婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

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第6話 名も告げぬ同行者

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第6話 名も告げぬ同行者

 街道を外れ、森の中へ入ってから、どれほどの時間が経ったのか分からない。

 日はすでに傾き、木々の隙間から差し込む光も赤みを帯びている。フォールス・アキュゼーションは、男の少し後ろを歩きながら、足元に注意を払っていた。枝や石を避けるように進む彼の歩調は一定で、振り返ることはない。

 逃走でもなければ、急行でもない。
 だが、迷いもない。

 この森を熟知している者の歩き方だった。

「……どこへ向かっているのですか」

 沈黙に耐えかね、フォールスは問いかけた。

 男は歩みを止めないまま答える。

「国境付近だ」

「国境……」

 その言葉に、フォールスは一瞬、警戒を強めた。

 国境は、逃げ場であると同時に、危険地帯でもある。監視の目が薄い場所ほど、非合法な取引や処分が行われやすい。

「セルディア王国側ですか」

 男は、わずかに首を動かした。

「察しがいい」

「……そういう資料を、かつて扱っていましたから」

 フォールスは、それ以上踏み込まなかった。

 男は、淡々と歩き続ける。

 その背中を見つめながら、フォールスは考えていた。

 彼は、ただの傭兵ではない。
 暗殺者と交渉し、即座に倍額を提示できる資金力。
 そして、王国間の地理や監視状況に精通した動き。

 少なくとも、個人ではない。

「……あなたの名前は」

 少し間を置いて、フォールスは尋ねた。

 男は、ほんのわずかに歩調を緩めたが、立ち止まりはしなかった。

「今は、必要ない」

 拒絶とも肯定とも取れる返答。

「“今は”ということは、いずれ教えていただけるのですね」

 フォールスは、あえて軽く返した。

 男は、数歩進んだ後、低く答えた。

「状況次第だ」

 それ以上の会話はなかった。

 森を抜ける頃には、空はすっかり暮れていた。小高い丘の陰に、簡素な建物が見える。狩人用の休憩小屋か、かつて使われていた見張り小屋だろう。

「今日は、ここで休む」

 男が言う。

 中は狭いが、風を凌ぐには十分だった。男は手早く火を起こし、乾いた薪をくべる。慣れた手つきだった。

 フォールスは、壁際に腰を下ろし、ようやく一息ついた。

 緊張が解けたせいか、身体の疲労が一気に押し寄せる。追放、暗殺、逃走。たった一日で起きた出来事とは思えない。

 火の明かりに照らされ、男の横顔が浮かび上がる。

 無骨で、感情の起伏が見えない。だが、冷酷というより、切り離されたような印象を受けた。

「……先ほどの話ですが」

 フォールスは、再び口を開いた。

「“体で払う”という対価の意味について、詳しく聞かせてもらえますか」

 男は、薪を足しながら答えた。

「今は、説明しない」

「理由は?」

「説明すれば、余計な判断をする」

 フォールスは、唇を引き結んだ。

 不安を煽る言い方だが、彼は意図的にそうしているようにも見える。恐怖で縛るつもりなら、もっと露骨な言葉を使うだろう。

「あなたは……私を壊すつもりはないのですね」

 ふと、そんな言葉が口をついた。

 男の動きが、一瞬止まる。

「なぜ、そう思う」

「もしそうなら、あの場で暗殺者に任せた方が、よほど簡単だったはずです」

 男は、しばらく沈黙した後、短く言った。

「壊れた証人は、役に立たない」

 証人。

 その言葉が、フォールスの胸に引っかかった。

 だが、問い返す前に、男は話を切り上げる。

「休め。夜明け前に動く」

「あなたは?」

「見張る」

 フォールスは、頷き、外套を引き寄せた。

 横になり、天井を見つめる。

 助けられたはずなのに、安堵よりも疑問が増えていく。
 体で払うという対価。
 証人という言葉。
 そして、この男の正体。

 それでも、確かなことが一つある。

 ――彼は、私を殺さない。

 それだけで、今は十分だった。

 フォールス・アキュゼーションは、火の揺らめきを視界の端に感じながら、浅い眠りへと落ちていった。

 夜の森の中で、運命は静かに、次の段階へ進もうとしていた。
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