『選ばれなかった孤児は、同じ時間を生きることを選んだ』

鷹 綾

文字の大きさ
23 / 40

第23話 噂が届く距離

しおりを挟む
第23話 噂が届く距離

 公爵邸の朝は、相変わらず静かだった。
 だが、その静けさの底に、微かな違和感が混じり始めていることを、ウェイフは感じ取っていた。

(……外が、動いている)

 朝食の席で、使用人たちの視線がいつもより忙しい。
 言葉を交わす声は抑えられているが、間の取り方が違う。

 噂が動き出したときの、独特の空気だ。

「今日は、町へ下りる」

 アバルトが、何気ない調子で言った。

「必要な物資の確認と、顔出しだ」

「……私も、ご一緒しますか」

「どうする?」

 問いは、選択肢として差し出される。

 ウェイフは、少し考えた。

「……行きます」

 逃げる理由は、もうない。

 馬車で町へ向かう途中、風景が変わっていく。
 人の数が増え、声が増え、視線が増える。

 公爵家の紋章が見えると、空気が一段変わった。
 敬意と、好奇と、恐れ。

 ――そして、噂。

 町の広場近くで馬車を降りると、ささやきが耳に届く。

「……あれが、公爵様?」

「いや、隣の娘が……婚約者らしい」

「孤児だって?」

 言葉は、遠慮なく飛ぶ。

 ウェイフは、背筋を伸ばした。
 視線を落としすぎず、上げすぎず。

 従順という仮面を、自然に被る。

 商人とのやり取りを終えたあと、アバルトが低く言った。

「気にするな」

「……気にしていません」

 それは、半分は本当だ。

 だが、完全な無関心ではない。

(……噂は、広がる)

 問題は、その形だ。

 帰り道、裏通りを通ると、聞き捨てならない声が届いた。

「公爵家の婚約者?
 どうせ、長くはもたないさ」

「三百年生きてる化け物だぞ?」

「使い潰されるに決まってる」

 足が、わずかに止まりかける。

 アバルトが、気づいた。

「……聞いたか」

「はい」

 短く答える。

 怒りは、ない。
 悲しみも、薄い。

(……予想通り)

 ただし――
 このまま放置すれば、形を変えて牙を剥く。

 公爵邸に戻ると、影武者の老人が待っていた。
 珍しく、表情が硬い。

「……動きがある」

「男爵家か」

「それだけじゃない」

 老人は、低く続ける。

「公爵家が弱体化している、という噂が出ている。
 婚約者が孤児、白い結婚――
 格好の材料だ」

 ウェイフは、静かに息を吸った。

(……来た)

 アバルトは、表情を変えない。

「放っておく」

 即断だった。

「……よろしいのですか」

「噂は、潰すと広がる。
 静かに、形を変えさせる」

 その言葉に、ウェイフは納得した。

 夜、二人で小さな食卓を囲む。

「……迷惑では、ありませんか」

 ふと、ウェイフが尋ねた。

「私がいることで、
 公爵家が狙われる」

 アバルトは、食器を置き、彼女を見た。

「逆だ」

 静かな声。

「君がいるから、
 “今の公爵家”が見える」

「……どういう意味ですか」

「私は、ずっと影だった」

 彼は、淡々と続ける。

「だが、君が前に立つことで、
 “触れられる存在”になった」

 それは、危険でもあり、必要なこと。

「噂が出るということは、
 こちらが注目されている証だ」

 ウェイフは、少し考えた。

「……では」

 静かに言う。

「私は、隠れません」

 アバルトの目が、わずかに細まる。

「無理はするな」

「はい。
 でも……逃げもしません」

 噂に押し潰されるほど、
 今の自分は弱くない。

 夜更け、ウェイフは書庫で一人、帳面を広げた。
 書くのは、噂の内容と、出どころ。

(……情報は、整理すれば力になる)

 孤児院で学んだこと。
 男爵家で学んだこと。
 公爵邸で学んだこと。

 すべてが、今につながっている。

 窓の外、月が静かに照らす。

(……噂が届く距離)

 それは、
 公爵家が閉じた城ではなく、
 生きた場所である証。

 ウェイフは、帳面を閉じ、静かに微笑んだ。

 ここから先、
 噂に振り回されるのではなく――
 噂を超える存在になる。

 その決意を胸に、
 彼女は灯りを落とした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました

ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」 政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。 妻カレンの反応は—— 「それ、契約不履行ですよね?」 「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」 泣き落としは通じない。 そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。 逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。 これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

私ってわがまま傲慢令嬢なんですか?

山科ひさき
恋愛
政略的に結ばれた婚約とはいえ、婚約者のアランとはそれなりにうまくやれていると思っていた。けれどある日、メアリはアランが自分のことを「わがままで傲慢」だと友人に話している場面に居合わせてしまう。話を聞いていると、なぜかアランはこの婚約がメアリのわがままで結ばれたものだと誤解しているようで……。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

処理中です...