婚約破棄と暗殺で死んだはずの公爵令嬢ですが、前に出ずに全てを崩壊させます

鷹 綾

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第7話 国境の影

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第7話 国境の影

 夜明け前、まだ空が青黒い色を残している頃、フォールス・アキュゼーションは静かに目を覚ました。

 小屋の中は冷え込んでいる。火はすでに消え、灰だけが残っていた。だが、外套を掛け直された形跡がある。眠っている間に、あの男が気を配ったのだろう。

 入口の方を見ると、男は立ったまま外を見張っていた。微動だにせず、森の音に溶け込むように佇んでいる。

「起きたか」

 振り返らずに声が飛んでくる。

「はい」

 フォールスは身体を起こし、身支度を整えた。疲労は残っているが、歩けないほどではない。気力が、身体を支えている。

「すぐ出る」

 男はそれだけ言い、先に小屋を出た。

 外に出ると、空気が一段と冷たかった。遠くで鳥が鳴き、森が目覚めつつあるのが分かる。

 しばらく歩くと、地形が変わってきた。木々がまばらになり、地面には踏み固められた痕跡が増える。だが、それは街道ではない。意図的に人の流れを外した道だ。

「この先が国境だ」

 男が低く告げる。

 フォールスは足を止め、周囲を見渡した。

 石標も柵もない。あるのは、川と、その向こうに続く緩やかな斜面だけだ。だが、かつて地図で見たことがある。ここが、アウレリウム王国とセルディア王国の境界線だ。

「……思ったより、何もありませんね」

「だから使われる」

 男は簡潔に答える。

「監視はあるが、常設ではない。時間帯と場所を選べば、越えられる」

 フォールスは、唇を引き結んだ。

 国境を越えるということは、完全に後戻りができなくなるということだ。王都を追放された時点で、形式上の立場は失っている。だが、国境を越えれば、それは事実として確定する。

「……越えれば、私は戻れませんね」

 男は、川を見つめたまま答えた。

「戻る場所は、もうないだろう」

 厳しい言葉だった。
 だが、否定できない。

 フォールスは、深く息を吸い、川へ向かって歩き出した。

 水は冷たいが、浅い。足元を取られないよう慎重に進む。男は先に渡り、フォールスに手を差し出した。

 一瞬、迷った後、その手を取る。

 力強く、迷いのない手だった。

 川を渡り終えた瞬間、男は言った。

「ここからは、セルディア王国領だ」

 フォールスは、静かに頷いた。

 境界線を越えた実感は、意外なほど希薄だった。だが、胸の奥では、確かに何かが切り替わった感覚がある。

「これで……あなたの“仕事”は終わりですか」

 問いかけると、男は首を横に振った。

「いや。ここからが本番だ」

「本番?」

「お前を、引き渡す」

 フォールスの胸が、わずかにざわつく。

「誰に」

 男は、少しだけ視線を逸らした。

「会えば分かる」

 それ以上は、語らない。

 そのまま半日ほど移動し、森を抜けると、石造りの建物が見えてきた。城館ほど大きくはないが、堅牢な造りで、国旗が掲げられている。

「……大使館、ですね」

 フォールスは、思わず口にした。

 男は頷いた。

「セルディア王国にある、アウレリウム王国大使館だ」

 フォールスは、驚きを隠せなかった。

「なぜ……敵国ではないにせよ、追放された私を、ここへ?」

「だからだ」

 男は短く答える。

「ここは、王太子の手が直接届かない。だが、王国としての責任は残る場所だ」

 建物の前で、男は足を止めた。

「ここから先は、俺の判断だけでは動けない」

 そう言って、初めてフォールスを真正面から見た。

「覚悟はいいか」

 フォールスは、一瞬だけ考えた後、頷いた。

「すでに、引き返せませんから」

 男は、ほんのわずかに口元を緩めたように見えた。

「なら、行くぞ」

 扉が開かれ、二人は中へ入る。

 フォールス・アキュゼーションは、この瞬間、まだ知らない。

 この場所で、自分の“対価”の本当の意味と、
 王太子を追い詰めるための舞台が、
 静かに整えられていることを。
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