『選ばれなかった孤児は、同じ時間を生きることを選んだ』

鷹 綾

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第24話 静かな反撃の始まり

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第24話 静かな反撃の始まり

 噂は、形を変えながら広がっていく。
 それは、音もなく降る霧のように、気づけば足元を覆っていた。

 公爵邸の朝。
 使用人たちの動きは変わらない。だが、報告の順番が微妙に前倒しになり、文面の言い回しが慎重になっている。
 外から届く言葉が、刃を含み始めた証拠だった。

「……数が増えているな」

 影武者の老人が、報告書を机に置いた。
 そこには、町で囁かれる噂の断片が箇条書きにされている。

— 公爵家は後継に困っている
— 婚約者は孤児、白い結婚
— 実権はすでに失われた

 どれも、半分は事実で、半分は悪意だ。
 だからこそ、厄介だった。

「反論は?」

 アバルトが尋ねる。

「今のところ、控えています。
 下手に動けば、“効いている”と示すことになる」

「正しい判断だ」

 ウェイフは、少し離れた席で、そのやり取りを聞いていた。
 心は、不思議と落ち着いている。

(……もう、怖くない)

 噂は、自分を否定するためにある。
 だが、ここでは――
 否定される前提で、立っていていい。

「ウェイフ」

 アバルトが、彼女を呼んだ。

「一つ、頼みがある」

「……何でしょう」

「君に、前に出てもらう」

 影武者の老人が、眉を上げる。

「公に?」

「限定的にだ」

 アバルトは、続ける。

「施療院への寄付と、視察。
 名目は、婚約者の初仕事」

 静かな一手。
 反論でも、否定でもない。

(……噂に、別の物語を重ねる)

 ウェイフは、すぐに理解した。

「私で、よろしいのですか」

「君がいい」

 即答だった。

「白い結婚だとか、孤児だとか……
 彼らは“弱さ”を想像している」

 アバルトは、穏やかに言う。

「なら、想像と違う姿を見せればいい」

 その言葉に、胸の奥が静かに熱くなる。

「……分かりました」

 即座に頷いた。

 施療院は、町の外れにあった。
 古い建物だが、人の気配は濃い。
 怪我人、病人、そして――
 貧しさに追い込まれた者たち。

 到着した馬車を見て、周囲がざわめく。

「公爵家の……?」

「隣の方が、婚約者らしい」

 噂が、目の前で形になる。

 ウェイフは、歩幅を一定に保ち、視線を柔らかく配る。
 学んできた所作は、ここで“誇示”しないために使う。

「本日は、こちらをお届けに参りました」

 差し出したのは、寄付金と物資。
 だが、主役はそれではない。

「……それから」

 院長に向かって、静かに言葉を続ける。

「差し支えなければ、
 中を拝見しても?」

 院内を歩き、患者に挨拶し、話を聞く。
 質問は多くない。
 だが、聞き逃さない。

 噂を聞きつけた町の人々が、次第に集まり始める。
 視線が、集中する。

「……孤児だって?」

「でも……落ち着いてる」

「貴族の娘みたいだ」

 ウェイフは、誰かに見せるために動いているわけではない。
 だが、見られることを恐れていない。

 それだけで、噂は揺らぐ。

 帰りの馬車の中、影武者の老人が低く笑った。

「……効いたな」

「否定はしていません」

 ウェイフが答える。

「していないから、効いた」

 老人は、満足そうだ。

 公爵邸に戻ると、報告が入った。

「施療院での様子が、
 “思ったより普通だった”と話題になっています」

 普通。
 それは、噂にとって最も不都合な言葉だ。

「よし」

 アバルトは、短く言った。

「これでいい。
 次は、もう一段、静かに」

 夜、ウェイフは書庫で帳面を開いた。
 今日の反応。
 視線の変化。
 言葉の端々。

(……反撃は、声を上げることじゃない)

 存在し続けることだ。

 孤児だった過去も、
 白い結婚という選択も、
 すべてを抱えたまま、前に出る。

 それ自体が、噂への反証になる。

 灯りを落とす前、ウェイフは小さく息を吐いた。

(……始まった)

 これは、派手な逆転劇ではない。
 だが、確実に――
 静かな反撃が、動き出していた。
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