婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

文字の大きさ
5 / 40

第5話 命の代価

しおりを挟む
第5話 命の代価

 黒装束の男が森の闇に消えた後も、しばらくの間、誰も動かなかった。

 風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが街道に流れる。つい先ほどまで命を奪うか奪われるかの場だったとは思えないほど、静かだった。

 フォールス・アキュゼーションは、ゆっくりと息を吐いた。

 ――生きている。

 その事実を、ようやく実感する。

 助けに入った男は、剣から手を離し、周囲を一瞥した後、街道の先と森の奥を確認するように視線を走らせた。無駄のない動き。警戒が完全に解けていない。

「……もう行った」

 低い声でそう告げる。

 フォールスは、男を見た。

 年齢は分からない。若くもなく、老いてもいない。表情は乏しく、感情が読み取れない。だが、先ほどのやり取りから察するに、暗殺者と対等以上に渡り合える実力者だ。

「ありがとうございました」

 フォールスは、はっきりと礼を述べた。

 命を救われたのは事実だ。理由は分からなくとも、それだけは否定できない。

 男は、わずかに視線を向けただけで、礼に応じる様子はなかった。

「礼は要らない」

「……では、なぜ?」

 問いは、自然に口をついて出た。

 男は、数歩近づき、フォールスを見下ろす位置で足を止めた。

「仕事だ」

 それだけを言う。

「仕事、ですか」

「そうだ」

 簡潔すぎる返答。

 フォールスは、違和感を覚えた。
 彼は、善意で助けたわけではない。
 だが、同時に、敵意も感じられない。

「あなたは……私を、どうするつもりですか」

 率直な問いだった。

 男は、少しだけ沈黙した後、答えた。

「連れて行く」

「どこへ」

「安全な場所だ」

 それが本当かどうか、判断する材料はない。

 だが、ここに留まる選択肢も存在しなかった。先ほどの暗殺者が言った通り、殺したと報告されれば、しばらくは追手は来ないかもしれない。だが、それが永遠に続く保証はない。

 フォールスは、外套の内側にある革袋を確かめた。

 まだ、ある。

 これだけは、何があっても手放せない。

「条件を、聞いてもいいですか」

 男は、眉一つ動かさなかった。

「条件?」

「あなたは、私の命を買ったと言いました」

 フォールスは、はっきりと言葉にした。

 男の視線が、初めて真正面から向けられる。

「聞いていたか」

「否応なく」

 男は、しばらく彼女を見つめていたが、やがて淡々と告げた。

「その通りだ。お前の命は、もう俺のものだ」

 冷たい言い方だった。

 フォールスの胸が、わずかにざわつく。

「……対価は?」

「体で払ってもらう」

 その言葉は、あまりにも平然と、当然のように放たれた。

 一瞬、理解が追いつかなかった。

 次の瞬間、血の気が引く。

「それは……」

 声が、わずかに震えた。

「奴隷商人、ということですか」

 男は、即答しなかった。

 その沈黙が、かえって不安を煽る。

 フォールスは、唇を噛みしめた。

 ――命を救われた代償が、これか。

 追放され、暗殺されかけ、今度は身体を売れと言われる。あまりにも、皮肉が過ぎる。

「拒否権はない」

 男は、淡々と告げる。

「拒めば、ここに置いていく。それだけだ」

 脅しではない。
 事実の提示だ。

 フォールスは、目を閉じた。

 置き去りにされれば、再び狙われる。
 生き延びられる保証は、ない。

 ――選択肢は、すでに奪われている。

「……分かりました」

 彼女は、そう答えた。

 声は静かだった。

「命を助けてもらった事実は変わりません。その対価として、求められるのであれば……受け入れます」

 男は、わずかに目を細めた。

「覚悟はあるようだな」

「覚悟というより、現実です」

 フォールスは、視線を逸らさずに言った。

「ですが、一つだけ条件があります」

「言ってみろ」

「私の持ち物には、触れないでください」

 革袋に、視線を落とす。

「これだけは、どうしても必要です」

 男は、その袋を一瞥した後、短く答えた。

「構わない」

 意外なほど、あっさりした返答だった。

「では、行くぞ」

 男は背を向け、歩き出す。

 フォールスは、少し遅れてその後を追った。

 助けられた。
 だが、自由になったわけではない。

 命は繋がったが、代価は支払うことになった。

 それでも――
 ここで終わるよりは、ましだ。

 フォールス・アキュゼーションは、自分にそう言い聞かせながら、見知らぬ男の背を追って歩き出した。

 この先に待つものが、
 本当に“対価としての体”なのか、
 それとも別の何かなのか――

 まだ、その答えを知る由はなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。 なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。

居場所を失った令嬢と結婚することになった男の葛藤

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢ロレーヌは悪女扱いされて婚約破棄された。 父親は怒り、修道院に入れようとする。 そんな彼女を助けてほしいと妻を亡くした28歳の子爵ドリューに声がかかった。 学園も退学させられた、まだ16歳の令嬢との結婚。 ロレーヌとの初夜を少し先に見送ったせいで彼女に触れたくなるドリューのお話です。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

(完結)モブ令嬢の婚約破棄

あかる
恋愛
ヒロイン様によると、私はモブらしいです。…モブって何でしょう? 攻略対象は全てヒロイン様のものらしいです?そんな酷い設定、どんなロマンス小説にもありませんわ。 お兄様のように思っていた婚約者様はもう要りません。私は別の方と幸せを掴みます! 緩い設定なので、貴族の常識とか拘らず、さらっと読んで頂きたいです。 完結してます。適当に投稿していきます。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?

ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。 卒業3か月前の事です。 卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。 もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。 カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。 でも大丈夫ですか? 婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。 ※ゆるゆる設定です ※軽い感じで読み流して下さい

処理中です...