。

「領内の倉庫を、見せてください」

 一瞬だけ、ヴェルナー伯爵の指が動いた。

「もちろん。
 ですが、順序というものが――」

「不要です」

 短い否定。

 ノイマンが、補足するように言う。

「拒否は、疑念を深めます」

 ヴェルナー伯爵は、わずかに息を吐いた。

「……ご案内しましょう」

 倉庫は、確かに満ちていた。
 穀物袋は整然と積まれ、管理札も正確だ。

 だが、ミシェルは、袋の一つに手を触れた。

「軽い」

「……」

「量はある。
 ですが、質が落ちています」

 ノイマンが、袋を開ける。中の穀物は、見た目は良いが、混ぜ物がある。

「量を保つために、質を落とした。
 帳簿上の数字は、同じまま」

 ミシェルは、静かに告げる。

「これは、領民の口に入るものです」

 ヴェルナー伯爵の額に、汗が滲んだ。

「それは……一時的な措置で……」

「一時的、が毎年続いている」

 ミシェルは、倉庫を見渡す。

「帳簿は、美しい。
 ですが――」

 一拍、置く。

「この領地は、痩せています」

 ノイマンが、低く続ける。

「神に捧げる寄進も、形式だけ。
 祈りはあれど、実がない」

 ヴェルナー伯爵は、口を閉ざした。

 ここに至って、彼は理解する。
 この二人は、帳簿だけを見に来たのではない。

「……どう裁かれる」

 問いは、震えていた。

「即時処断は、ありません」

 ミシェルは、きっぱりと言った。

「あなたは、不正を“巧妙に”行ったわけではない。
 優秀であるがゆえの、怠慢です」

 それは、免罪ではない。
 だが、断罪でもない。

「改善命令を出します。
 期限は、三か月」

「……従います」

 ヴェルナー伯爵は、深く頭を下げた。

 城を出た後、ノイマンが言った。

「処断しなかったのですね」

「ええ」

 ミシェルは、街道を見つめる。

「恐怖だけでは、国は痩せる。
 正すべきは、正す」

 馬車が再び動き出す。

 噂は、また形を変えて広がるだろう。

――美しい帳簿でも、逃げ切れない。
――だが、正せば、救われる。

 裁きは、一つではない。
 それを示すことも、また巡察の役目だった。
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