『選ばれなかった孤児は、同じ時間を生きることを選んだ』

鷹 綾

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第12話 暖かさの代償

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 馬車は、思っていたよりも速く走った。
 車輪の音は一定で、揺れも少ない。舗装された道を使っている証拠だ。

 ウェイフは背もたれに身を預け、膝の上で手を組んだ。
 窓の外を流れる景色は、孤児院の裏山とはまるで違う。整えられた畑、柵、屋根の高い家々。

(……世界が、違う)

 それは羨望ではなかった。
 ただの、確認だ。

 向かいに座る中年の男――男爵家の使いは、道中ほとんど口を開かなかった。
 聞かれたのは、名前と年齢だけ。

 感情のやり取りは、不要なのだろう。

 やがて馬車は減速し、重厚な門の前で止まった。
 鉄製の門が静かに開き、整えられた庭が姿を現す。

(……大きい)

 孤児院とは、比べるまでもない。
 それでも、胸は躍らなかった。

 馬車を降りると、すぐに暖かい空気に包まれた。
 建物の中から、熱が流れ出してくる。

「こちらへ」

 短い指示に従い、ウェイフは男の後ろを歩く。

 玄関を抜けると、足元に敷かれた絨毯が靴底を受け止めた。
 柔らかい。沈む。
 それだけで、違和感が走る。

(……踏み慣れてない)

 使用人たちが、揃って頭を下げた。
 だが、その視線は揃っていない。

 好奇。
 値踏み。
 そして、薄い警戒。

 歓迎とは、少し違った。

「今日から、この屋敷で暮らすことになる」

 案内された部屋は、孤児院の小部屋をいくつも重ねたほどの広さだった。
 暖炉があり、窓には厚いカーテン。
 寝台は一人用だが、柔らかく、清潔だ。

「必要なものは、揃えてある」

 男は、淡々と告げる。

「……ありがとうございます」

 言葉は、自然に出た。
 感謝を述べること自体に、抵抗はない。

 だが。

(……代わりに、何を求められる)

 前世の記憶が、冷静に問いかける。

 荷物と呼べるほどのものはない。
 孤児院から持ってきたのは、小さな布袋一つだけだ。

 使用人の一人が、布袋を見て、鼻で笑った。

「……ずいぶん、少ないのね」

 声は低いが、意図は明確だ。

 ウェイフは、何も言わなかった。
 言い返す必要はない。

 その日のうちに、男爵夫妻との対面が設けられた。

 広間は明るく、装飾が多い。
 中央に座るのは、男爵とその妻。
 そして、その横に――同年代と思しき少女がいた。

(……実の娘)

 視線が合った瞬間、少女は口元を歪める。

「この子が……?」

 値踏みするような視線。
 隠す気もない。

「そうだ。今日から養女として迎える」

 男爵は、満足げに頷いた。

「感謝なさい。
 孤児が、男爵家の娘になれるのだから」

 言葉は、恩恵の形をしている。
 だが、上下は明確だった。

「……はい」

 ウェイフは、頭を下げた。
 孤児院で身につけた、無難な対応。

 娘が、くすりと笑う。

「……孤児が、ね」

 それだけで、空気が冷える。

 男爵夫人は、興味なさそうに扇子を動かした。

「礼儀作法は?」

「これから、徹底的に教えます」

 使用人が即答する。

「……そう」

 夫人は、それ以上関心を示さなかった。

 その日から、生活は一変した。

 暖かい食事。
 柔らかな寝具。
 清潔な衣服。

 条件だけを見れば、理想的だ。

 だが――
 そこには、常に視線があった。

「背筋を伸ばしなさい」

「言葉遣いがなってない」

「孤児の癖が、抜けてないわね」

 一挙手一投足が、評価される。

(……自由は、ない)

 孤児院では、腹は空いたが、息はできた。
 ここでは、満たされているはずなのに、息苦しい。

 夜、寝台に横になり、ウェイフは天井を見つめる。

(……暖かさの代償)

 それは、従順。
 沈黙。
 そして、使われる未来。

 前世の大人の感覚が、はっきりと告げる。

(……これは、準備だ)

 何のための準備か。
 答えは、まだ見えない。

 だが、一つだけ確かなことがある。

(……私は、ここで生き残る)

 感謝はする。
 従うふりもする。

 だが――
 飲み込まれるつもりはない。

 ウェイフは、そう心に決め、
 静かに目を閉じた。

 暖かさは、確かにあった。
 その裏にある冷たさを、彼女はもう、見誤らない。
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