16 / 40
第16話 花嫁教育の始まり
しおりを挟む
第16話 花嫁教育の始まり
翌朝、屋敷の空気は昨日までとは明らかに違っていた。
忙しさではない。緊張でもない。
方向が定まった――そんな重さが、廊下に満ちている。
ウェイフは、呼ばれる前から察していた。
今日から始まるのは、ただの礼儀教育ではない。
(……“花嫁”だ)
扉を開けると、見慣れない使用人が二人、すでに待っていた。
年嵩の女性と、記録用の帳面を抱えた若い女。
「本日より、婚約者教育を担当いたします」
淡々とした声。
そこに、感情は含まれていない。
「まずは、身支度から」
連れて行かれた部屋には、見たことのない衣装が並んでいた。
淡い色合い。
装飾は控えめだが、質は一目で分かる。
(……外向け)
男爵家が、公爵家へ差し出すための包装。
それが、はっきりと形になっていた。
「こちらを」
着替えを促され、鏡の前に立つ。
布が肌に触れた瞬間、身体が強張る。
(……動きづらい)
礼儀教育の服より、さらに制限が多い。
美しく見せる代わりに、自由を削る服だ。
「姿勢」
即座に指示が飛ぶ。
背筋を伸ばし、顎を引き、視線を整える。
鏡に映るのは、自分ではない誰かのようだった。
「……良いわ」
年嵩の女性が、満足そうに頷く。
「この姿で、会話、歩行、着席。
すべてを行います」
(……逃げ場は、ない)
午前中は、花嫁としての立ち振る舞い。
歩幅は一定。
音を立てない。
笑みは、歯を見せすぎない。
「感情は、抑えるのではありません。
制御するのです」
言葉は、冷たいが正しい。
昼食は、教育の一環として用意された。
同席するのは、実の娘。
娘は、楽しげに微笑んでいる。
「ふうん……
ちゃんと、花嫁に見えるじゃない」
声には、余裕がある。
「……ありがとうございます」
ウェイフは、型通りに返す。
「でも」
娘は、スプーンを置いた。
「勘違いしないで。
あなたは、身代わり」
視線が、真っ直ぐ突き刺さる。
「役目が終われば、戻る場所はないわよ?」
脅しではない。
事実の確認だ。
(……分かっている)
ウェイフは、言葉を飲み込んだ。
午後は、公爵家に関する“知識”。
系譜。
称号。
噂。
「アバルト・ハウザー公爵は、三百年以上生きているとされます」
教育係が、淡々と読み上げる。
「姿を見せないため、
影武者を立てている、という話もあります」
(……影武者)
胸の奥で、引っかかる。
「化け物だとか、呪われているとか……
根拠はありません」
だが、否定の仕方が、弱い。
(……噂が消えない理由がある)
前世の感覚が、静かに告げる。
「あなたは、これらを知らないふりをして、
婚約の儀に臨みます」
知らないふり。
つまり――聞かない。
踏み込まない。
(……介護要員、兼、体裁)
ウェイフは、内心で整理する。
夜、部屋に戻ると、疲労が一気に押し寄せた。
椅子に腰掛け、深く息を吐く。
「……長丁場ね」
小さく呟いて、苦笑する。
孤児院では、腹が減った。
ここでは、心が削れる。
(……どちらが楽だったかは、分からない)
だが、違いは一つ。
(……今は、情報が集まる)
公爵家の噂。
男爵家の思惑。
使用人たちの視線。
すべてが、糸のようにつながり始めている。
ウェイフは、寝台に横になり、天井を見る。
(……花嫁教育)
それは、従属のためではない。
舞台に立つための準備だ。
どう使うかは、まだ決めない。
だが――
(……役割を演じる以上、主導権は渡さない)
仮面の下で、そう誓い、
ウェイフは静かに目を閉じた。
花嫁教育は始まった。
だが、彼女が学んでいるのは――
従い方ではなく、生き残り方だった。
翌朝、屋敷の空気は昨日までとは明らかに違っていた。
忙しさではない。緊張でもない。
方向が定まった――そんな重さが、廊下に満ちている。
ウェイフは、呼ばれる前から察していた。
今日から始まるのは、ただの礼儀教育ではない。
(……“花嫁”だ)
扉を開けると、見慣れない使用人が二人、すでに待っていた。
年嵩の女性と、記録用の帳面を抱えた若い女。
「本日より、婚約者教育を担当いたします」
淡々とした声。
そこに、感情は含まれていない。
「まずは、身支度から」
連れて行かれた部屋には、見たことのない衣装が並んでいた。
淡い色合い。
装飾は控えめだが、質は一目で分かる。
(……外向け)
男爵家が、公爵家へ差し出すための包装。
それが、はっきりと形になっていた。
「こちらを」
着替えを促され、鏡の前に立つ。
布が肌に触れた瞬間、身体が強張る。
(……動きづらい)
礼儀教育の服より、さらに制限が多い。
美しく見せる代わりに、自由を削る服だ。
「姿勢」
即座に指示が飛ぶ。
背筋を伸ばし、顎を引き、視線を整える。
鏡に映るのは、自分ではない誰かのようだった。
「……良いわ」
年嵩の女性が、満足そうに頷く。
「この姿で、会話、歩行、着席。
すべてを行います」
(……逃げ場は、ない)
午前中は、花嫁としての立ち振る舞い。
歩幅は一定。
音を立てない。
笑みは、歯を見せすぎない。
「感情は、抑えるのではありません。
制御するのです」
言葉は、冷たいが正しい。
昼食は、教育の一環として用意された。
同席するのは、実の娘。
娘は、楽しげに微笑んでいる。
「ふうん……
ちゃんと、花嫁に見えるじゃない」
声には、余裕がある。
「……ありがとうございます」
ウェイフは、型通りに返す。
「でも」
娘は、スプーンを置いた。
「勘違いしないで。
あなたは、身代わり」
視線が、真っ直ぐ突き刺さる。
「役目が終われば、戻る場所はないわよ?」
脅しではない。
事実の確認だ。
(……分かっている)
ウェイフは、言葉を飲み込んだ。
午後は、公爵家に関する“知識”。
系譜。
称号。
噂。
「アバルト・ハウザー公爵は、三百年以上生きているとされます」
教育係が、淡々と読み上げる。
「姿を見せないため、
影武者を立てている、という話もあります」
(……影武者)
胸の奥で、引っかかる。
「化け物だとか、呪われているとか……
根拠はありません」
だが、否定の仕方が、弱い。
(……噂が消えない理由がある)
前世の感覚が、静かに告げる。
「あなたは、これらを知らないふりをして、
婚約の儀に臨みます」
知らないふり。
つまり――聞かない。
踏み込まない。
(……介護要員、兼、体裁)
ウェイフは、内心で整理する。
夜、部屋に戻ると、疲労が一気に押し寄せた。
椅子に腰掛け、深く息を吐く。
「……長丁場ね」
小さく呟いて、苦笑する。
孤児院では、腹が減った。
ここでは、心が削れる。
(……どちらが楽だったかは、分からない)
だが、違いは一つ。
(……今は、情報が集まる)
公爵家の噂。
男爵家の思惑。
使用人たちの視線。
すべてが、糸のようにつながり始めている。
ウェイフは、寝台に横になり、天井を見る。
(……花嫁教育)
それは、従属のためではない。
舞台に立つための準備だ。
どう使うかは、まだ決めない。
だが――
(……役割を演じる以上、主導権は渡さない)
仮面の下で、そう誓い、
ウェイフは静かに目を閉じた。
花嫁教育は始まった。
だが、彼女が学んでいるのは――
従い方ではなく、生き残り方だった。
6
あなたにおすすめの小説
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました
ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」
政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。
妻カレンの反応は——
「それ、契約不履行ですよね?」
「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」
泣き落としは通じない。
そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。
逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。
これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
私ってわがまま傲慢令嬢なんですか?
山科ひさき
恋愛
政略的に結ばれた婚約とはいえ、婚約者のアランとはそれなりにうまくやれていると思っていた。けれどある日、メアリはアランが自分のことを「わがままで傲慢」だと友人に話している場面に居合わせてしまう。話を聞いていると、なぜかアランはこの婚約がメアリのわがままで結ばれたものだと誤解しているようで……。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる