『選ばれなかった孤児は、同じ時間を生きることを選んだ』

鷹 綾

文字の大きさ
40 / 40

第40話 選び続ける日々

しおりを挟む
第40話 選び続ける日々

 季節は、静かに巡っていた。

 施療院の制度は、まだ「完成」と呼べるものではない。
 修正は続き、衝突もあり、思うように進まない日もある。

 それでも――
 止まることは、なくなった。

 数年が過ぎたある朝、ウェイフはいつものように書庫で帳面を開いていた。
 紙の端には、細かな修正の跡が重なっている。

(……ここは、やり直しね)

 物資の配分。
 現場からの報告。
 予想より増えた患者数。

 理想通りに進んだことなど、一つもない。
 だが、かつてのように「誰にも届かない」状態でもなかった。

 扉が、軽く叩かれる。

「入っていいか」

 聞き慣れた声。

「はい」

 顔を上げると、アバルトが立っていた。
 相変わらず、年を取らない姿のまま。

 それを、今では誰も「異様」とは言わない。

「中央から、返答が来た」

 差し出された書簡を受け取り、目を通す。

「……条件付き、ですか」

「ああ。
 監査の範囲を、もう少し広げたいらしい」

「現場は、反発しますね」

「だろうな」

 だが、どちらの声にも苛立ちはなかった。

 選択肢は、いつも単純ではない。
 それでも、考える時間が与えられているだけで、十分だった。

「どうする」

 アバルトが問う。

「……受けます」

 即答ではない。
 だが、迷いもない。

「ただし、
 現場の声を拾う仕組みを、
 同時に入れたいです」

「理由は」

「監査が、
 支配にならないために」

 アバルトは、静かに頷いた。

「それでいこう」

 そのやり取りは、
 命令でも、依存でもない。

 相談だった。

 昼過ぎ、庭を歩きながら、ウェイフはふと立ち止まる。

「……覚えていますか」

「何をだ」

「最初に、この屋敷に来た日のこと」

 老人の影武者に連れられ、
 何も分からないまま、
 一番奥の部屋へ案内された日のこと。

「介護要員かと思ったな」

 アバルトが、少しだけ口元を緩める。

「はい」

 ウェイフも、苦笑した。

「私も……
 長くは、いられないと思っていました」

 孤児だった自分が、
 ここに居続ける理由などないと。

「今は?」

「……考えもしません」

 それが、答えだった。

 ここにいる理由を、
 疑う必要がなくなった。

 それは、
 誰かに与えられた居場所ではなく、
 自分で選び続けた結果だから。

 夕方、屋敷の外れで、使用人たちが忙しく動いている。
 新しい記録室が、増設される予定だった。

「また、仕事を増やしたな」

「必要ですから」

「分かっている」

 アバルトは、空を見上げた。

「……私の呪いについて」

 突然、話題が変わる。

 ウェイフは、立ち止まらなかった。

「解く気は、変わっていません」

「私が、先に消える可能性もある」

「それでも」

 静かに、答える。

「その時は、
 その時の選択をします」

 未来を、
 今決め切る必要はない。

 選び続けることが、
 生きるということだ。

 夜、帳面を閉じたウェイフは、窓辺に立った。
 遠くで、灯りが揺れている。

 孤児院の、あの暗い部屋。
 冷たい床。
 分け合う粥。

 そこから始まった日々は、
 今も、彼女の中に残っている。

 だからこそ、
 見えない場所を、
 見ないふりはできない。

(……私は、特別じゃない)

 ただ、
 選ぶことをやめなかっただけだ。

 アバルトが、背後に立つ。

「式の日程だが」

「はい」

「急がなくていい」

 ウェイフは、振り返って微笑んだ。

「分かっています」

 形式が、
 関係を決めるわけではない。

「それでも、
 一緒に歩くという意思は、
 変わりません」

「同じだ」

 二人は、並んで夜を見た。

 長さの違う時間。
 終わりの見え方も違う人生。

 それでも、
 同じ日々を、同じ意思で選び続ける。

 それが、
 彼女たちの結婚であり、
 彼女の人生だった。

 孤児だった少女は、
 救われたわけではない。

 強くなったわけでも、
 世界を変えたわけでもない。

 ただ――
 自分の足で立ち、
 選び続ける人になった。

 それで、十分だった。

 夜風が、帳面の端を揺らす。

 ウェイフは、そっとそれを押さえ、
 静かに灯りを落とした。

 明日もまた、
 選ぶ日が来る。

 それを、
 恐れなくなった自分を、
 確かに感じながら。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました

ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」 政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。 妻カレンの反応は—— 「それ、契約不履行ですよね?」 「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」 泣き落としは通じない。 そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。 逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。 これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

私ってわがまま傲慢令嬢なんですか?

山科ひさき
恋愛
政略的に結ばれた婚約とはいえ、婚約者のアランとはそれなりにうまくやれていると思っていた。けれどある日、メアリはアランが自分のことを「わがままで傲慢」だと友人に話している場面に居合わせてしまう。話を聞いていると、なぜかアランはこの婚約がメアリのわがままで結ばれたものだと誤解しているようで……。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

処理中です...